4.現実はゲームより難し
ようやく冷静になれたところで、メイドのポピンズが心配そうに声をかけてきました。
「レットお嬢さま、朝からどうなさったんです? 変な寝言を言いながら起きたかと思えば、いきなり怒り始めたり……高熱の後遺症かしら」
既に脳への影響を疑われていました!
な、なんとか誤解を解かなければ。
「うふふふ、変な夢を見てしまって慌てていましたの。驚かせてごめんなさい。もう目は覚めましたわ」
「そ、そうだったんですか。良かった……」
本気で心配していたのでしょう。ポピンズは大きく息をついて安心した顔を見せました。
彼女はわたくし付きのメイドで、この部屋を取り仕切るリーダーです。もともとは母の乳兄弟として母に仕えていましたが、わたくしの乳母となり今まで育ててくれました。そして現在は家庭教師も兼任しています。第2の母と言っても過言ではないでしょう。
あわてんぼうなのと感情が豊かすぎるのが玉にキズですが、それも含めてわたくし自慢のメイドです。
あ、旦那さまとはラブラブですので、ワンチャン狙っても無駄ですからね。
「それにしても、あんなにおかしな挙動をするお嬢さまは初めて見ました。いったいどんな夢だったのですか?」
ようやく普段の様子に戻ったポピンズが、からかうように訊ねてきました。
どうせ夢ですし、隠す必要もないでしょう。わたくしもクスクス笑いながら話します。
「ふふっ、本当におかしな夢でしたのよ。この世界に魔王が現れて、人間を支配するなんて言い出すのです」
「まぁっ! それはそれは……」
ポピンズも思わずといった風に吹き出しました。
「それで、わたくしの体調不良も侵略行為の一環で、たくさんの人が同じように苦しんでいるの。それを食い止めるために多くの騎士や魔法使いが挑むのだけれど、皆返り討ちにされてしまうのよ」
「あらあら、それでは私たちは魔王になすすべなく虐げられてしまうのですか?」
「いいえ、そこに勇者さまが現れるのです! 比類なき武の才を与えられた少年が、頼れる仲間たちとともに魔王を打ち倒すのです」
「まぁ、胸躍る展開ですね」
「しかもですよ、その仲間になんとお姉さまがいるのです!
お姉さまは癒しの魔法に優れているため、『聖女さま』と呼ばれているのですよ」
「メラニー様が聖女ですか。とてもお似合いですね。……あ」
ポピンズが突然変な声を出しました。
どうせ何か忘れていたのでしょう。彼女はおっちょこちょいですから。
「レット様が元気になったらすぐにメラニー様にお伝えする、と約束していたのです。せっかくですし、会いに行きましょう」
「な、なんて大切な用事をわすれていたのです! すぐ、すぐ向かいましょう!」
お姉さまとの約束を忘れるなんて不届き千万です!
わたくしは風邪のせいで3日間も会えていないのですよ!
しかし、はたと気付きます。
「……でも良いのでしょうか。わたくし風邪を引いているのですから、人に会ったらうつしてしまうのでは」
お姉さまにうつして寝込ませてしまったら、わたくし一生自分を許せません。
しかし、わたくしの心配をポピンズは明るい笑顔で否定しました。
「大丈夫ですよ。ラチェッド様から『うつらない病気だから安心して看病に励みなさい』と聞いていますから」
「……それなら良かったです」
うつらない。
ラチェッド様が断言なさるなら、きっと本当にそうなのでしょう。
しかし、人に感染しない風邪などありうるものでしょうか。
「さぁ、メラニー様のお部屋にまいりましょう!」
ポピンズの後について歩きながら、先ほど捨てたはずの疑念が湧き上がってくるのを押さえられませんでした。
ポピンズが扉を開けると、お姉さまが輝かんばかりの笑顔で迎えてくださいました。
「レット! もう体の具合はよろしいの?」
「お姉さま! はい、もう元気になりました。お姉さまこそどこかお悪いところはありませんか?」
「わたくしは大丈夫よ。でも突然倒れたあなたたちが心配で胸が張り裂けそうでしたわ」
そう言って悲しげな顔をされるメラニーお姉さま。
ああ、いつ見てもお美しい!
前世の記憶を取り戻す前から、お姉さまは美人だなぁと憧れていましたが、改めてお顔を見ると目もくらむような美しさに見惚れてしまいます。
絹のように輝く金髪に、心の美しさを結晶化したような碧眼。少し垂れ目なのも優しいお姉さまにお似合いですわ!
わたくしの髪や目はお姉さまに比べると暗めの色をしているので、余計に美しく感じます。
齢10歳の身でこれほどのならば、成長した暁にはどれほどの美姫となられるでしょう。
ともに舞踏会へ上がる日が待ち遠しいですわー!
……って、え?
「あなた、たち?」
「ええ。レットと時を同じくして、わたくし付きのメイドや屋敷の使用人も数人意識を失ったの。彼らはまだ復帰していないわ。大丈夫かしら……」
そう心配そうに呟く姿はたいそう麗しく眼福でしたが、わたくしはそんな様子にも気付かないほど動揺してしまいました。
それ、あきらかに異常事態ではありませんかー!?
皆さま、この状況を何も不審がりませんの?
どう考えても風邪ではないでしょう!
「そういえば、街でもいくつかの店が休業しているそうです。子どもが元気な一方で働き盛りの父親が倒れる一家もあったとか。今年の風邪は老若男女問わないようですね」
そこまで違和感を覚えながら、何故結論に辿りつかないのでしょうか!
お姉さまもポピンズと「不思議ねー」とか顔を見合わせて首を傾げない! 可愛いすぎるでしょう!
これはもはや目を反らしているわけにはまいりません。
不可思議な同時多発意識喪失の発生、不可解なお医者さまの原因隠蔽。
予想通りのことが起こっているに違いありません。
それはすなわち、お姉さまの危機ということ。
「こうなったらこのスカーレット、全力全開で行きますわよー!」
「ど、どうされましたかお嬢さま!?」
「本当に元気になったようね、嬉しいわ!」
周囲との温度差が甚だしいですが、これもわたくしに与えられた使命です。
この魔王騒ぎ、わたくしが解決してみせましょう!
何から始めればよいかしら。まずは魔王の侵略がどの程度かを調べるところからでしょうか。
「お姉さま! 寝込んでいるメイドに会わせてくだ……あれららら?」
勢い込んで被害者の聞き取りから始めようとしたわたくしですが、突然の眩暈でふらりと体が傾げました。
「ああ、お嬢さまったら病み上がりに興奮しすぎるから! 今日はもうお部屋に戻りましょう」
素早い反応で体を受け止めてくれたポピンズは、そのままクルリと向きを変えてドアへと向かいます。
ええっ、わたくしにはやるべきことが……!
あぁでも確かに視界はグラグラ揺れていますし、手足も鉛のように重たく感じます。
そういえばゲーム通りなら、わたくしは魔王の瘴気により病弱な体になってしまったという設定でした。
つまりこの体調不良は一時ではなく、これからずっと!?
チート付与どころか縛りプレイなんて、鬼畜設定すぎでしょう!
「基本設定の考え直しをようきゅうするー!」
「なに意味不明な事をおっしゃってるんですか。さ、寝ましょうね」