88.そのままの意味
そう、あたしがヒロくんに告白する場所を音楽室に決めたのがその理由。あたしは音楽室で初めて加賀美宏希くんを知り、気になるきっかけを与えてくれた場所。だからどうしても音楽室でヒロくんに想いを伝えたかった。
《……そうか、そうだね。俺達が初めて会ったのは音楽室で俺がピアノを弾いていた時。もしかして、だからそこで話そうとした?》
「……うん。だってそこはヒロくんを好きになるきっかけを与えてくれた場所だから。多分そこでヒロくんと会わなければあたしはヒロくんを好きになっていないで友達として接していたのかもしれないね」
ヒロくんがピアノを弾いていると知っているのはいつもの3人の中ではあたしだけ。だからあたしは2人が知らないヒロくんを知っている。約1年前のことだけど……それでもあたししか知らないヒロくんの一面。
《でもさ、俺は池波さんが思うほどいいやつじゃないよ?》
「そんなことない!ヒロくんはいい人ってあたしは知ってる!去年のヒロくんが弾いてたピアノのメロディーを聞けばきっとみんなもヒロくんがすごくいい人だってわかるよ!」
《……言ってなかったけど、俺がピアノ弾けること、音楽科の先生と池波さんくらいだから。他のやつは知らないしこれから教える気もない。――乃愛さんにもね》
ヒロくんの声は話しているうちにだんだん小さくなっていった。ピアノを弾いていることをあまり知られたくないのかな?だったらあたしは失礼なことを言ってしまったみたいね……。
「ごめんね。でもあたし、ホントにヒロくんの奏でるメロディーが好きなの……!大丈夫、みんなの前では絶対言わないから!」
《……えっ?それってなにに対してのごめん?謝られる理由がわからないんだけど》
「えっ?だってヒロくんの声がだんだん小さくなっていったからピアノを弾いてることを知られるのが嫌なのかと思って……。失礼なことを言っちゃったんだなって思ったら謝らなくちゃって……」
《別に嫌ではないけど》
「けど?」
《……知ってるのは池波さんだけでいてほしいんだ》
ドキッ。不意打ちだ……。こんなのずるい……。その言葉だけで胸の奥が疼く。やっぱりあたしはヒロくんが好き。振られても、ヒロくんが乃愛のこと好きでも、あたしはヒロくんが好き。その気持ちに嘘も偽りもない。この気持ちはすぐには変わらない。むしろ強くなっていく……。
「……あのさ、忘れてない?あたしはヒロくんが好きなんだよ?そんなこと言われたら諦められなくなる……。それだけじゃない。変に期待しちゃう。誤解しちゃうよ……」
《……それでもいいよ、別に》
「えっ?それって一体……?」
諦めなくていいの?期待しちゃっていいの?誤解しちゃっていいの?それってつまり……?いや、自分に都合のいいように考えてあとで悲しむのは嫌だ。ダメダメ。都合よく考えちゃダメ!
《そのままの意味だよ》
そのままの、意味?この言葉、どこかで聞いた気がする……。
《それじゃあまた来週。ばいばい》
「ば、ばいばい……」
あたしがヒロくんの言葉の意味を理解する前にヒロくんは電話を切ってしまったからその言葉の真意が分からないまま。ヒロくんはなにが言いたかったのだろう。あんなことを言ったのは『友達』という関係が関連しているの?
これじゃあ期待したくなくても期待しちゃうよ……。ヒロくんの、バカ……。
***
電話を切った後、俺はしばらくぼんやりとしていた。……そうか、そうだったのか。思い出した。去年の出来事。当時の心境。今の今まで忘れていた想い。
あの時の俺は病んでいた。部活では大事な試合でミスばっかりしてベンチへおろされたり、それについての反省点や改善策を考えすぎたせいか勉強に集中できず成績が落ち込んだ。そんなことを気に病んでいたら昔やっていたピアノを弾きたくなった。
そして向かったのが家にあるピアノではなく、学校の音楽室にあるピアノだった。正直ピアノは高校入試の時期から止めてしまったからなんだかんだで約1年も弾いていなかった。でも覚えている。椅子に座った時の視線、触れた指先から伝わる鍵盤の感触、聞こえてくる音。目が、身体が、耳が、ピアノを弾いていた頃の俺の記憶、能力を覚えていた。
一度弾いたら止まらなくて音楽科の先生に頼んで冬休み中に音楽室でピアノを弾く許可を得た。そして無我夢中でピアノを弾いた。弾くことに、音を聴くことに集中していて彼女が音楽室に入ってきたことには気づかなかった。そう、……池波さんに声をかけられるまでは。
「綺麗ですね。あなたの奏でるメロディー」
彼女の言った何気ない一言が俺の胸に響いた。胸の奥深くに響いた。こんなに気が病んでいてる俺の弾いていたメロディーを綺麗だと言ってくれた。更には俺のことを優しくて温かい人だと言った。ピアノのメロディーが教えてくれたと……。それが純粋に嬉しかった。今の俺を肯定してくれたようで。
彼女は補習を受けにきたというのに全然へこんでいるようには見えなかった。冬休みに呼び出されているというのに。それについて気になったから聞いてみると彼女は笑って言った。
「あはは、あたしがバカなのは今に始まったことじゃないし!補習を受けるのが恥だとは思わないよ。だってそれがあたしだから。あたしはあたしをわかってあげなくちゃいけないからね。……なんてかっこいいこと言っちゃったかな」
驚いた。彼女は自分のマイナス部分もちゃんとわかってそれが自分だと認めていた。それを聞いて1つの疑問が浮かんだ。俺は自分のマイナス部分を認めたくないがために病んでいたのか?と。
「……すごいね。そこまでポジティブだなんて。とても補習を受けにきた人には見えない」
「それって褒めてるの?けなしてるの?」
「褒めてる褒めてる。ある意味」
「ある意味ってなに!?ある意味って!」
「そのままの意味」
そう言って適当にごまかした。褒めているもなにも、俺は彼女の言葉に救われた。褒めているどころの話じゃないんだ。そんなふうに物事を考えられる彼女を尊敬した。そして思った。彼女の方が優しくて温かいと。