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君と、桜の下で。  作者: つづれ しういち
第二章 弥生
6/12

1 発表




 春、三月。

 弥生の月がやってきた。


 内藤の第一志望校の合格発表はまだだったが、その前に第二志望のための入試が行なわれることになっている。

 内藤はつい昨日、その試験を受けてきたところだった。


 明日はいよいよ、第一志望の合格発表である。

 昔は学内に受験番号が張り出されるものだったらしいが、今ではすっかり、自宅のパソコンで確認する仕様が主流だ。

 朝の十時になると同時に、合格発表のための専用のサイトを開いて、自分の受験番号によって合否を確認する。今年のその日は、土曜ということになっていた。



「あの、……佐竹」


 佐竹はその時、内藤家のリビングで、彼の弟、洋介の宿題を見てやっていた。呼ばれて目を上げれば、取り込んできた洗濯物を入れたかごを手にした内藤が、ちょっと所在なさげな目をしてこちらを見ていた。


「あ、……明日の、ことなんだけど」


 そこでふと、内藤は躊躇うように黙り込んだ。

 明日のことというのはつまり、合格発表のことであろう。土曜のことでもあって、高校は当然、休みだ。

 かれら兄弟の父である隆も、会社は休みのはずだった。

 だから佐竹は、以前から考えていた通りのことを口にした。


「俺なら、家にいる。分かり次第、連絡してくれればいい」

「え……。いや、あの――」

「明日は、隆氏もいらっしゃるんだろう。家族水入らずのところを邪魔するつもりは毛頭ない。俺は家にいる」

「…………」


 内藤は、それを聞いて少し困ったようにうつむいた。

 彼と佐竹の表情を見比べるようにして、洋介が変な顔になった。


「え? どうして? あした、にいちゃんの『ハッピョウ』なんでしょ? なんで佐竹さん、うちに来ないの……?」


 この少年も、今年はもう、小学三年生になる。

 佐竹の通う剣道場で剣道を始めたこともあって、だいぶ体もがっしりとしてきたように見えるのは、佐竹の欲目なのかも知れない。しかし、年のわりにはこのところ、内面的にもとても成長したように思われた。

 弟の後押しの言葉に、内藤も「わが意を得たり」とばかりにぱっと顔をあげる。


「そっ、そうだよ。……佐竹も、ここにいてくれよ」

「いや、しかし――」

「え〜っ。佐竹さんもいっしょに『ハッピョウ』聞こうよ。だって佐竹さん、ずっと兄ちゃんの勉強、見てくれてたんでしょ? 『先生』してくれてたんでしょう……?」

「そ、そうだよ。家族水入らずとか、関係ないよ。それにっ、さっ、佐竹はもう――」


 思わず何かを言いかけて、しかし内藤は、はっとしたように急に押し黙った。どうやら自分の弟が同席していることを思い出したらしい。

 洋介が、またちょっと変な顔になって、兄の顔を見上げている。

 内藤は弟の目線から逃げるように、洗濯物を持ってソファのところへ行ってしまった。そこでそれらを畳み始めながら、敢えてこちらを見ないようにしている。

 しかし、向こうを向いていても、その耳が随分と赤くなっているのが分かった。


「……とにかくっ。そんなの気にしないで、こっちにいろよ。……いいな?」


 そうしてやっぱり、こちらをまともに見ようともしないでそう言い放つと、畳めた洗濯物を持って、ぱたぱたと二階へ上がっていってしまった。

 洋介が、「どうしたの?」というような目でこちらを見ていたが、佐竹はそれに「心配するな」と言うようにして頷き返し、また何事もなかったかのように、洋介の宿題の世話を始めた。







 翌日、朝。

 

 彼に言われた通りに、佐竹はまた、内藤家を訪れた。

 合格発表の始まる十時より、十五分ほど早くのことだった。


 佐竹を迎えに出てきた内藤は、思った通り、やや青ざめた顔はしていたが、佐竹の顔を見ると明らかにほっとしたようだった。そうして、「じゃあ、いってくる」と言って少し笑い、自室のある二階へあがっていった。


「ああ、佐竹君。いらっしゃい」


 内藤の父、隆はリビングのソファのところで、緊張した面持ちで待っていた。洋介もその隣で、すこし神妙な顔をして座っている。

 佐竹は隆の前で、一度深く礼をした。


「いえ。こんな大切な日にまでお邪魔してしまい、まことに申し訳ありません」

「ああ、祐哉から聞いてるよ」


 生真面目な礼をする佐竹にちょっと手をあげて、隆は困ったように微笑んだ。


「だが、とんでもないよ。君こそ、今はここにいなければならない人だろうに。むしろ、祐哉が無理を言ったみたいで、こちらこそ悪かったね」

「いえ。……恐れ入ります」


 佐竹は固い表情のまま、再度、彼に礼をした。

 自分の母、馨子とはちがって、この人はごく普通の、当たり前な常識を併せ持った落ち着いた父親なのだ。自分たちの、この少し一般的とは言えない付き合いについても、色々と戸惑いはあったのだろうに、それでも条件つきとはいえ、こうして一応は認めてくださってもいる。

 佐竹としては、この人と洋介だけには、どんなことがあろうとも、自分たちの関係のことでできるだけの迷惑も、心の痛むような思いもさせたくないというのが正直なところだった。その思いは、あの内藤とて同様だろう。

 とはいえ、この日本に住んでいる限り、そうしたリスクと無縁でいるのはまだまだ難しいというのが現状ではあるのだったが。


「お茶がいいかい? 君はコーヒーだったかな」

「……いえ。どうか、お構いなく」


 喫茶を勧める隆の言葉をやんわりと固辞して、佐竹はひと言「失礼します」と断ると、二人からは離れたソファに腰掛けた。

 さして待つほどのこともなく、やがてリビングの掛け時計が控えめな音量で、からんころんとオルゴールのメロディを奏でた。

 十時だった。


「…………」


 隆は無意識に、佐竹の顔を見たようだった。

 二階では、なんの物音もしない。

 五分、十分と過ぎていっても、やはりことりとも聞こえなかった。


 やがて。

 ようやく二階から、ぱたりぱたりとゆっくりした足音が聞こえてきて、佐竹と隆は立ち上がった。

 ガラスの嵌まった廊下側の扉が開き、顔を蒼白にした内藤が姿をあらわす。


「内藤――」


 佐竹がそう言いかけた途端、内藤はぱっと口許に手を当てて、ばたばたと洗面台の方へと走って行ってしまった。

 佐竹はすぐにその後を追いかけた。

 内藤は、洗面台に両手をついて、上体を傾けていた。戻しこそはしていなかったものの、ひどく具合が悪そうだった。

 嫌な予感に苛まれつつ、佐竹はそれでも、ぐっと下腹に力を入れて、ごく静かな声で訊いた。


「大丈夫か」

「……あ。う、うん……いや」


 否なのだか応なのだかよく分からない返事をして、内藤は困りきった顔でこちらを見上げた。


「わ、……わわ、わかん……なくて」

「…………」


 怪訝な顔で沈黙した佐竹を見て、内藤はますます困った顔になったが、やがて手を伸ばして、佐竹の着ているニットの袖をぎゅっと掴んだ。


「ちょっと……ごめん。見て、くれる……?」

「……何を言ってる」


 訳がわからずにしかめっ面になった佐竹を、内藤はもう有無を言わさずに引っ張ろうとしている。どうやらそのまま自分の部屋へと連れて戻ろうとしているらしかった。

 隆と洋介も彼を心配して洗面所の入り口まで来ていたが、彼は二人のことは、ただちらっと見ただけで目を背けてしまった。

 仕方なく、佐竹は目だけで隆にその意向をうかがってみた。すると、隆はいかにも「頼むよ」と言うような目でこちらに頷き返してくれた。

 それを確認してからやっと、佐竹は隆に会釈をして、内藤とともに二階へあがった。



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