30円分の出会い
未だ考え中先生の「誰かこんな小説を書いてくれ【嘘作品紹介】」に悪乗りさせて頂きました。
チャリンチャリン♪
硬いアスファルトの地面の上で銅貨が元気よくホップして、軽やかな金属音を鳴り響かせた。
「あ」
その存在を忘れていたのだろうか、茶色く煤けた十円玉3枚は不意に緩んだ彼女の右手からするりとこぼれ落ちた。
なぜ握りしめていたのが十円玉3枚だったのか。何かのお釣りなのか、それともたまたまポケットに入れっぱなしだったのを何の気なしに取り出したのかは彼女にしか分からないだろう。
手のひらから解き放たれた3枚の銅貨は緩やかな放物線を描きつつ、地球の重力に引っ張られながら硬い地面に吸い込まれていった。
地面は滑らかに舗装されているとはいっても小さな硬貨にとっては凸凹しているもの。
地面にぶつかった銅貨達の行き先は不規則で四方八方、もとい三方に飛び散った。
手から銅貨が離れて行ったのを感じた彼女は急いで振り返り、しゃがみ込んで落ちた硬貨の行方を探したが、ばらばらに散らばってしまった30円を直ぐに見つけることは出来なかった。
「大丈夫ですか?何か落とし物でも?」
と、しゃがみ込んで銅貨を探す彼女の頭上からそんな声が降ってきた。
彼女が声のした方へ顔を上げると、グレーのシャツを着た青年が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
後ろから歩いて来た所で住宅街のど真ん中でしゃがみこんでいる彼女を不審に思い、声をかけてきたようだった。
「いえ、大したことではないのですが硬貨を落としてしまって……」
「それは災難でしたね。一緒に探しますよ」
「いえ、本当に大丈夫です。対した額でもないですし、ご迷惑はかけられません」
「気にしないでください。俺も探しますよ」
青年はそう言うと、彼女の言葉を待たずに周囲を探し始めた。
彼女は自分の粗相とたかだか30円を落としたくらいで目の前の青年の時間を奪ってしまうことに罪悪感を感じた。そして再度大丈夫だと青年に言おうとしたが、せっかくの厚意を無下にするのも悪いかとも思ってやめた。
迷惑をかけたくないのならこちらが素早く見つければいいだけの話だ。
青年が辺りを見回すと、少し離れたところにぽつぽつと3つの茶色い点を道の上に見つけた。
歩いて行ってそれを拾うと、落ちていたのは3枚の10円玉だった。
青年はそれを持ってしゃがみ込んで辺りを見渡す彼女の元へ戻ってきた。
「そこに30円ほど落ちてましたが、探しているのはこれですか?」
「え!?あ、ありがとうございます」
大した苦労もなくあっさりと落とし物が見つかって、また見当違いの場所を必死に探していたことに彼女は気恥ずかしさを覚える。
頬がかあっと熱くなるのを感じたが、両手を受け皿のようにして青年から3枚の銅貨を受けとると、手の中でチャラチャラ鳴る銅貨達をあらためた。
「落とした小銭はこれで全部ですか?」
青年はなおも辺りを見回して、他に硬貨が落ちていないかキョロキョロと確かめていた。
「ええそうです。手に持っていたのは30円でしたからこれで全部です。ありがとうございました」
そう言って彼女はぺこりと頭を下げた。
「それなら良かった。どういたしまして」
青年はほっとした様子で涼しげな笑顔を彼女に向けた。
彼女はその笑顔にちょっと見惚れてぽーっとなってしまったが、慌ててそれを取り繕うと、軽くスカートを払って立ち上がった。
「わざわざどうもありがとうございました。では私はこれで……」
「あ、あのっ!!」
彼女が青年にお礼を言い、その場を去ろうとすると、上擦った声が青年の方から聞こえた。
「え?」
青年は先ほどまでの涼しげな笑顔を少し強張らせ、何かを葛藤しているような表情で彼女を見ていた。
だが、その目は真剣にまっすぐと彼女の目を見ている。
そんな青年の様子に何かしてしまったのだろうかと彼女は不安になったが、続く青年の言葉でそれはなくなった。
「そ、その……連絡先を交換して貰えませんか?」
どこのナンパ野郎だ、と青年は自身にツッコミを入れる。だがそう言う他に言葉を思いつかなかったのも事実である。
端的に言えば目の前の女性に一目惚れしてしまったのだ。
住宅街を歩いていたら、道端に白いワンピースを着た女性がしゃがみ込んでいるのが見えたので気になって声を掛けたところ、ふと顔を上げてこちらを見てきた彼女に心を奪われてしまったのだ。
さらさらと滝のように肩から背中に流れる艶やかな黒髪に雪のように白い肌、整っていて鋭利な印象すら与える凛々しい顔立ちに時を忘れて見惚れた。
青年にとってそれはまさに運命の出会い。
彼女と目があった瞬間、青年は恋の矢が自分の心臓を射抜くのを幻視したのだ。
「え?それは……」
彼女は突然の申し出に戸惑った。
それもそうだろう。恋愛の経験はお世辞にも豊富とは言えない彼女だったが、もう子供という年齢でもないし、連絡先を聞いてくることの意味くらい分かる。
「す、すいませんいきなり。迷惑ですよね。赤の他人に連絡先なんて……ごめんなさい、今のはなかったことにしてください」
青年は明らかに困惑している様子の彼女を見て慌てて発言を取り消した。
見知らぬ人物から急に連絡先を尋ねられたら誰だって困惑するだろう。
それが女性だったらなおのこと。
連絡先が聞けないのは残念だが、ここで強引に行けば最悪嫌われてしまうかもしれない。
それはもっと嫌だった。
青年は泣く泣く諦めることにした。この町に住んでいるのならもしかしたらまた会えるかもしれないと、そんな淡い期待を慰めにしながら。
ここはおとなしく引くべきだろうと判断した。
「で、では失礼します」
青年は気まずくてその場にいられずさっさと立ち去ろうとした。
「……いいですよ」
踵を返そうとした青年の足はそんな彼女の一言でその場に縫い付けられたのだった。
「え?」
言われたことが急には飲み込めず、青年は口をぽかんと開ける。
「連絡先、教えてあげます」
彼が彼女をよく見れば、青年に視線を合わせずうつむきがちで顔と同じく色白なその耳がほんのり朱く染まっていたのが分かっただろうが、青年はそれどころではなかった。
彼女の口から発せられた肯定の言葉に歓喜のあまり何も考えられなかった。
「い、いいんですか!?」
まさか了承してもらえるとは思わなかったので、嬉しさ半分、驚き半分で声が裏返ってしまった。
「はい……是非」
「ほ、本当に!?」
嬉しくて、でもなんだか信じられなくて彼女に再度聞き返してしまう。
「本当ですよ。……30円のお礼です」
すると彼女は悪戯っぽくふふっと笑った。
「……30円のお礼?」
今度は青年が困惑する番だった。
「はい。30円のお礼です」
そう言う彼女の笑顔は、それはそれは眩しかった。
その後、彼女と青年は互いに携帯電話を取り出すと、電話番号とメールアドレス交換した。
ここで最近携帯を持ったばかりだという少々機械音痴な彼女との微笑ましいやりとりがあったのだが、ここでは割愛させていただく。
青年は電話帳に登録された彼女の連絡先を見て顔がだらしなくにやけてしまいそうだったが、彼女の手間必死に取り繕った。
手に入れた連絡先を再度眺めながら勇気は出してみるものだなと思った。
「30円を拾って連絡先を交換出来るなんて、なんだか逆に申し訳ないです」
嬉しさのあまり舞い上がり、気がつけばよくわからない事を口走っていた青年。
「あら、30円は十分大金ですよ?それに私も連絡先を教えて頂いたのですからおあいこでしょう?むしろ借りを返せていないのは私の方です。」
舞い上がっていたという点では彼女も同じだったのかもしれない。
青年は普段ならば絶対に言わない少々意味不明なフォローを返した。
「いえいえっ!連絡先を知りたかったのは俺の方ですからおあいこにはなりませんよ!むしろ30円で気になる美人の女性の連絡先を手に入れられたのだからお釣りが来るくらいです!」
言葉の端々にさらっと口説き文句が混ざり、彼女が頬を染めるが、青年は全く気付いていない。
そしてなおも彼らの少々意味不明な会話は続く。
「まあ……で、でも30円はやっぱり大金です。そうですね……公衆電話なら結構な時間話せるでしょう?」
「確かに……でもやっぱり30円は大金とは言えないんじゃ……50円、100円、500円と上には上がいますし」
「それこそ昔は10円玉が最大硬貨だったんですよ。新参者の50円達とは歴史が違います」
「でも物価が上昇し続けている今の時代、10円玉のヒエラルキーはそれほど高くないでしょう。消費税も8%と10に近づいてますし、そのうち10%になるというじゃないですか」
「そうでしょうか?消費税がいくら上がろうと10円玉は不滅ですよ。それに10円玉はお財布の小銭入れの中で真っ先にそれと分かる硬貨ではないですか。50円玉と100円玉は取り違え易いですが、茶色い10円玉を間違えることはありません」
「でもそれなら500円玉があるでしょう。キラキラしていて一番目立つと思いますが」
「む……でも500円玉より10円玉の方が使う頻度は高いでしょう?500円以上のお買い物って、千円札出しちゃえば済んじゃいますしね。500円玉の出番は意外にも少ないでしょう?」
「それは確かに……でも30円なんてぱっとしない額ですし、やっぱり貴重とまでは言えないんじゃ……」
「そんなことないです。非常に価値のあるものですよ、この30円は」
そう言ってまだ手の中にある体温でほんのり温かくなった3枚の銅貨を見つめながら彼女は言った。
それを見て青年は彼女の言わんとしていることを理解した。
「それはまあ……そうですね。30円ですけど」
それらは確かに大金もとい貴いものだった。なにしろ彼女と青年の間をつなぐ架け橋となってくれたのだから。
たかが30円、されど30円、ビバ30円だった。
「そうでしょう?これは30円とはいっても、ただの30円じゃないです。唯一無二の貴重な30円なんですよ」
そう言って彼女は左肩にかけていたベージュのハンドバックから白い小銭入れを取り出してそれを大事そうにしまった。
青年はそんな様子を見てなんだかこそばゆく、温かい気持ちになった。
「とは言っても30円ですけどね」
「ええ。30円であることに変わりはありませんね」
「30円ね……」
「ええ30円……」
「……3・0・円」
「……さんじゅうえん」
考えれば考えるほどなんだか可笑しくなってきて、思わず2人とも笑い出してしまった。
「ふふふ……」
「ははは……」
互いの口からひとたび笑いが口からこぼれ出すと、愉快な気持ちが次から次へと溢れ出して来て、もう止めることなんて出来なかった。決壊したダムみたいに笑って笑って笑ってしまった。
「「あはははははははははは!!」」
30円がもたらしたささやかな出会いが世界に温かな笑い声を生み出していた。
天の神様がこれを見ていたならばきっとにこにこ微笑んでいることだろう。
30円。
確かにそれは取るに足らない小さな額かもしれない。
この様子を誰かが見聞きしていたら一笑に付してしまうかもしれない。
だけどこの2人にとっては特別な意味を持っていた。
滑稽かもしれないけれど、その30円は彼女と青年にとって、世界に轟く名声よりも視界を覆う宝の山よりも。世界のどんなものよりも貴く、得難く、素晴らしい30円なのだった。