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君と、桜の下で。  作者: つづれ しういち
第二章 弥生
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3 思い出




「体のほうは、もういいのか」

「あ、うん……。もう大丈夫。心配かけてゴメンな」


 週明け、熱の下がった内藤は、久しぶりに学校に行くと言い出した。

 第一志望合格の件は、すでに電話で担任には伝えてあるけれども、一度会いに行って直接報告するということだった。

 そんなわけで、今日は佐竹も同行し、二人で久しぶりに制服を着て、高校へ向かうことになったのだ。

 週末の曇天が嘘のように、今日の空は少し春めいた、明るく温かなものになっている。


「もうすぐ、卒業なんだなあ……」


 電車の入り口付近に立ち、窓外を見つめながら、内藤が誰に言うともなしに小さな声でそう言った。佐竹もそれにつられるように、窓の外を流れてゆく見慣れた町の景色に目をやる。

 通勤時間帯を過ぎた車内の乗客はまばらで、手許のスマホに目を落としている者ばかりだ。わざわざこちらを観察しているような客はいない。


 ちなみに街なかで内藤とこうしていると、時おり意味ありげな視線を感じることがある。こちらは別に一般的な友人同士と変わりない話をしているだけのつもりでも、なにやら意味深な目線でちらちらとこちらを窺っている女子学生だの、会社員風の女性だのにたまに遭遇することがあるのだ。

 あちらは気付かれていないつもりなのだろうが、あいにくと佐竹にそれは通用しない。こちらに向けられている()については、たとえそれが殺気でなくとも、やはりどうしても一般人よりは敏感だからだ。

 以前にも同様の視線を浴びてはいたので、この関係を見抜かれているとまでは思わないが、気を抜けないのが困りものだ。まあ、彼とこういう関係になったから余計に気になるだけの話かもしれないのだったが。

 無論、そんな時、佐竹はそれをわざわざ内藤に知らせるようなことは決してしない。彼が急に表情を変え、おたおたと挙動不審になるのは目に見えているからだ。


 佐竹のそんな内心などちっとも知らないで、内藤は電車の軽い震動に身を任せながらぽつりと言った。


「なんか……変な感じ。俺、考えてみたらあの高校、十年も前に入ったんだよな――」

「…………」


 佐竹は黙って、そう呟いた内藤の横顔を見つめた。

 内藤の言は正しい。

 もちろん、周囲の人間にそんなことを言えば笑われるだけの話だが。

 彼はあの異世界に囚われて、そこで七年もの歳月を否応なく奪われた。だから、この高校三年を足せばそれは、確かに十年かかってやっとこのほどあの学校を卒業できるという話になるわけだ。

 体についてはあちらの世界で十代のものに戻してもらえたとは言え、内藤の()()は実は、佐竹よりもずっと年上であるということになろうか。つまり計算上、内藤は精神年齢だけは二十五歳だということになる。


(……まあ、そんな風にはまったく思えんがな)


 多少、皮肉な思いでそんな事を考えていたら、途端、下から恨めしげににらまれた。


「……いま、『そんな風には見えねー』とか、思ったろ」

 内藤にしては珍しく、声が地を這っている。

「…………」

 少し驚いて片眉を上げたら、内藤は「ふんっ」と横をむいて膨れっ面になった。

「そんなの、わかんないと思ってんのか。どんだけの付き合いだと思ってんだよ」

「……そうだな。これから、もっと()()()()()()になろうとは思ってるな」


 半眼になり、しれっとそう切り返したら、内藤は一瞬、きょとんとした。


「な……」


 次にはもう、ぶわっと耳まで赤くなる。

 佐竹は、心中密かに「してやったり」と笑った。

 しかし勿論、微妙に体をずらして彼の表情を他の乗客の視線から隠すことは忘れなかった。


 それでいい。

 その顔が、見たかったのだから。


「ななっ、何、言って――」

「もう着いたぞ。早く降りろ」


 制動がかかって電車が止まり、佐竹は扉が開くのと同時に彼のダッフルコートの首元をむんずと掴んで外へ引きずり出した。


「な、なにすんだよっ。放せよ! 分かってるよ。自分で歩けるっ……!」

「病み上がりの奴が何を言う。いいから大人しくしていろ」

「大丈夫だってば! い、一応、《鎧》の薬も飲んで、すぐによくなったんだから――」


 そう言いながらじたばたしている内藤には構わず、彼の襟首を掴んだまま、佐竹は彼を引きずるようにしてぐいぐいと大股に歩いた。

 こんな()()でもしない限り、人目のあるところで彼に触れることは憚られる。

 が、内藤はそんな佐竹の諸々の意図に気付く風はまるでなく、ただ憤慨しているだけのようだった。


 彼がそれに気付くのは、一体いつになることだろう。

 まったく、先が思いやられる。





 高校の職員室に出向き、担任に合格の報告を済ませて、二人はしばらく、校内のあちらこちらを見て回った。

 今日も一、二年の授業は普通に行なわれており、三年生だけは図書室での勉強やその他の活動のためにちらほらと登校しているばかりである。授業中のため、廊下や中庭にはあまり人影は見えなかった。


 以前、物陰から内藤を隙見してしまったあの中庭にやってきて、佐竹はふと、隣を見た。彼も似たようなことを考えていたものか、あのベンチをじっと見てから、そっと佐竹を見上げてきた。


「あの時、見てたんだよな……? お前、……俺のこと」

「……ああ」


 それは、高校二年の初夏のことだ。

 彼があの世界に囚われる前、この場所に一人でいるところを、たまたま佐竹は目にしていた。

 あちらの世界にあった《鎧》は、高度な科学文明の産物だった。それには人の記憶を蓄積し、そこに入った者にそれらをまるで夢を見るようにして見せる機能がある。だから内藤はあの《鎧》によって、佐竹がそのとき、ここから自分を見ていたことを知ったのだろう。


 突然の事故で母親を亡くしたばかりだった内藤は、クラスメートの前ではごく普通に笑ったり、冗談を言ったりしていたのだったが、たった一人、この場所にいたときに、佐竹はごく偶然に、その素顔を垣間見ることになったのだ。

 ただ呆然とくうを見つめて、ひたすらに涙を零し続ける、彼の姿を。


「……なあ。いつからだったの」


 するりと内藤の手が自分のそれに指を絡めてきたのに気付いて、佐竹は怪訝な目でまた彼を見下ろした。


「なにがだ」


 中庭には今、ほかに誰も居なくなっている。


「いつから、……その」


 内藤は、また頬を少し赤くしている。


「お、俺のこと――」

「…………」


 佐竹は少し、面食らって沈黙した。

 確かにそう訊かれると、いつ、どこの時点で「友情」がそれとは別の次元の感情に変わったのか、自分でも確たることは分からない。

 あの異世界で、脇目もふらずに彼の姿を求めてがむしゃらに進んでいたときか。

 それとも、あの世界から戻ってきて、こちらでの高校生活に戻ってからか。

 ……はたまた。


(この場所、あの時点だ……ということが、あるのか……?)


 いや、ことによるとそうかも知れない。

 この場所で初めて彼の涙を見て、自分は少なからず心を揺さぶられた。

 そのことは、紛れもない事実だろう。

 それがあったからこそ、あの日、あの時、スーパーの惣菜売り場で彼に声を掛けたのだから。


 たとえばもし、ほかのクラスメートの男子が同様にして、あそこでどの惣菜を買おうかと迷っていたのだとしたら。あの時の自分がそいつに声を掛けたかといえば、まずありえない話だと思う。

 「ああ、クラスメートの奴がいるな」と、ただそう思って通り過ぎる、それだけのことだったに違いないのだ。

 しかし。


「いや……すまん。分からんな」


 やはり、どの時点から()()()()()かなど、はっきり分かるものではない。

 「友情」とそれ以上の感情との境界がいったいどこから始まるのかさえ、今の自分には分からない。


 あの異世界で、ただひたすらに「彼を救うのだ」と念じて進んでいたとき、自分の胸に去来していたのは彼を案じる気持ちだった。

 母を亡くし、小さな弟を抱えているために好きだったバスケもやめ、家事に追われていながらも笑顔をたやさないで頑張っていた内藤。

 その彼を、ただ助けてやりたかった。

 だからその時はただ、それは「友情」に端を発した「憐憫の情」に近いものに過ぎなかったのかも知れない。


 「いやそれは、やっぱり友情を越えているだろう」と言う者はいるだろう。だが、だからといってあれが今、彼に対して覚える感情と同じものだったかと訊かれれば、佐竹は沈黙せざるを得ない。

 ただ、こちらへ戻ってきて、彼を誰かに奪われる、または死によって彼と分かたれる恐怖を覚えたときに初めて、佐竹は自分の感情の本質を理解した。

 もしもあのことがなければ、自分はいまだに、胸に意味不明の痛みを覚えながらも中途半端な立ち位置のまま、彼の隣に「友人」として立っていなければならなかったことだろう。



「……そか」


 どうにも煮え切らない答えを返し、あとは黙りこくってしまった佐竹を見つめて、内藤は苦笑を浮かべ、ちょっと寂しそうな顔になった。

 佐竹は彼の気持ちをひきもどすようにして、繋がれた手にぐっと力をこめた。


「だが……大事だ」

「…………」


 内藤が、目を上げる。


「それだけは変わらん。あの時も、今も……お前が大事だ」

「…………」


 内藤は少し、呆けたような顔で佐竹を見ていた。やがてゆっくりとその口角が上がって、にっこりとした笑みが浮かぶ。

 まだ咲かない花のかわりに、それが殺風景な中庭を華やいだものに変えた気がした。

 ごく普通の容姿の高校生男子であるはずなのに、佐竹はやっぱり、彼のこの顔が、この世でもっとも可愛いと思うのだ。


 と、内藤が身を寄せてきて、少し顎をあげてからそっと目を閉じた。

 明らかに、()()を待つ顔だった。

 それにただ誘われるまま、佐竹はその顎に手を掛けた。


 しかし。

 その唇に触れようとした刹那、校内のチャイムが鳴りだした。


「……!」


 素早く彼と握り合わせていた手を放して、距離をとる。

 すぐに校舎の中がざわつきだして、一、二年の生徒の姿が校舎の窓の中に現れはじめた。


「…………」


 内藤が、やや悲しげな目になって、ふと笑ったようだった。


(内藤……)


 付き合い始めてからこっち、彼がこういう少し大人びた顔をすることが増えている。

 佐竹はそれを、胸に痛みを覚えながら、黙って静かに見下ろしていた。

 


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