第12話 ベッキーとセーラの再会
心臓が強く鳴りっぱなしで、ほとんど寝られなかった。
朝日を浴びても、意識朦朧として足もふらついてしまう。
セーラお嬢様と逢える時間も迫ってきているのに。
クリスフォードさんに内緒で街へ出るというから心配だ。
変装でもしなければ、多くの人に絡まれていくだろう。
私も結わえた髪を解いて、メイド服から着替えた。帽子もかぶっておこう。
スマホをチェックすれば、ペンギンちゃんねるは大騒ぎ。
ノーマンはデモ隊を募集続行中だ。アリータ議員の扇動もあって、予想以上の人が集まってきそうだ。マリア・ミンチンは監視されている。
児童虐待者をなぐり隊。
タトゥーやモヒカンマッチョのメンバー達。
とんでもないことになりそうだ。
U-チューブで過去動画を検索してみる。
彼らは虐めを放置した男性教師を責めていた。たしか、男子生徒が自殺まで追いこまれた事件だ。この騒ぎで逮捕者も出たという。
「おらぁ、虐められた生徒をシカトしているんじゃねぇぞ。虫の死体まで喰わされたのによぅ。てめぇの実家も掴んだぞ。今度、遊びに行くからな?」
「この屑がっ。覚えとれよ?」
「一生つきまとってやるからな。まともに就職活動できると思うなよ」
サングラスをした刺青の巨漢男が胸倉を掴む。
モヒカン男も顔を近づける。怒鳴る。
ノーマンの抗議を受けて、男性教師は泣きながら震えていた。
これが、なぐり隊。
児童虐待をする者ならば、女子供でも容赦はしないはず。虐めの実行少年も脅されたという。ミンチンを逮捕覚悟で殴る者もいるだろうか。
私は仕事で忙しかったから、詳しく知らなかった。
不良少年らは実名を晒されてしまい、ペンギンちゃんねるの住人達から激しい暴力を受けたという。目を何度も蹴られて網膜剥離。
ピーター・ポールは、さっそく新動画をアップしていた。
スタッフに編集をさせているらしい。
私は心を不安定に漂わせている状態で、インタビューを受けたんだ。知らぬ間に撮影許可を出していた。何となく、YESで答えていたのが不味すぎる。
こんなに、馴れ馴れしく接していたのか。体こそ触れてはいないけど、距離が近すぎる。出会ったばかりで親しくなった覚えはないはず。
ベッキーちゃんとフレンドとか言っている。友達じゃないのに。
なぐり隊との絡みまで、別動画として挙がっている。
再生数も鰻登りであり、高評価も多く押されているようだ。
コメント欄の反響も大きい。
ワオキツネザル3号:1分前
ベッキーちゃんって病んでいない?
表情が疲れているし、話し方も危ない。大丈夫か?
コブラマン:1分前
おのれ、ピーター。ベッキーちゃんに気安く近づくんじゃない!
ならず者 ペンギン隊:2分前
俺もなぐり隊に加わることにしたぜ!
ミンチンを地獄まで追いこもうぜ!
ひゃっはーっ!
アマガエル軍曹:2分前
ミンチンは美少年に手を出していたらしい。美少女は虐待をするのか。そんな腐った女は教育界に必要ない。私の手で粛清してくれよう。
Gバター:2分前
お前な、いい加減にしろよ。本当はセーラちゃんを心配していないくせに。視聴数を稼ぎたいからって首吊り肢体にインタビューをする男だもんな。ピーターのせいでどれだけの人に迷惑がかかっているのか自覚しろ。ミンチンも糞だが、お前らも屑なんだよ!
007という週刊誌のせいで、マリア・ミンチンの悪評が加速的に広まっている。少年への性的虐待も事実だと、市民達から思われているようだ。
スプリングフィールド氏は、次なるスクープも予告している。
ニュースやワイドショーは盛りあがって、鎮まる兆候も感じられない。
街を歩けば、ミンチン事件を話題にしている青年集団がいた。
私を目にしても、ベッキーだとは気付かない。
地味な顔をしているから、メイド服じゃなければ特徴も消えるのだろう。
「ノーマンが主催する抗議集会あるだろう。お前らも参加しろよ。すっげー面白いことになりそうだぜ。ミンチンの婆はむかつくからな」
「俺も動画を見た。確実にサイコパスだよな」
「ツインターで回ってきたけどよぅ。若い頃は、教育委員会の幹部連中に色目を使っていたらしいぜ。体も売りまくったとよ」
「きもっ。マジかよっ?」
「デュファルジュがラビニアに落としいれられたよな。アレってミンチンの指示らしいよ。あの婆自体も、若い頃は痴漢をでっちあげしまくりってさ」
「最悪だなぁ。たくさんの社会人が犠牲になったのか。今の話も、ツインターで広めたろう。拡散希望でタグ付けをしておくわ。死ねっ!」
「ミンチンだけは許せん。やばい奴らに、それとなく話を持ちかけるわ。この前の虐め事件でも、過激派の奴らがリンチしただろう?」
「アレは、すかっとした」
「セーラちゃんみたいな子を虐待するなんて信じられねぇ。ペンギンちゃんねるの住人らが自殺まで追いこむらしいな。あいつらの実行力はやばいし」
「その首吊り死体を、ピーター・ポールがインタビュー」
彼らは楽しそうに大笑い。
マリア・ミンチンは大嫌いだけど、セクハラ疑惑は嘘だと感じる。
デマが広まっているのだろうか。
胸が痛くなってきた。また食欲が落ちてきそう。何を口に入れても、味を感じられない。本を読もうとしても集中できない。
セーラお嬢様の待っている場所へ向かわなければ。
今の私は病んでいるかもしれない。
アメリアさんやピーターも指摘していたように思える。
「ベッキー!」
緑地公園に入りこむと、セーラお嬢様が噴水の近くで跳ねていた。
とても嬉しそうに、右腕を振っている。
クリスフォードさんは、彼女を大切にしているのだろう。
そんな感じの伝わってくる笑顔だ。
スマイルを注がれるだけで、モノクロカラーに覆われていた世界が鮮やかになっていく。胸の重りが、ことりと落ちて軽くなった気分。
「セーラお嬢様!」
人が少ないとはいえ、名前を呼ぶのは不味いかも。
それでも、想いに押されるように叫んでしまう。
ボーイッシュな服装をして、美少年めいたお嬢様が駆けてきた。
ぎゅっと真正面より抱きしめられた。
こうして触れあうのは久しぶりだ。
セーラお嬢様の温かさが伝わってくる。
目端から涙が零れてきた。その量は次第に増していく。気がつけば、私は号泣していた。それをハンカチで拭われてしまう。
「メールもできなくて、ごめんなさい。クリスフォードさんにスマートフォンを取られてしまったから。私を心配してのことだけど」
「いいのです。セーラお嬢様に逢えて嬉しいですから」
「ロンドンは大変なことになっているようね。グルグルで検索をして吃驚したわ。ベッキーがピーター・ポールの動画に出ているもの」
鈴を転がしたような声は、心を落ち着かせてくれる。
ロンドンどころか、ヨーロッパ中で大騒ぎとなっているんだ。
セーラお嬢様は知っているのだろう。
誰が告発動画を流したのか。
視線を遠くへ逸らすと、ラムダスさんを木陰に見つけてしまった。ケープペンギンのスーリャまでいるじゃない。お嬢様を見守っている感じだ。
涙と鼻水で、私は情けない顔になっていることだろう。
それでも、顔を耳元へ近づけてきた。
「ベッキー。ありがとう」
優しい声音だけど、胸が刺されるみたいに苦しい。
涙は少しも止まってくれない。
優しく頭を、なでなで。
これでは、どっちがお姉さんか分からない。
セーラお嬢様は虐められても、強い眼差しを湛えていた。ミンチンやラビニアに屈しなかった。幼くとも、しっかりした女性なんだ。
視線を交しあう。
「ねぇ、ベッキー」
「何でしょうか? セーラお嬢様」
「私はやりたいことがあるの」
「このベッキーでよければ、手伝わせてください」
「ミンチン先生を助けたいの」
「えっ?」
「ミンチン先生は多くの人から虐められている。とても辛い目に遭っている。このままだと、取り返しのつかないことになると思う」
「セーラお嬢様。何を仰っているのか理解できません」