85.それぞれの恋心
しばらく校舎の中を探し回ったけど結局麻由は見つからない。仕方なく乃愛と今後どうしようかを話そうと思って教室に戻った。
「あれ?」
教室を見回すと教室に乃愛はいなかった。どこに行ったんだろう。
「紗弥、乃愛を探してるの?」
クラスメートのタミちゃんこと喜多見玲に声をかけられた。
「あ、うん。乃愛どこに行ったか知ってるの?」
「多分演劇部の部室じゃない?」
「演劇部の部室?」
なんで今演劇部の部室に行く必要があるの?今日はどこの部も活動はないはずなのに。
「桐崎くんと一緒に教室から出たから多分演劇部の部室だと思ったけど。だって2人とも演劇部でしょ?」
……あ、そっか。そういえば2人は演劇部だっけ?それより何故桐崎くんは乃愛を連れて行った?しかも部室に。まさか演劇部だけ活動があるとか?
「ねぇねぇ、あの2人って付き合ってるの?」
タミちゃんが小声でわたしに聞いてきた。どうせほとんどの人には知られているみたいだし隠す必要もなさそうだから言っちゃっていいかな。
「うん。そうだよ」
「やっぱりそうなんだ!桐崎くんってば乃愛の腕を掴んで必死な顔で話したいって頼んでたからさ、もしかしてそういう関係なのかなって思ったんだよね。男子苦手なはずの乃愛が桐崎くんに腕を掴まれても嫌な顔してなかったし」
腕を掴んで必死に頼んだ……。そこまでして桐崎くんは乃愛に話したいことがあったんだ。でもごめん。それはわたしも同じ。だから桐崎くんには悪いけど乃愛を連れ戻しに行くから。
「教えてくれてありがとうタミちゃん!わたし演劇部の部室行ってくる!」
そう言って教室から飛び出し、演劇部の部室へ向かった。
演劇部の部室の前に着き、ドアを開けようとした時、乃愛の弱々しい声が聞こえた。
「……あんまり優しくしないでよ……。わたしの、自業自得なんだから……」
この発言からしてこの中にいるのは乃愛と桐崎くんってことが確定した。ていうか桐崎くん、乃愛に変なことしてないよね?
「そうなのかもしれない。でも話を聞いたからには乃愛さんを落ち着かせる義務が俺にはある。それに乃愛さんは1人で抱え込む人だから放っておいたらどうなるかわからない。前にも言っただろ?もっと俺を頼ってよ。俺は乃愛さんの力になりたいんだ」
うわー。桐崎くんのくせにかっこいいこと言ってるし。なんなのもう。そんなに乃愛が好きなの?ついこの前まで二次元大好きだったくせに。あ、今も好きか。
「で、でも……!」
そこで桐崎くんの厚意を受け取らないつもりか乃愛!彼女なら彼氏に甘えるべきでしょ!意地張らないで素直に甘えなさいよ!
「意地張るなよ」
そう思っていた時に桐崎くんもわたしと同じようなことを言った。そしてその言葉が聞こえた直後に僅かだが物音がした。
「ちょ……!ここ学校……!」
焦っているような乃愛の声が聞こえた。
「だから?」
「『だから?』じゃないよ……!誰かに見られたらどうするの……?」
「構うもんか。見せつければいい。それに今は乃愛さんを安心させるのが最優先なんだから」
うわー。またもかっこいいこと言っちゃって……。桐崎くんのくせに、桐崎くんのくせに!
「……優しくしないでって言ったのに……」
「それは無理だな。こういう時は強がるな」
「……バカぁ」
あ、乃愛がとうとう折れた。乃愛にしては珍しい。ツンデレのツンじゃなくデレだ。やっぱり桐崎くんと2人きりだと素直になってデレるのかな……。
「っ!」
桐崎くんの息を飲む音が聞こえた。ちょっと待って、一体中でなにがあったの?
「優しすぎるよ、桐崎くんは……」
「俺が優しいんじゃない。乃愛さんが意地っ張りじゃなく素直になっただけだよ」
ちょっとちょっと……。なにラブラブモード突入してるのよ。この忙しい時に。あーもういい。中に入っちゃえ。
中にいる乃愛や桐崎くんに気付かれないようにこっそりドアを開ける。すると桐崎くんに寄りかかる乃愛の姿が見えた。
「ありゃー……。まさにラブラブ真っ最中……」
ていうかここ学校ですよ?いくら部活がなくて誰も来ないからってなにやってるの?まったくもうこの2人は……。
「いつまでラブラブしてるのよそこの2人は。この忙しい時に」
一気にドアを開けながら言うと乃愛と桐崎くんが同時にわたしの方を見た。
「さ、紗弥……」
「は、林原さん?」
「ホント、2人がラブラブすぎていつ中に入ればいいかわからなかったんだけど……」
すると2人は急にはっとして離れた。別にそのままでもよかったけどね。
「林原さん……?一体いつから?」
「えーと、乃愛の『あんまり優しくしないでよ』が聞こえた辺り?」
「ちょ……!そんな前から!?なんで入ってこなかったの紗弥!」
「2人がラブラブすぎてタイミング失ったのよ!」
本当はわたしだってもっと早く中に入りたかったよ!でもあんなラブラブイチャイチャな雰囲気をぶち壊す勇気なんてわたしにはないわ!
「それで、林原さんは一体どうしてここに?」
「乃愛を捜しに来たに決まってるでしょ?ごめんね、ラブラブの最中だったのに邪魔しちゃって」
わたしは嫌みをたっぷり込めて桐崎くんに言った。
「もしかして麻由見つかった!?」
「ううん。見つからないからどうしようか乃愛と話そうと思ったの」
「そっか……。麻由、どこにいるんだろう」
乃愛は泣きそうな目で言った。語尾が震えていた。麻由が加賀美くんに告白する前にどうしても本当のことを伝えたいんだ。でも今のわたしにはなにもできない。どうすれば乃愛を救える?麻由を傷つけないで済むの?……本当は2人を傷つけないで助けることができないって心のどこかではわかっている。けどわたしは信じたい。2人のことを傷つけないで助ける方法があることを。
***
キィーっとドアの開く音がして振り返るとそこにはヒロくんがいた。
「ごめん池波さん。待った?」
ドアを閉めてヒロくんはあたしの近くへ歩いてくる。
「ううん、そんなに待ってないよ」
「そっか。それで、話って?」
早速本題か……。緊張ならもうとっくにしている。ヒロくんが音楽室に入ってきた時から心拍数があがったことにはちゃんと気付いていた。尤もヒロくんが来る前から心拍数は徐々に上昇していたけど。
「あ、あのね……あたし、どうしてもヒロくんに言いたいことがあったの。驚かないで聞いてね?」
「うん」
ヒロくんは穏やかな口調で言った。ここまで言ったからにはもうはっきりと言うしかない。あたしは決意してヒロくんの目をしっかり見た。
「あたし、ヒロくんが好きなの!」
思い切って言ってしまった。あたしがどうしてもヒロくんに言いたかったこと。言ってしまったからにはもう後には退けない。
「だから、わたしと付き合ってください……!」
さっきから心臓がドキドキしている。でも周りは静か。心臓の音がヒロくんにも聞こえそうなくらいドキドキしている……。心拍数はさっきよりも更に上昇していた。
「……ごめん。池波さんのこと、人としてはすごく好きだけど恋人にはなれない」
「そ、そっか……」
なんとなく予想はしてた。振られるってわかっていた。だからあまり悲しくはない。それにもしかしたら彼には――。
「もしかして、彼女とかいた?」
「いや、いないよ。彼女は」
彼女“は”?ということはつまり――。
「好きな人はいる、ってこと?」
「っ!」
その反応ですぐ分かった。ヒロくんに好きな人がいること。そしてそれはあたしじゃないってことも。
「……だったらあたし、ヒロくんのこと応援するよ。相手は誰か分からないけど」
「いや、もう無理なんだ……。告ったけど振られたし。それに彼女には付き合ってる人がいるからね。叶わない恋だよ」
「そうなんだ……」
それは辛い。付き合ってる人がいるなら叶う確率はかなり低いもの。それでもヒロくんは諦められないみたい。そんなに彼女のことが好きなんだね。振られてしまったのに好きでいるなんてよっぽど素敵な人なんだね。ヒロくんの好きな人って。
「あぁ。だって俺、“キリ”には敵わないから」
「――えっ?」
「あっ!」
ヒロくんはしまったとした顔をした。……キリ?キリって桐崎くんのことだよね?桐崎くんの彼女は乃愛だからつまりヒロくんの好きな人って――。
「の、あ……?」
「……」
ヒロくんはなにも言わず視線をそらした。多分これが答え。ヒロくんの好きな人は乃愛だ。
「えっ……一体いつ……」
告白したの?その言葉は怖くて言えなかった。認めたくないんだ。ヒロくんの好きな人が乃愛ってことを、ヒロくんが乃愛に告白したことを、ヒロくんが乃愛に振られてしまったことを……。
「始業式の日。振られるのは分かりきってたけどやっぱり伝えたくてつい告白してしまったんだ。でも乃愛さんが好きなのはキリだから丁寧にお断りされたよ」
始業式……?それってつい最近のことじゃん。乃愛がヒロくんに告白されていたなんて知らなかった……。だってなにも言ってくれなかったんだもん。いや、言えなかったんだ。乃愛のことだから自分が友達の好きな人に告白されたなんて言わないだろう。でも、友達だからこそ言ってほしかった……。もしかして、乃愛と紗弥が話したかったことってこのこと?あたしがヒロくんに告白する前に話しておきたかったの?
「俺は乃愛さんに振られた。けど乃愛さんのこと好きなのは変わらないし諦めるには時間がかかる。だから池波さんとは付き合えない」
「……そっか。それを言ったらわたしもヒロくんを諦めるのには時間がかかるかもしれない。だから1つだけお願いがあるの」
「お願い?」
あたしは手をぎゅっと強く握りしめた。今から言うことはあたしの本心ではない。でもヒロくんを困らせないためにはこう言うしかないの。これは今のあたしができる最大の強がり――。
「これからも『友達』でいてほしいの……」
「池波さん……」
「お願い!絶対迷惑はかけないから……!今まで通り5人で仲良くしていたいの!今の告白はなかったことにしていいから……」
こんなの虫がよすぎるってわかってる。でもあたしは、あたしは……。
「分かった。元々池波さんとは今まで通りでいようと思ってたし」
「ほ、本当?」
「あぁ。でも池波さんの告白はなかったことにはしないよ」
「えっ……」
なんで……?あたしはなかったことにしてほしいのに。
「だって乃愛さんは俺の告白をなかったことにはしないで今まで通り接してくれてる。だから俺も池波さんにそうしてやりたいんだ。池波さんは俺にとって大切な『友達』だから」
友達。その言葉があたしの心を傷つける。友達ってことは恋人にはなれない。あたしはヒロくんの彼女になることはできない。でもあたしは強がるの。大好きな人を困らせたくないから。
「ありがとうヒロくん……」
「それじゃあまた明日ね、池波さん」
「うん。また明日ね」
ヒロくんは音楽室から出て行った。音楽室のドアが閉まり、あたしはその場に座り込んでしまった。
振られるのは分かっていた。じゃあなんでこんなに悲しいの?なんでこんなに胸が苦しいの?これが失恋の痛みというの?……違う。多分それだけじゃない。ヒロくんの好きな人が乃愛ってことを知ったからだ。好きな人の好きな人がこんなに身近にいるなんて思わなかった。それも、親友の中にいたなんて。
もし乃愛と紗弥の話を聞いていたら未来は変わっていたの?ヒロくんに告白するのを遅らせたかもしれない。告白するのを考え直したかもしれない。でももう遅いよ。もう告白しちゃったもん。過ぎたことは仕方ないって思うことはできない。過去には戻れない。もう、今のあたしには後悔しか残っていないよ。
「悲しい……辛い……胸が苦しい……。恋ってこんなに切ないものだったんだね、乃愛……」
あたしはただ涙を流すことしかできなかった。