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君と、桜の下で。  作者: つづれ しういち
第二章 弥生
12/12

7 くちづけ




「ん、……んん」


 何度も唇をついばまれて、内藤は佐竹のジャケットの胸のあたりをぎゅっと握り締めた。

 いつもは一度か二度触れるだけで離れてゆく彼の唇が、今日は何度となく触れてくれている。そして、いつもよりそのひとつひとつが長く思われた。

 佐竹の唇が、熱い。


「ん、佐竹……?」


 やっと少し唇が離れて目を開けると、額がくっつくほどの距離からじっと、目の奥を覗き込まれた。


「嫌か? ……先日、言われた通りにしてるんだが」

「あ、……ああ」


 なるほど。

 先日、「この受験に受かったら」と彼と約束したことを、内藤は思い出した。

 「いっぱい、ちゅうして」とお願いした、あのことを。


「ううん。……ちょっと驚いたけど。イヤじゃ……ないよ」


 首をわずかに横に振って、内藤は佐竹の肩口にぽす、と頭を乗せた。


「まだ……足んない。……もっと、してよ」


 そう言った途端、内藤は腰の辺りを抱かれたまま背後へ押された。背中が桜の幹につく。

 そのまま、両腕で抱きしめられた。


「……馬鹿野郎。あまり煽るな」


 押し殺したような佐竹の声はとても低くて、いつになく艶めいているように聞こえた。


「言ったはずだ。『隆氏の許容範囲を越えるつもりはない』、とな」

「…………」


 それはまあ、そうなのだけれど。

 ちょっとつまらない気持ちになって、内藤は唇を突き出した。

 こうやって抱きしめてくれることも、キスももちろん、嬉しいけれど。

 それ以上を求めてしまうのは、やっぱり若いからには仕方のないことなのに。

 クソ真面目すぎるほど真面目な佐竹は、父の目のないところだけでなく、他人の目のないところでも、決してその「境界」を越えようとはしない。


 いや、分かっている。それが自分のせいでもあるということは。

 なぜなら自分はきっと、その「境界」を越えたあと、間違いなく父の前で()()()()になるからだ。情けない話だが、内藤にはもはや、そう言いきるだけの自信がある。いや、それを「自信」と言っていいかどうかは知らないが。

 ともかくきっと、いや間違いなく、あの父の目はごまかせない。

 「あ、越えたな」と、すぐに見抜かれてしまうに決まっている。


 それはこの佐竹に、父との約束を破らせてその信頼を裏切らせるということなのだ。

 「不言実行」と「有言実行」の権化みたいな、この男に。

 やっぱりそんなことは、内藤にも出来ない相談なのだった。

 そしてそれは、二人できちんとした未来を築くためにもとても大切なことでもある。


 しかし、それ以外にも、内藤にはとある不安があるのだ。

 つまり。


(別にそんなに、俺なんかとキスしたいわけじゃない、のかなあ……)


 そんな風に考えると、また頭の中がぐるぐるし始めるので、いつもは考えないようにしているのに。

 ふと、先ほど学校で彼をとりまいていた女の子たちの姿が脳裡をよぎった。

 小さくて、可愛くて、髪の毛なんかふわふわしていて。丸みを帯びた体つきに、見るからに柔らかそうな小さな手だとか、細い腰だとか。可愛くて高い声だとか。

 男だったら、普通なら誰だってあっちを取るだろう。

 それをわざわざ、こんなごつごつして筋張った、胸なんかぺったんこの男を相手にしようなんて。


 別にもともと、佐竹は男を愛する人なわけではなかった筈だ。

 それはもちろん、自分だってそうだけれども。

 でも今は、何故かこんなことになってしまっている。

 理由がよくわからないから、内藤はもう考えだすと、余計にどんどん思考がマイナスの方向へ傾いていってしまうのだ。


 「いつかはきっと、飽きられるんだろうな」とか。

 「いつかは普通に女の人と結婚したりして、子供が欲しくなるんじゃないの」、とか。


 そして、たとえそうなっても、自分は決して、佐竹を責めるような資格はないのだ。

 その時はきっと、彼のために、自分は身を引くつもりでいる。

 きっと泣いてしまうだろうけど、それでもそうするつもりでいる。

 そのあと、ちゃんと一人で生きていけるのかどうかなんて、まったく自信もないけれど。

 でも、それでも必ず、そうしようと思っているのだ。

 

(だって……、だってさ。)


 自分は佐竹に、幸せになって欲しいのだ。

 その隣に自分が居るかそうでないかは、厳密にはそれとは関係がない。

 それはもちろん、居られたらそれに越したことはないけれども。


「……どうした」


 佐竹の怪訝そうな声が耳に入って、内藤は目を上げた。

 その時にはもう、とめられなくなった熱い雫が、ぼろぼろと頬を伝って、ぽたぽたと制服の胸や地面に降り落ちていた。

 心配そうな佐竹の目を見て、余計に胸がきりきり痛んだ。

 それでも内藤は、涙はそのままこぼしながらも、彼に向かって微笑んだ。


「ううん。……ごめん。何でもないんだ」


 佐竹の眉間に、ぎゅっと盛大に皺が寄ったかと思うと、もう次の瞬間には、内藤の身体はその腕に凄い力で抱きしめられていた。


「だから、……煽るな」


 そのまま、額に、頬に、顎に、首筋にまで、キスの雨を降らされる。

 ついに耳にまでキスされて、耳朶を唇で優しくまれるに至って、内藤は飛び上がった。


「ひゃあっ!? ……な、なな……っどこ、咥えて――」


 が、佐竹は内藤の言葉になど頓着せずに、そのまま軽く音など立てながらうなじへと唇を這わせている。


「んあ……っ」


 くすぐったくて仕方がない。

 ……それに。


(な、……なんか、色々それ……ダメなんじゃ?)


 確かに、()()()()()のキスはキス。

 しかし。

 もしもこれを、()()()へ施されていたのだとしたら、それはもはや――


「だっ……だだ、ダメだって! 佐竹……ひゃんっ!」


 襟のぎりぎりの位置を唇でなぞられて、変な悲鳴まであげてしまった。

 彼のブレザーの背中に必死でつかまっていた両手から力が抜ける。両膝からも抜けてしまって、このままならへたりこんでしまうところを、佐竹の腕ががっちり腰をとらえていて、どうにかこうにか体勢を保っている状態だ。


「あ、……あ、……さた――」


 と、そのとき。

 突然、ごうっと風が湧き起こった。


「……わ!」


 それはなんだか、巨大な生き物がくしゃみでもしたかのような勢いで、ざわざわ、ごうごうと周囲の木々を掻きまわし、あっという間に天へ向かって駆けのぼっていった。

 その激しさに耐えられなかった桜の花びらがぱらぱらっと宙に舞い上がって、つぎには何事もなかったかのようにひらりひらりと、二人の上に舞い落ちてきた。

 

「…………」


 佐竹は内藤から顔を離して、舞い落ちてくる桃色の小さな花弁を見つめていたが、なんだか不思議な表情をしていた。

 そう、ちょうど、憑き物が落ちたような、我に返ったというような顔だった。

 そうして内藤の体から手を離し、顔の下半分を片手で覆うようにして、こちらからふと目を逸らした。

 今になってやっと、彼の中に、彼らしい理性が戻ってきたのかも知れなかった。


「……すまん。やりすぎた」


 ぼそっと言う声が、今まで聞いたこともないような色をしている。

 明らかに、佐竹が羞恥を覚えているのがわかった。


「え、……あ、いや。うん……」


 内藤も、なんと答えたものやら分からずに、耳を熱くして俯いた。

 ただもう大声で叫びだしたくなるぐらい、ひたすらに恥ずかしい。

 いま彼の唇に触れられた場所が全部、「もっと、もっと」と悲鳴を上げるみたいにして熱かった。


 あのまま身を任せてしまっていたら、いったい自分はどうなっていたのだろう。

 そう思うと、もう内藤は、猛ダッシュでどこか木のうろにでも駆け込んで、すぐさまもぐり込みたい気持ちになった。


「察するに、山の神のお怒りを買ったかな」


 しばらく沈黙していた佐竹が、とうとう自嘲するような声でそう言った。

 内藤は目を上げた。


「へ? 山の……神様って?」

「山の神は、昔から女と決まっているだろう。古来より、日本の山が女人禁制だったのはそのためだからな」

「あ、へ〜……。そうなんだ」

 ぽかんと口を半分開けたようにしてそう答えたら、佐竹がちょっと苦笑した。

「まあ、とは言え、お前は女じゃないんだが――」

 それを聞いて、内藤は少しむっとする。

「ったりまえだろ。今さら、なに言ってんだよ……」

「男だろうが女だろうが、無闇に山でこういうことをすれば、山神さまはお怒りになるんだろうよ。要するに、『リア充』はお気に召さないというわけだ」


 そう言ってぽすぽすと、佐竹はまた内藤の頭を軽く叩いた。


「いや、リア充って……」


 内藤は、がくりと肩を落とす。

 それほどこの男の口から出るのに違和感のある単語もない。

 佐竹はそんな内藤を、不思議な色を乗せた目でしばらくじっと見ていたが、やがてくるりと踵を返した。


「……そろそろ戻るか。洋介を迎えに行く時間だろう」

「あ。ほ、ほんとだ――」


 言われてスマホを確認して、内藤もぎょっとした。

 思った以上に、ここで時間を使ってしまっていたようだ。慌てて、もう先へと歩き出している佐竹の背中を追う。


「ま、待ってよ、佐竹……!」


 すぐに立ち止まり、振り向いて内藤を待ってくれている長身の影に駆け寄って、内藤は一度、威儀を正した。

 まっすぐに佐竹を見る。


「あの、……あのさ」


 ちらほらと、まだ桜が降っている。

 佐竹は静かな目をして、こちらを見ている。


「あの……ありがと。……いやっ、ありがとうございました!」


 言って、内藤はぱっと彼に向かって頭を下げた。


「ずっと、勉強見てくれて。……おかげで無事に、大学に合格できた」

「…………」


 やっぱり、佐竹は無言である。

 先ほどのものとは意味の違う熱いものが、ふたたび内藤の目元にあふれた。

 何かが喉にからんでしまって、内藤の声はきしんで歪んだ。


「ほんとに……本当に、ありがとうございました」

「…………」


 頭を下げたままで、彼の表情はわからなかったのに、確かにそのとき内藤は、佐竹の()がふっと緩んだのを感じた。

 

 彼の足が、こちらへ近づいてくる。

 頭を上げかかったところを、そのままぎゅうっと抱きしめられた。


「いいや。……お前が頑張った、それだけだ」

 低い佐竹の声が耳朶をうつ。

「だが、お前の役に立てたのなら、それは望外の喜びだ」

「…………」

「貴重な体験をさせて貰った。……俺の方こそ、礼を言う」


 最後にただそう言って、佐竹は山の神様の目からそれを隠すように、内藤の頬を両手で挟んで、そっと優しい口付けを落としてくれた。



 満開の桜には、もうすこし。

 けれどここには、すでに花が咲いている。


 ひっそりと、こっそりと。

 誰に知られることもなく。



(……なんか、俺たちみたいだよな。)



 優しく唇を喰まれながら、内藤はぼんやりと、ただそんなことを考える。


 彼と、一緒に。

 いつかは、終わってしまうのかもしれなくても。

 だからそれまでは、せめて、少しでも一緒にいよう。



「愛してるよ……佐竹」



 キスの合間に消え入るような声で告げたその言葉は、

 果たして彼に届いたのか。


 弥生、三月。


 そっと互いのぬくもりを確かめ合いながら、

 内藤は静かに目を閉じた。

 


                         完





2017.4.8.Fri.~2017.4.20.Thurs.

(執筆:2017.4.7~2017.4.17.)


ここまでお読みくださった皆様、まことにありがとうございました。

いつかまた、どこかで。

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