1 内藤
その年の、二月はじめ。
その日のことを、俺はやっぱり、どこかそわそわしながら待っていた。
(大丈夫。……大丈夫)
そうだ。
だって、あいつは佐竹なんだから。
俺とはそもそも、頭の出来からなにから、根本的に違うんだし。
(……でも。)
そうなのだ。
何が心配って、何より自分が、この自分が一番、あいつの勉強の足を引っ張っているのに違いないっていう、そういう自覚があるから。
だから、ほんとのほんとにあいつの口からその結果を聞くまでは、俺はずっと、やっぱり心配でたまらなかった。
「わかったら、すぐ教えろよ。すぐだぞ。……すぐ!」
あんまりしつこくそう繰り返すもんだから、あいつはしまいに、俺の頭をぐしゃぐしゃ掻きまわして、ちょっと怒ったような声でこう言った。
「何度も言わんでも聞こえている。そんなことより、お前はお前の心配をしろ」
「……う。そ、それは……わかってるよ」
そう言われてしまうと、俺はただ、しゅんとなって俯くしかなかった。
あの世界に囚われて、あいつに助け出されてからこっち、俺は「ゼロから」どころか、相当マイナスな所から、高校生としての勉強を再スタートさせることになった。
俺なりに、必死に頑張ってきたつもりだったけど、このところ、どうも成績が伸び悩んでる。
「そんなのは当然だ。今までさぼってきた連中も、嫌でも性根を入れざるを得ない時期なんだからな」
だからこの時期、ちょっとぐらい頑張っても、偏差値はそうそう上がりはしない。あいつは、そう言いたかったらしいけど。
それは理解できたけど、それでも、返ってくる模試の結果を見れば、出てくるのは溜め息ばかり。目標にしてる大学の教育学部には、まだ少し届かないぐらいのところでずっと止まったままなのだ。
一月のセンター試験だって、思ってたよりもずっとひどい出来だった。
佐竹がそんな俺のことを心配してくれてるのは分かってる。
(でもさ……。)
けど、佐竹だって受験生なんだ。
俺の心配ばっか、してる場合じゃないはずなんだ。いや、「心配させなきゃいいんだろ」って、それも本当なんだけどさ。
それが出来ないから、困ってるんじゃないか。
もちろん、あいつが受けたのは、俺の行きたい大学なんかよりもはるかに難しくってレベルも上の学校だ。
本当だったら、人の心配なんかしてないで、自分の勉強で必死になってるのが普通のはずの学校なんだ。他の受験生はみんな、目の色かえてそうやってるはずなんだから。
あいつは、そんな大事な自分の受験生としての時間を使って、俺なんかのためにずっと家に来てくれて、勉強のサポートをしてくれてる。そう思ったら、こんな成績でうろうろしている自分が情けなくて、悔しくて、ほんと涙が出そうになる。
いや、ほんとはあいつに見られないように、ベッドの中とかで何度かそんなこともしちゃったけど。
……でも、あんまり意味はなかった。
あいつ、最近、ものすごく勘がよくなってる。
もともと良かったところにもってきて、輪をかけてよくなってる。
特に俺のこととなると、なんかもう、ひと目顔を見ただけで、昨夜何があったかまでぜーんぶ見てたんじゃないかって思うぐらいにお見通しらしい。
いや、なんかちょっと怖いけど。
目なんて別に赤くもないし、顔が腫れてるとかいう訳でもないのに、そんな日の翌朝は、あいつは決まって眉間に皺を入れて「何があった」って睨んでくる。
そんで、えっと……、すごい力で抱きしめてくれたり、する。
いや、もちろん人目のないとこで、だけど。
「心配するな」って、なんか子供にするみたいにして頭をぽすぽすされちゃうと、そんなつもりはなかったのに、俺、うっかりまた泣いちゃったりして。
……恥ずかしいな、もう。
「なんでもない」って、言ってるのにさ。
心配しすぎなんだよ、バカ野郎。ちょっと過保護すぎないか?
いいからお前は、今は自分の心配してろよ。
今日は、お前の発表の日なんだからさ。
時々、キッチンカウンターの上に置いたスマホを覗き込み、佐竹からの連絡を待ちながら、俺は洗濯物を干したり、夕食の下準備をしたりしながら待っていた。なんだかもう、勉強はまったく手に付かない。
いや、そんなこと言ったら確実に、あいつの拳骨を食らうだろうけど。
でも、しょうがないじゃん。手につかないもんは、つかないんだから。
(あ。でも、スマホに連絡してくるとは限らないのか――)
推薦入試の発表は、今朝の十時だ。
父さんは会社、洋介はもちろん学校に行っていて、いま、うちには俺だけしか居ない。
だからあいつは、家のパソコンで合否の確認をしたらすぐ、こっちに来る気なのかも知れない。
今日はそんなこともあって、高校は出席日数の足りない奴以外、一応、休みということになっている。でも受験生は受験生なんで、図書室なんかに勉強しにいく奴も多いけど。
(ああ。……早く、来ないかな)
なんでもいいから、早く知りたい。
早く安心したい。
ほんとは、ずっと、ずうっと不安だった。
俺のせいで、佐竹の大事な将来、だめにしちゃうんじゃないかって。
もしもそんなことになったらもう、俺、馨子さんにも申し訳なくって、どうしていいかわかんなくなる。どんなに謝ったってそんなこと、なにも、ひとつも償うことなんてできないんだから。
いくらあいつ自身が「そんな心配は要らん」って言っても、それで「はいそうですか」ってわけには、いかないじゃん。
と。
ついにその時、玄関のチャイムが鳴った。
俺はびくっと飛び上がり、持っていた洗濯物を思わず取り落とした。
そして、それを拾い上げるのも忘れて、そのまま玄関へ走っていった。