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君と、桜の下で。  作者: つづれ しういち
第二章 弥生
11/12

6 桜舞う




 さほど歩くこともなく、その桜の木は見つかった。

 バス道へとおりる坂道とはちょうど反対側の、山へ登るほうの小道へ入り、少しうねうねと曲がる道なりにちょっと入った場所だった。


「わあ。綺麗だなあ……」


 時おり山鳥のものらしい鳴き声がするほかは、下の方で流れている川のせせらぎが聞こえる程度で、そこはとても静かだった。ほとんど風はないけれども、ときたまざあっと、春の香りを含んだ風が吹きすぎてゆく。

 見はるかせる眼下の街の景色が、青空の下、うっすらと春霞にぼやけて見えた。


「ああ。見事な枝ぶりだな」


 小道に覆いかぶさるように枝を張りのばしたその桜は、いま、ちょうど満開のようだった。やや強い風が吹くいっときだけ、ほんのひとひら、ふたひらの花びらが、宙をくるくると舞い降りてくる。

 ソメイヨシノが咲き始めるよりは随分と早い時期だし、花びらもなんとなくそれよりも大きくて、色味がやや強い。

 なんだか、ちょっとうつつのこととは思えないような場所だった。


「……内藤」


 少しぼうっとして、その幻想的な桜の姿に目を奪われていたら、隣から佐竹に静かな声でそう呼ばれた。

 振り向くと、彼の手にネクタイがきちんと折り畳まれて乗せられていた。たった今、首から抜き取ったものらしい。それを黙って、こちらに差し出している。


「受け取れ。お前のものだ」

「…………」


 相変わらず、真面目できりりと整った彼の顔と、そのネクタイとをしばらく見比べてから、内藤はこくんと頷いた。


「……うん。ありがと……」


 湧きたつ気持ちを抑えながらそれに手を出そうとしたら、すい、とそれは絶妙のタイミングで内藤の手から離れていった。

 不審に思って目を上げると、佐竹がほんのわずか、口角を引きあげているのがわかった。


「お前は、くれないのか」

「え……」

「見たところ、どれも誰にも奪われずに済んでいるようで良かったが。……お前は、俺にはくれないのか」

「…………」


 それを聞いて、内藤はちょっとむっとする。

 確かに自分は、今日、女子の誰からも「ボタンください」だの「ネクタイください」だのは言われなかった。

 言われなかったが。


(大きなお世話なんだよっ……!)


 どうせ自分は、佐竹のようにもてたりしない。

 女子に嫌われているとまでは思わないが、これまで異性からは一貫して「ただの友達」以上のものとして認識されることのない人生を送ってきたのだ。小学校のときも中学校のときも、ずっとそうだった。

 「内藤くん」また「祐哉くん」は、彼女たちにとっては飽くまでも「いいお友達」。

 どこまで行っても、それ以上にはなりえない者。

 「友達」以上でも以下でもない存在だったのだ。


 少し膨れっ面になった内藤を見て、佐竹はやや沈黙した。


「……すまん。別に他意はなかったんだが」

「…………」


 他意がないからこそ、余計に心に刺さることだってある。

 別に佐竹が、悪意があってそんなことを言ったとは、さすがに内藤も思っていない。

 しかし、なんだか不思議に、素直になれない自分がいた。

 やがて、黙って俯いている内藤の手を掴み、佐竹がそっとネクタイを握らせてきた。


「……俺は、感謝しているぞ」

「え?」

「お前の物を欲しがる奴がいないでいてくれてな。……本当に、感謝している」


 思わぬことを言われて、内藤は目を上げた。

 自分の手にネクタイを握らせて、そのままそれごと握ったまま、佐竹はそこをじっと見ていた。


「もしもそうだったら、今日みたいな日はさぞかし、終始気が気じゃなかったろうからな」

「え……と。それって――」


 その目の色は、何かを思い出しているようにも見えた。そしてやがて、その目がじろりと内藤を睨んだ。

 いや、別に睨んだつもりはなかったのかもしれない。しかし、彼の鋭い瞳に射抜かれると、だいぶ慣れた内藤でさえ時にどきりとするほどに、その眼光には力があるのだ。


「今朝も思ったが。大体お前は、ちょっと簡単に他人に体を触らせすぎだ」

「はあ? な、なに言って――」


 戸惑う内藤には構わず、佐竹はその手を握る手に力をこめた。

 それは、ちょっと痛いぐらいだった。


「覚えているか? 《鎧》同士で通信をして、北のフロイタールと南のノエリオールとで会談を行なったときのこと」

「え? ……あ、ああ……うん」


 突然、話があの異世界のことに飛んで、どうも内藤はついていけない。

 異世界へ囚われ、自分の意識を脳の奥底に閉じ込められて北の王として過ごすことを強要された形になっていた内藤は、あるとき、南の王によって掠め取られた。

 その後、自分の意識をもとのように取り戻し、人質のような者であるにもかかわらず、何故か自分は佐竹にそっくりの南の王、サーティークに気に入られたようだった。

 会談の間、内藤と佐竹は互いの国の《鎧》の画面を通じて互いの姿を見るしかできなかった。二人はどちらの国の人間でもないというところを買われて、両国の仲介役に抜擢されていたのである。


「あの王、何かことあるごとに、お前に触っていただろうが」

「はあ? って、陛下のこと? そうかなあ……」


 なんだか、佐竹の目に殺気が宿っているのだが。

 しかし内藤は、どうもぴんとは来なかった。

 確かに冗談で「ほかにできる仕事がないなら、俺のねやに侍ってみるか」なんて訊いてきたり、いわゆる「壁ドン」されたりなんかしたのは、今となってはいい思い出だけれども。


 そう言ったら、明らかに佐竹が鼻白んだ。


「……どこが『いい思い出』なんだ」

「え? いやいや。そんなことないって。結局なんだかんだ、すごくよくしてもらったし。大体、陛下、ちゃ〜んと可愛い奥さんだっていたんだからさ。って言ってもまあ、あの時はもう、亡くなっちゃってたんだけど」

「…………」

「『綺麗』っていうよりは、『可愛い』って感じの人だったみたいだよ。そんな美人じゃなかったみたいだけど、とにかく陛下の話を聞いてたら、あわてん坊ですぐ真っ赤になって、ちょっとしたことで泣いちゃったり、テンパったら物凄い勢いで駆け出して、王都の外まで行っちゃったりさ……。すげえ可愛い人だなあって、俺も思って――」

「…………」


 内藤の言葉を聞くにつれて、ますます佐竹の目つきが険しくなった。

 いやもう、完全に据わっている。

 なんだか口の中でぼそっと「あの王、やっぱりひと太刀浴びせておくべきだったか」とか言ったようなのは、気のせいか。


(ど、……どうしたんだよ?)


 どんどん機嫌の悪くなる佐竹を前に、内藤はおろおろしながらも考えた。

 そして、慌てて自分の襟からもネクタイを引きぬいた。


「まっ、まあ、いいじゃんか! 別に何事もなかったんだし。それより、これっ。……欲しいんだろ?」

「…………」


 佐竹はそんな内藤の誤魔化しになど微塵も乗るつもりはなさそうだったが、突き出されたネクタイについては、至極あっさりと受け取った。

 それはそれ、これはこれ、ということか。


(ったくもう、しょうがないなあ……)


 しかし内藤は、先ほどまでとはうって変わって、今度はにやけそうになる自分の顔を叱咤しなくてはならなかった。

 佐竹は明らかに、自分のことで嫉妬してくれている。

 あの黒の王サーティークのことしかり、今朝の翔平のことしかりだ。

 とにかく佐竹は、誰か他の男が内藤に気安く触れることが、どうにも我慢ならないらしい。

 そう思ったらもう、どうにもこうにも、内藤の頬は緩んでしまった。


「……なにをにやにやしてるんだ」

「え、いやいや! なんでもないよ。それより、貸せよ。結んでやるから」


 内藤の渡したネクタイを佐竹が自分で締めようとするところを、内藤は手で遮ってそう言った。そのまま、彼の襟元でネクタイを結び始める。

 すると、佐竹もまた黙って内藤の手にある自分のネクタイをとりあげて、内藤の襟を持ち上げ、そこに掛けてくれた。

 そのまま二人は無言でしばらく、互いのネクタイを締めあった。

 しゅるしゅると、布の触れ合う音がする。


「ちょっと緩めにしといてよ? 俺、きついの苦手だからさ――」

「知っている。黙っていろ」


 やや機嫌の悪さをひきずったような声だったが、佐竹のそれはだいぶ先ほどよりは柔らかいものに戻ったようだった。

 

「はい、できた」


 内藤がにこっと笑って、結べた佐竹のネクタイをぽんと叩いたときにはもう、佐竹は内藤のそれを結び終わっていた。


 そのまま、黙って見つめ合う。

 どちらからともなく手が伸びて、そのままぎゅっと抱きしめあった。

 佐竹の低い声が、すぐ耳もとで囁いた。


「……卒業、おめでとう」


「ありがとう。……お前もな」


 さらさらと、いたずらな風が桜の枝をなぶってゆく。

 二人は少し体を離すと、そっと静かに唇を重ねた。




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