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第六話

魔王、初戦闘です。






 ギルドカードはその個人の身分証明と同時に、町や国の通行証ともなりうる。

 なりうるというのは、許可されない場合もあるからだ。大抵の場合は身分証明として機能する。

 

「はい、カードを提示して」


「…………」


 声に従われるままにギルドで作成した、カードを差し出す。


「はい…………はい、確認が終わりました。大丈夫ですよ、通って。――――次の方!」


 返却されたカードを懐にしまって、検問を抜ける。

 その先にあるのは、


「…………大きいな」


 ――――ダンジョン。

 こちらがちっぽけに見えるほど天高く聳え立つ塔を近くで改めて仰ぎ見る。

 町はずれにありながら、町のどこからでも見えるほどの大きさ。

 それであって、ダンジョンの中は外から見るよりもさらに広くなっている。

 感覚ではなく物理的に。

 どのような空間魔法が働いているのか知らないが、中は圧倒されるほど広大な空間が形成されている。

 謎だ、基本的に。ダンジョンのことについては一切と言っていいほど解明されたものがない。

 分かっているのは魔物が倒されても倒されてもどこからともなく現れることと、

 金稼ぎやレベル上げには都合の良い場所だということ。

 そしてこれはダンジョン自体には関係ないが、ギルドがダンジョンを管理しているということ。

 先の検問のようにギルドに入っている者以外は基本的にダンジョンに入ることは許されていない。

 主な理由は、危険だからの一言だ。

 ……俺がギルドに入ったのは身分証明書代わりのカードがもらえるからというのもあるが、主にこのダンジョンに入るためだ。

 ギルドの説明はネリィに道中で聞いていたが、ダンジョンに入るのにギルドの許可が必要だということは聞いていなかった。

 ネリィが倒れて二日寝ている合間に、俺が情報を収集して分かったことだ。

 まあ、どうせ素材などダンジョンで採れる物を換金する際に使うだろうからギルドに入るのは避けられなかっただろう。

 

「そういえば、あいつに言ってないんだったな…………」


 ネリィにはギルドに行くとは言ったが、そのままダンジョンに向かうことは伝えていない。

 言えば絶対止められただろうからな。

 だが、二日間もせっかく町に来てまでダンジョン入るのを我慢してやったんだ。

 ネリィの意識がないままほったらかしはさすがにマズイと思ったから仕方がないと言えばその通りなのだが、その間に溜まった鬱憤は計り知れないものである。

 今はもう怪我をしている状態とはいえ起きていられるし、あいつならそれでも雑魚相手なら楽勝だから安心して放っておける。

 まあ、なんだかんだであいつも俺の行動は半分予想していたのではないだろうか。

 マジックポットをわざわざギルド行くと言っただけで渡すくらいだ。

 必要のない物を強く押し付けるような真似はしないだろう。

 ……それに、マジックポットの件ではこっちも文句がある。

 これがBランク以上の冒険者しか渡されていないなんてこと、直接ギルドの受付の小娘に言われるまでは知らなかった。

 とっさの俺の機転により盗んだという疑いはうやむやにできたが、衆人の注目までは避けれなかった。

 どうやってこんなものを手に入れたかの経緯は知らないが、そこのところを説明しなかったのはやつの落ち度。

 つまり、黙ってダンジョンに行く俺に非がありマジックポットの事を説明し忘れたあいつに非がありイーブン。

 文句を言われる筋合いはなく、堂々とダンジョンに入れる。……どちらにしろ行っただろうが。

 それにしても――――どうでもいい脳内の言い訳を止め、懐にしまったギルドカードをもう一度取り出して見る。


「エリク、か……」 

 

 個人名が記された所を見て、思わず鼻で笑ってしまう。

 俺には似合わない名であることは承知している。

 だが、咄嗟に他の名が出てこなかったので自然に書いてしまった。

 久しく使っていない、ともすれば忘れかけていたというのに何故今頃になって浮かんできてしまったのだろうか。

 恐らく、意味の無いころだろう。いくら考えたところでそれもまた。

 そう、結論付けて俺はダンジョンの入り口に向かって歩を進めた。   

 

   






 中に入って目に飛び込んできたのは、灰色の石で固められ四角く切り取られた一本道の通路。

 装飾も何もなく無機質な物。

 高さはそれなりにあるが、横幅はギリギリ二人が剣を振れる程度のものしかない。

 パーティ組んで行くとしたならば、前衛は二人しか必要ないということだ。

 俺には関係ないことだが。むしろ集団の数が制限される分助かったくらいだ。

 

 しばらく魔物も他の冒険者にも遭遇せず、一人ただ黙々と靴底で床を鳴らしていく。

 途中で何度か通路を折れ曲がったりしたのだが、まったくと言っていいほど生物の気配がしない。

 ……もしかして、もう既に他のやつにあらかた狩られた後か?

 魔物が次々と出現するといっても、倒してすぐ生まれるわけではない。

 ある程度時間差を待ってから、現れてくる。

 もしそうなら困ったものだ。

 適正レベルの階層に着く前に、一度肩慣らしをしておくつもりだったというのに。

 腰に佩いてある白く透明感のある長剣。

 吸いつくように手に馴染むし、何度か振ってみてもこちらの期待以上の軌跡を描いてくれるが、実際に戦いとなれば分からない。

 耐久性は試していないし、咄嗟の行動についてきてくれるかもまだ実験の段階だ。

 それは剣もそうだが、俺自身も同じこと。

 ダンジョンに来たのはレベル上げの目的もあるが、今の時点での俺の力量を正確に量るためでもある。

 66というレベルは聞かされたが、それだけではピンとはこない。

 経験はレベルに含まれないとギルドの受付けは言った。

 俺は身体は脆弱な物となっているが、魔王として生きてきた膨大な戦いの経験までは失われてはいない。

 今の身体で果たしてどこまでその経験を活かせることができるのか、それを知りたい。

 ――――と、そんな俺の願いも虚しく通路の先に次の階層へと続く階段を見つけてしまった。

 

 ……まあ、いい。

 どうせ、適正レベルまではまだまだ先だ。

 二階三階と上がっていけば、さすがに魔物の一匹や二匹くらいは出てくるだろう。

 一瞬迷った足を進めて、階段を目指す。

 相も変わらず俺以外何の気配もない、静かな通路。

 俺の立てている足音のみが嫌に耳に響く。

 だから、だろうか。

 飽きてきた変わらない景色に、違うものが混ざったのに少し驚いたのは。

 

「…………スライムか」


 階段の手前の壁。そこからにゅるりと湧き出てきた。

 壁が一瞬流体のように歪み、その隙にスライムが出てきて、また元の硬質な石に戻る。

 これが湧出か。

 初めてみる現象だが、なかなかに面白い。

 だが今は目の前に居る獲物の方が重要だ。


「敵としては不十分だが、試し切りくらいはさせてもらおうか」


 一気に長剣を鞘から引き抜く。

 その間にもスライムは依然として、現れた位置から動いていない。

 弾力のありそうな丸っこい体をプルプルと震わせているだけだ。

 構えはしない。

 無造作に突っ込み、手に持った剣を横に振りぬく。

 それだけで終わった。

 刃が通った感触はほとんどなく、スライムの体が斜めにずれていく。

 ベシャ、と濡れた雑巾を床に落としたような音が響き、真っ二つのスライムの残骸が床に転がった。

 ――――と、次の瞬間にはその残骸が淡い光に包まれ、粒子となって散っていく。

 血も何も残ってはいない。……残っているのは赤い結晶のような丸い石。


「これが、魔石か?」


 石を手に持ってから、見る。

 透き通っていて内部までよく見ることができ、赤に染まったそれは、まるで内から光でも放っているように鮮やかだった。

 生命の残り香とでもいうのだろうか。派手な色合いをしているくせに、どこか儚げな印象を受ける。

 ダンジョン内の魔物は全て、この魔石を残してあとの体は光となって消えていく。

 相変わらず原因は不明。外の魔物は消えたりなどしない。

 ダンジョンの収入とは魔石が主だ。

 内に魔力を宿してあるので、魔法具などの魔力を介する物の動力資源になる。

 ギルドに持っていけば、ちゃんと買い取ってもらえる。

 なので捨てたりはせずに、ちゃんとマジックポットに入れておく。

 正直指で摘まめる程度のサイズしかないので、ポケットに入れておいても良いかと思うが念のためだ。

 

「先に進むか……」


 正直、さっきの一振りだけではどの程度やれるのかなんて分かるはずもない。

 悪くない感触だったのは確かだったが、相手も相手で手応えがなさすぎた。

 それに、経験値が入ったのかどうかも微妙だ。

 魔物を倒せばその魔物を構成している魔素が、自分の体に吸収され、それがレベルアップに繋がるというわけだが。

 魔族はその吸収率が悪くレベルが上がりにくい。人族は短命ではあるが成長率がその分高い。

 俺は……今は微妙な存在となっているのでそのことも確かめたかった事柄であったのだが、

 スライム一匹程度でレベルがあがるはずもない。

 色んな問題を抱えたまま、俺はダンジョンの奥へと進んでいった。













「キシャアアアッ」


 耳障りな奇声を上げて、リザードマンが剣を振り下ろしてくる。

 俺は剣でそれを弾き、相手の体勢が崩れたところを脳天からかち割る。

 爬虫類独特のギョロリとした目がいっぱいに開かれ、その表情を固定したままリザードマンは崩れ落ちていった。

 まだ気は抜けない。

 全長三十センチ大の蝙蝠――――ビッグバットが背後から襲ってくる。

 動作はすでに終えている。

 リザードマンの脳天を割った直後に、俺はすぐさま後方へと剣を振り抜いていた。

 ビッグバットが凶悪な牙を突き立てようとする姿が見えた。だがその牙が俺に届くことはない。

 悲鳴すら上げさせることなく、剣がビッグバットの胴体を真っ二つに断った。

 ぼとりと鈍い音を立てて二つに分かれた体は地面に落ち、すぐに淡く光って散っていった。

 後には魔石だけが残る。

 背後に倒れていたリザードマンも同様になっているだろう。


 全五十階層からなるこのダンジョンの今居るところは九階層目。

 適度な強さの魔物を相手取りたいがために、階段優先して進んでいったらこうなった。

 階層が違えば通路も変わってくるらしい。

 一階層は無機質な石造りの通路だったのが、今はでこぼこした湿った土くれの壁面に変わっている。

 変わるのは当然それだけでない。魔物の強さも上がってくる。

 話しによればここ、九階層の適正レベルは90。

 分かりやすいことにこのダンジョンは、一階層ごとに適正レベルが10ずつ上がっていくらしい。

 俺のレベルだけ見てみれば90はかなり上のレベルだが、俺にしてみればここがちょうどいいくらいだ。

 レベルと実力はイコールではない。おおよその目安にしかならない。

 俺には魔王としての経験も手伝っているため、かなり上のレベルとも対等以上に渡り合えるというわけだ。

 とはいえ――――


「少し、多いな……」


 荒くなっている呼吸を整えつつ、前方を睨む。

 剣や槍、武器を構えた二足歩行のトカゲ――――リザードマンが三匹と、ビッグバットが四匹。

 先に倒したのを合わせてもうリザードマン二匹とビッグバッド三匹は倒しているのだが、まだ同数以上いるとなると気が滅入る。

 それにあっさりと仲間を倒されたのを見て、こっちを警戒しているようだ。

 幸いなことに広間ではなく、狭い直線の通路にいるため取り囲まれる心配はないが、数的優位が向こうにあるのは変わらない。

 と、のんきに思考していた隙を突くようにビッグバットが俺の頭上を飛び越して回りこんできた。

 ……意外なことに魔物にも学習能力があるらしい。

 これで前方にトカゲが三匹と後方にコウモリが四匹。完全に囲まれた形となった。

 さて、どうするか……なんて考えるまでもなく。


「馬鹿が」


 後方にいるビッグバット目掛けて、一直線に俺は駆けていく。

 ビッグバットが脅威なのはあくまで反撃の隙を与えない牽制の役目を担っている時だ。

 牙に麻痺毒があるらしいが、単体では恐れる敵ではない。

 強力なアタッカーがいてこそビッグバットは真価を発揮する。今でいえばリザードマンがそうだ。

 速さで相手を撹乱し、足を止めさせる。アタッカーの援護こそ本来の役目。

 それを守りを失くしてわざわざ単体でくるとは。

 学習能力はあったのかもしれないが、頭は悪い。

 一切の躊躇いなく長剣を一線。

 虚を突いた形で向かってきた俺に反応できず、二匹のビッグバットが胴体を地に落とした。

 もう二匹はうまく左右に分かれて、横薙ぎを避けている。

 後ろからリザードマンが近づく様子はない。まだ虚に捕らわれているのか。

 その隙を逃さずに、初撃を逃れた右方に居るビッグバットの羽を狙って切り上げる。

 上に飛んで逃れようとしたが一瞬遅く、俺の剣が狙い違わず羽を断ち切り地に落ちる。

 じたばたと地面の上で動いているが、飛べないので戦闘自体は不可能だろう。

 無力化した事を確認して最後のビッグバットに向き直ると、

 不利を悟ったのか俺の攻撃範囲から遠く上空に離れてそのまま逃げていった。

 さて、と。

 わざわざ追いかける必要もないので、後ろに残したままのリザードマンたちの方へと振り返れば、

 案の定怒りの形相でこちらに向かってきていた。

 

 …………やはり馬鹿だな。

 少し揺さぶりさえすれば簡単に理性を失う。

 もはや数の利なんて気にもかけていないリザードマンたちを前に、俺は口の端をつり上げる。

 そして、加速する。


「ギャッ!!」


 先頭に居たリザードマンが、驚きに目を見開く。

 静から動の急激な変化についていけなかったのだろう。

 ただの踏み込みではない。

 気配を断ち相手の意識の隙をつくことで、一瞬相手に俺の動きの感知を鈍らせた。

 これも長年の戦闘経験の賜物だ。

 無造作に、それも頭を差し出したような形で突っ込んできたリザードマンにとってそれは致命的。

 踏み込んだ勢いのままに頭を割る。一撃死。

 確かな手ごたえを感じ、今は生気を失おうとしている体を前へと蹴飛ばす。

 後続の二匹が、仲間の死体が自分たちに向かって倒れてくるのを見て足を止めた。

 その隙に俺は死体に隠れるようにして距離を詰める。

 死体はただ相手の進行方向への障害物だけではなく、俺の姿もうまく隠してくれていた。

 そのおかげでどうするべきなのか一瞬の躊躇を敵に与える。

 ……だが、そろそろ時間だ。

 前にまだ死体が残っているのも構わずに俺は横薙ぎに剣を振るう。

 剣が死体と接触する直前、死体が淡く光り散っていった。

 剣はその光の粒子を通過していき、相手から見れば不意に現れた攻撃に避ける術もなく、抵抗なくリザードマンの両腕を落とした。

 奇声が上がる。リザードマンが腕を落とされた痛み耐えかね、地面に転がる。

 だが、腕を落としたのは一匹のみ。

 すぐさま俺は、残りのリザードマンに向かって駆ける。

 さすがにここでは反応してきたようで、怒りに目に血を走らせながら剣を振り下ろして応戦してきた。

 一瞬の交差。

 擦れ違い距離を離したまま静止していたが、やがてゆっくりとリザードマンはその首を落としていった。


「……ふぅ」


 激しい運動で速くなった鼓動を落ち着かせるように息を吐く。

 とりあえずの脅威は無くなった。

 あとは、


「後始末とするか」


 地面に転がっている瀕死状態のトカゲとコウモリのワンペアに、トドメを刺すべく俺は歩を進めた。







 

 魔石を全て回収し、俺は壁に背を預けた。

 途端に、どっと疲れが押し寄せてくる。

 ここまで順調に進んできたが、予想以上に体力が消耗している。

 戦闘の面ではほとんど問題はない。

 動きが遅かったり思った以上にキレがないことに目を瞑れば、おおよそはイメージ通りに体は動いてくれる。

 もちろん再現できない動きもあったが、基本的な動作は行えるからそこまでの不満はない。

 だがやはりベースはレベル66のまま。

 いや、ギルドで見てもらわないと分からないが、戦っている途中で僅かにだが動きが軽くなったり剣速が上がったりしたところをみれば、レベルは上がっているのかもしれない。

 それでも適正レベル以上の敵と連続に戦うには体力が足りていないようだ。

 こればっかりは仕方がないと思いつつも、休憩の度に足を止められると無性に苛立ってくる。

 こんなとき魔法でも使えればラクだったのかもしれないが…………それはもう試してみて駄目だった。

 最初からあまり期待していなかったからそれほどショックは受けなかったが。

 もともと、俺は魔法苦手だからな。

 ただ膨大な魔力を頼りに既存の法則を半ば歪めるような形で使っていたのだ。

 魔力がほとんどない今の俺が扱えるはずもない。

 ……となると、今日はここら辺が潮時か。

 帰りのことも考えれば余力が残っている内に引きあげておいた方がいいだろう。

 

 そう結論付け、体にまだ疲れは残っているものの、俺は壁から背を離す。

 持ち物を確認し、周囲を眺め危険がないことを見てから覚えている下りの階段へと向かう。

 その前に。


「――――出てこい」

 

 俺が向かおうとしていた方向。

 通りの向こうへと声を投げかける。

 通路の先には誰の姿も見えないが、粘りつくような気配までは消せはしない。

 声が壁に反響して、嫌に音が響いた。

 反響がなくなり静けさが訪れた直後、通路奥から足音とともに三人の男たちが現れた。


「へぇ、気づいてたのか。こりゃ驚いた」


 そう言ったのは、三人の中で中央にいる禿頭の中年男。

 顔中傷だらけで厳めしい印象。手には何の装飾も施されていないような簡素な槍。

 左右にいる男たちも似たようなものだ。全員ならずものという言葉よく似合う。

 それぞれ剣、槍、弓使い。一応はバランスの構成を考えられたパーティーだ。


「気付いたもなにも、最初からついてきてたろうが」


「……ほぉ、なんだ、思ってたよりも有能だったか?」


「まさかっ! こんな階層で手間取っているようなやつが強いもんかよ!」


「そ、そうですよ。ぼ、ぼくらのことに最初から気づいてたんだったら、のこのここんな状況に持ち込まれないですよ」


 禿頭の感心した声に、左右に居た小太りな豚顔の男と、対照的に枯れ木のような細い男が嘲笑で返す。

 もちろん嘲笑っているのは俺のこと。

 よくもまあ、ずいぶんと馬鹿にされたものだ。

 あれだけ気配を垂れ流しにしておきながら、うまく隠れられていたつもりでいやがる。

 ギルド内にいたときから気持ちの悪い視線を送ってきていたくせして。

 

「……何でもいいが、一応俺に何の用か聞いておこうか」


「なに、用と言うほどでもないさ。互いに冒険者同士、困ったときには助け合いをしようと思ってな。

 どうやら大分疲れているみたいじゃないか。

 ほら、この回復薬を飲むといい。一時的にだが体が軽くなるぞ。

 ただ、冒険者なら貸し借りなしでいきたいよな? 

 だ か ら、代わりにあんたのその薄汚い巾着袋でももらおうか」


 ニヤけ面を崩さないまま禿頭は、俺の腰辺りを指差す。

 ――――マジックポット。

 当然分かっていたことだが、まさか初日からつけ狙われることになるとはな。


「どうしたよ? 今なら特別に交換させてやろうとしてんだぜ?」


「は、はやく渡した方があなたのためですよ」

 

 ……見た限りリーダー格は中央の禿頭の男か。

 基本の会話は禿頭に任せて、豚と枯れ木は野次を飛ばすことしかしない。

   

「『冒険者狩り』、か。てっきり有無を言わさずに殺して奪うのかと思ったんだが、

 わざわざ殺す前に茶番でも見せてやってんのか?」


「……人聞きの悪い事を言うなよ。これはただの取引だろ?

 ダンジョンに精通した先輩から後輩への親切ってもんだよ――――なぁ、ルーキーの兄ちゃん?」


 禿頭が口の端を吊り上げたと同時に、左右の二人がげらげら笑う。

 会話をしながらも互いの距離は近づいている。おおよそ十メートルほど。

 一足では飛び越えれないが、もういつでも戦闘は開始できる距離だ。

 その空間の間にぴりぴりと緊張感が漂う。


「一応聞いておくが、その先輩からの親切を断ったらどうなる?」


「どうにもならないさ。取引自体がなしになる。

 残念ながら、取引じゃなくなるんだ」


「――――じゃあ、もう話す余地はないな」


 じりじりと距離を詰めてくる冒険者狩りに、牽制を込めて一気に鞘に収めた剣を引き抜く。

    

「馬鹿が。せっかく穏便に済ませてやろうと思ったのに」


「まったくだ! 俺たちに勝てると思ってんのか!」


「ふ、ふふ、ルーキーにしては大したものだけど、た、たかだか九階層止まりの君に僕たちの相手は務まらないよ」


 がしゃりと金属の音を立てて、男たちが一斉に武器を構える。

 と、そこから前衛であろう豚面の男が剣を構えながら一歩前に出てきた。


「調子こいてるテメエに一つ良いこと教えといてやるよ。

 見る限りテメエはせいぜいが90そこそこのレベルだろうが、

 俺たちは全員が120を超えてるんだぜ? 分かるだろ、この意味が」


「ああ、分かるさ。確か薄汚いお前らを殺しても魔素が手に入るんだったな。

 わざわざ俺のレベルアップに貢献してくれるんだろ?」


「テメエ……」


 そこで初めて豚男の表情が崩れる。

 怒っているようだが、そのせいで顔が赤く染まりますます豚に似てくる。

 思わずそのことに笑ってしまったが、それが余計に豚男の癪に障ったらしい。


「オイっ! こいつは俺にやらせてくれ! この世間知らずに冒険者の厳しさってのを教えてやる!」


「……いいが、あまり時間はかけるなよ?」


「分かってるっ!」


 禿頭から許可をもらい、豚男はさらに歩を進める。

 後ろにいる二人は動かない。どうやら豚男一人で充分だと思っているらしい。

 …………ずいぶんと舐められたもんだ。


「もう泣いて頭下げたって許しはしねえぞ。

 最初は手足から狙ってじわじわ殺してやるからそのつもりでいろ」


「さっき仲間に時間をかけないように言われたのをもう忘れたのか? 

 豚の脳みそってのはずいぶんとお粗末な造りをしてるらしい」


「…………殺すっ!」


 豚男が猛進してきてから、剣を振り下ろしてくる。

 勢いに乗った剣は、俺の鼻先を掠め髪を数本持っていった。


「……なんだ、豚のくせに意外と速いじゃないか」


「うるせえっ!」


 怒気を発して豚男が猛威を振るう。

 無駄に肉厚の腕から繰り出される剛剣。

 それが至る角度からに襲ってくる。 

 怒りに任せたままの斬撃を、俺は冷静に見極めて躱していく。

 通路内に響くのは豚男の荒い息遣いと、剣が空を切る音のみ。

 豚男は何度か躱されてもまるで攻撃の手を休めようとはしない。

 執拗に、俺の体を斬りつけたいという執念に駆られている。

 その理解し難い熱狂ぶりはある意味恐れ入るが…………豚男とは逆に俺の心は冷めていた。

 

 ――――なんだ、これは? 

 

 豚男が腕を大きく上段に持ち上げて振り下ろしてきた一撃を、半身になって避ける。


 ――――これは、いったいなんの遊びだ?


 振り下ろした直後、剣を寝かせて横に滑らしてきたが、そのときにはすでに俺は後ろに下がっていた。


「こ、の…………ちょこまか動き回ってんじゃねぇっ!」


 苛立ちが最高潮に達した豚男が、唾を飛ばして怒声を放つ。

 俺は言葉を返さない。返す気力が失われている。

 線から点へ。

 ない知恵を振り絞って躱しにくい攻撃を仕掛けてきたのは褒めてやるべきなんだろうか。

 だが、豚男が勢い任せて放った刺突は、避けてくれと言わんばかりに鈍かった。

 

 ――――120と自分で言ったように、確かに力や速度では豚男の方が数段上だ。

 だが、それでも哀れなまでに鈍い。基礎的な能力がどうのこうのではない。

 腕の振り、踏み込み、視線、予備動作。

 それら全てがあたかも攻撃を放つ直前に、その攻撃のラインを教えていってくれているかのように動きが洗練されていない。

 ため息が出るほどに、呆れかえるほどにまでにこの男は鈍いのだ。


「ふ、ふふ、ずいぶんと苦戦しているようですね」


「時間かけるなって言ったろ? なんだったら俺が代わってやろうか?」


「うるせぇっ! ひっこんでろっ!」


 豚男は完全に頭に血が上っている。格下と見下した相手がなかなか捕まらない焦りからか。

 仲間の野次にすら怒声を飛ばしていることからも相当に余裕がないのは見てとれる。

 ――――まあ、豚も豚なら他のやつも同じだ。

 これだけ俺と豚男の戦いを外から見ているくせに、何をのんきにまだ観戦しているんだか。

 いったいどれだけ俺が豚男を殺す機会があったと思っているんだ。

 少なくとも三回は殺せていた。

 殺さなかったのはあまりにも期待外れすぎて、あっけなく殺し合いが終わってしまうと思ったからだ。

 わざわざギルドから何も言わずにつけさせてやったというのに…………。

 

 くっと柄を握る手に力を込める。

 意識は内から外へ。散漫させていた殺意を一点に集中させる。

 もういい、もう――――


「のんきに突っ立ってんじゃね――――」


「終わりだ」


 すっと、音もなく豚男の懐に入り込み、首筋に刃を当てて……そのまま押した。

 一秒もかからない出来事。

 事実、豚男は何が起こったのか分からないような困惑をその顔に張り付けて、胴体から切り離された首を飛ばしていた。

 それを呆然と後ろに控えていた二人は見ている。

 汚い血を撒き散らしながら宙に舞っている、仲間であった豚男の首を注視している。

 豚男の首が、地面に落ちる間際で。

 

「――――がっ」


 枯れ木男が呻き声を上げ、豚男と同様の表情させて、視線をゆっくりと自分の胸元へと下ろしていく。

 そして、自分の体に剣が突き立っているのを見て驚愕し、そのまま地面へと崩れ落ちていった。

 倒れた枯れ木男の胸を中心に、血が地面に円を描いて広がっていく。

 何度かびくんと体を痙攣させていたが、それも次第に収まっていき、動かなくなった。


「…………な、んだ、こりゃ……」


 一人残った禿頭が、困惑した様子を隠せないまま呟く。

 どうやら状況がまったく分かっていなかったらしい。

 それに一気に二人も居なくなったせいか、今までの威勢はまったく垣間見えない。

 

「なにを、しやがったっ」


「別に。豚の首を飛ばして、枯れ木に剣を放り投げただけだろ? 分からなかったか?」


 単純なことだ。

 高く舞い上がった豚男の首に他の奴らが目を取られている内に、豚男の手にある剣を枯れ木男に投擲しただけのこと。

 まさか、一発で死ぬとは思わなかったが。運よくうまい具合に心臓に突き刺さってくれたらしい。


「で、どうする? 仲間は居なくなったがまだやるつもりか?」


「――――なめんじゃねぇっ!!」


 怒りに目を血走らせて、禿頭は叫ぶ。

 まだ叫ぶだけの気勢が残っているのは、死んだ二人を率いていたリーダーとしてさすがと言うべきか。

 だが、生憎もうお前たちへの興味は失せた。


「死ねえぇっ!」


 突進。ただ怒りに駆られるだけじゃなく、目だけは冷静に俺を逃がさないとばかりに見据えている。

 リーチの長い槍の間合いに入った。禿頭の肩が強張る。

 鋭く繰り出される突き。

 禿頭の槍が唸りを上げて、俺の体を穿たんとする。 

 威力は充分。剣を盾にしようものなら、弾かれて貫かれるだろう。

 速さも充分。突進の勢いを乗せた突きは、容易く躱せるものではない。

 だがやはり――――鈍い。

 攻撃を放つ前に起こる無駄な動作は、威力も速さも申し分ない突きの軌跡を明瞭に教えてくれる。

 放つ前からどこにくるのかが分かっていれば、避けるのも容易い。

 俺は半身になって槍の軌跡からギリギリの範囲で逃れる。

 槍は僅かに脇腹を掠めたが、魔法付与がかかったベストに弾かれて後ろに流れていった。

 それを確認した後、俺は体を前傾し、禿頭に肉薄する。


「――――っな!?」


 禿頭の顔に驚愕が張りつく。

 だが、もう槍の引き戻しは間に合わない。

 俺は禿頭の懐まで入り込んでいる。

 生存の選択肢が見つからず、固まっている禿頭に俺は躊躇なく剣を走らせた。

  

 ――――そして、あっけなく禿頭の首が飛んだ。












「またのお越しをお待ちしてま〜す!!」


 ギルドから出ていく冒険者の背に向けて、イルカはお決まりの言葉を投げかけた。

 客商売。相手が厳めしい荒くれ者が多い冒険者であっても、お客様第一。

 常に元気と笑顔は忘れるべからず…………とは当然のことだと心掛けてはいるが、今は夕暮れ時。

 もう日が沈んで夜に変わる間際。

 昼時と同じくこの時間帯もダンジョン帰りの冒険者たちが多いので非常にギルド職員は忙しい。

 それを捌き切り、客足も途絶え始めたところで、イルカの顔には笑顔の他に疲労の色が張りついていた。

 新人ならともかく、二年も務めているイルカが体力的にはどうあれそれを表面に出すなど普通はしないこと。

 だが、それを気に掛けるよりも今はただ、ある冒険者の安否だけをイルカは気にしていた。


「来ないわねぇ、彼」


「い、いったいなんのことやら?」


 イルカを見抜いたような横からの同僚の言葉にも、誤魔化そうとして上擦った声で返してしまう。

 それだけ今のイルカには余裕がない証拠だった。


「まあ、夜まで籠もる人も居るものね。別にまだ来てなくても不思議じゃないかぁ」


「だから! 私は別に誰も待ってなんか――――」


「あら、来たわよ」


「え……」


 イルカは思わず入口の木造りの扉へと目を向けるが…………そこには誰もいない。


「ごめんなさい、気のせいだったわ」


「…………わざとですか。私をからかって何が楽しいんですか」


「あなたのうろたえている姿がとても可愛らしいわ」


「〜〜〜〜っ、いいから仕事をしてください! 仕事を!」


「だって、暇だし」


「それは先輩が暇にしているだけです! 仕事なんてものは探せばいくらでもあるんですからね!」


「あら、来たわよ」


「また嘘でしょう! いいから少し静かにして――――」


「レベルの更新と魔石の換金をしてくれ」


 女性の物ではない少し低めの声が割り込み、イルカは停止する。

 横に居る同僚からカウンターの正面に顔を移せば、見覚えのある上から下まで黒で統一された男が立っていた。

 

「あ……無事、だったんですね?」


「どうでもいいから、早く仕事をしろ」

 

 乱暴で冷たい言い方は、まさしくつい数時間前に聞いたものだった。

 常なら苛立ちが先に起こるが、今はただイルカの胸の内に強い安堵だけが広がっていく。


「はいっ! 少々お待ちください!」


 異様な元気と営業スマイル以上の笑顔を浮かべたことに黒男――――エリクは怪訝な表情をするが、イルカは気にしない。

 見たところ細かい汚れは多々あるが、一見して分かるほど大きな怪我は負っていない。

 イルカは取り返しのつかないことにならなかったことを神に感謝し、迷惑をかけてしまった冒険者の無事を喜んだ。

 

「魔石の換金はこちらではなく、あちらにいる鑑定士のところまでお立ち寄りください。

 それではレベルを計りますので、判定球に手を翳してください」


 職務をこなし口調も受け付けのソレだが、イルカの口元には穏やかな笑みが広がっている。

 純粋な喜びに表情も自然なものとなっていた。

 エリクには何故イルカがそんなにも機嫌がいいのかまったく見当もつかないが、

 別に気になるほどでもないので口には出さず、黙って判定球に手を翳した。

 例のごとく球が光り、数秒経ってから中に戻るようにして収まっていく。

 イルカは上機嫌なまま、出た結果を読み上げようとして――――


「えーと、107ですね。……………………って、ひゃくなっ」


 思わず叫びそうになったのを寸前でイルカは堪えた。

 昼はそれで失敗したのだ。もう二度とあんな不用意な真似はしない。

 ……とはいえ、この結果はいったいどういうことか。

 何度も判定球を見直し、それでも変わらない数値に、イルカは口元が引き攣るのを自覚した。


「あの……」


「どうした? ……ああ、そうだったな」


 ひょい、とイルカの前にギルドカードが差し出される。

 そうだ、レベルが上がったのならカードに記されている前のレベルも、新しいものへと変更しなければならない。

 それにレベルが100を超えたので、ギルドランクもEからDへと繰り上げだ。

 ギルドカードもまた特殊な魔法具でできているので、それに対応したペンを使えば、

 新たなカードを用意する必要もなく簡単に上書きすることが出来る。

 大した手間もなくイルカでもすぐにやれることだ。

 だが、言いたかったのはギルドカードの提示のことではなかった。   

 だけどそこはプロの意地。

 まずは淡々と職務をこなし(といってもペンを数秒走らせるだけ)、

 ギルドカードをルキアに返してから、イルカは緊張とともに改めて問う。


「あの……いったい今日はダンジョンでどのように過ごしていたのですか?」


 問われて、他所の方へと向いていたエリクの顔がイルカへと向けられる。

 真っ直ぐに、何の色も浮かんでいない目でイルカを見つめ、 


「――――余計な詮索はするな」


 コルドフリーズ山もかくやという極寒の冷視線を浴び、イルカはすごすごと引き下がっていった。










「ま、魔王様っ!? いったいこんな夜遅くまでどちらにいらしていたのですかっ! 心配したんですよ!」


 ……半ば予想通り、宿をとっている自分の部屋に戻った俺を出迎えたのはネリィの怒声だった。

 非常にうるさく耳障りだが、それを注意する気力もないので無視してそのままベッドへと倒れ込む。


「ちょ、ちょっと魔王様っ! 無視しないでください!」


「うるさい、もう疲れたから寝るんだ。口を閉じてろ」


 ネリィは不服そうにしながらも、さすがに迷惑だとは思ったのかがなり立てるのは止めた。

 が、代わりにぐちぐちと小言が続く。


「……ダンジョンに行ってきたんですね?」


「…………」


「やっぱり。そんなことだろうとは思いました。

 でも、わたしが傍に居ないのに一人でなんて危険すぎます」


「…………」


「そんな弱々しい御身体で無茶しないでください。

 ダンジョンは魔王様が思っているよりも容易な場所ではありませんよ」


「…………」


「風が吹けば飛ぶようなものなんです、今の魔王様は。

 もっとそこのところを御自覚していただけないと…………」


 ……………………う、うぜぇっ!

 

 いい加減うっとおしくなり、苛立ちでこめかみに筋が立つ。 


 人がベッドに突っ伏して黙っているのを良いことに、好き放題言ってくれやがる。

 なんだこいつ? ほんとに俺のことを敬っているのか?

 何だか最初に会った時よりも敬意が薄れている気がするんだが……。


「大体ですね――――」


「分かった。もう、分かったからいい加減黙ってくださいお願いします」


 非常に面倒だが、体を起してベッドの傍に突っ立っているネリィを見上げながら、俺は言った。


「ま、魔王様。わ、わたしなんかに敬語は使わなくても……」


「そこに反応するな。それぐらいにうっとおしがっているということを察しろ」


 ずいぶんと的外れな反応をするネリィに、余計今日の疲れが体にのしかかる。


「も、申し訳ありません……ですが、わたしの心配も少しは心に留めておいてください」


「…………」


 なんとも押し付けがましいことだとちょっとは思ったが、こいつに助けられた数々のことを思えば無視するわけにもいかない。

 魔王である俺にしたら殊勝なことだが、借りを返さないほど恩知らずではない。


「分かった。何も言わずに行くようなことはしないようにする」


「できれば、わたしが同行できるようになるまで行かないで欲しいのですが」


「…………」


 沈黙は肯定である。

 違う。もちろん否定だ。

 言葉にせずとも気だるげな目線を寄こすだけで、ネリィが軽く息をついたことからも俺の意思は伝わっただろう。


「じゃあ、寝るからもう静かにしろよ。灯りはお前が寝るときになったら消せばいいから」


「あっ、あの……」


 ――――と、背を向けようとする間際にネリィから声がかかる。


 どうやら、今日の俺は少しおかしいらしい。

 僅かに切羽詰まったネリィの躊躇いがちの呼びかけに、しかしダンジョンでの疲れが体に即座に睡眠をとるよう要求しているのだから、話は明日聞くとしてもう言葉に耳を貸さずに寝るはずだった。いつもなら。

 だというのに。


「何だ?」


 と、問い返していた。

 ほとんど無意識に、口が勝手に動いていた。


「あの、ですね。わたしの肩の傷、思ったよりも治るのが遅れるみたいで」


「そうなのか」


 だから、何だ。


「はい。治癒魔法も試したのですが、やっぱり表面の傷を癒しただけで、せいぜいが痛み止めくらいにしかなりません」


「そうか」


「そ、それでですね。わ、わたしが動けないとなるとやはり魔王様が迷惑なさると思いますし、

 わたしとしても早く魔王様の助けになりたいんです。

 ……それで、傷を早く治すためにも、魔王様にやっていただきたいことがあるのですが」


「何だ、言ってみろ」


 会話に応じている割には、つまらなそうな表情を俺は自分でも浮かべていたと思う。

 実際、何故さっき問い返してしまったのかという疑問と後悔ばかりが頭を埋め尽くしていた。

 だが、次にネリィが口出したことは、そんな俺の思考を凍結させるには充分な威力を誇っていた。


「えっと、ですね。お疲れのところこんなことを言うのもなんですが、わ、わ……わたしと寝てください!!」


「…………は?」


 は? である。ほんとに。

 何言ってんだこいつ、と呆れ困惑半々で綺麗に頭を下げるネリィを見れば、

 唇は固く結び、顔を真っ赤にさせ、体は小刻みに震え、とてもじゃないが冗談を言ってる風には見えなかった。

 待て、会話の前後で俺たちはいったい何を話していた。ほとんど生返事だったから内容が飛んでいる。

 確か、ネリィの傷を治すとか言う話じゃなかったか。

 …………いやいや、意味が分からん。

 それがどう、寝ることに繋がる。


「欲求不満なら、よそで解消してこい」


「違いますっ! あ、いや、違わなくもないんですけど…………わたし言いませんでしたか、『食事』の話を」


「食事? ああ、そういえばお前もう何百年と男と寝てないんだったか?」


「まあ、そうなんですけど……要はそれで、栄養が足りていないから淫魔族としての快復力も低下しているのです。ですので、魔王様から精気を頂ければ少しは早く復帰できるのではないかと……」


 成る程な。

 淫魔は異性との粘液接触でしか充分なエネルギーを補給できない。

 俺と行為に及ぶことで不足している栄養分を補おうとするのは、まあ当然の流れとも言えようが。

 だからよそでも精気を吸収できるだろうがとは、答えが分かっているので言わない。

 

「…………」


「あの、お、お嫌でしたら結構ですので。今日は大変お疲れでしょうし。

 ただ、こういう手段もあることをお伝えしたかったというか何と言うか…………ですので――――わわっ!?」


 気がついたら俺はベッドから起き上がり、逆にネリィの肩を軽く押してベッドに倒していた。

 ベッドに仰向けに転がったネリィは、急に何をされたのか分からないようで目をぱちくりしている。


「ま、魔王様……?」


「何だ? お前がしてほしいと言ったのではないのか?」


 今度こそ、ネリィの目が大きく見開かれた。

 目の中にある感情の色は、期待か困惑か。どちらにせよ拒否する意思はない。


「今からお前を抱く。いいな?」


「…………は、はいっ!」


 目が潤み感極まった表情でいるネリィを前にしかし、何の感慨も浮かんでこない。

 ネリィからの了解を得た俺は、ただ乱暴に服を脱がし、ただ乱暴にネリィの体を貪り尽くした。


 歓喜も、幸福感も、切なさも、おおよそ恋人に対する甘い感情は浮かんでこない。

 獣欲と征服欲をもってのみ、ネリィを蹂躙する。

 

 ――――いったい何をしているんだ俺は。


 獣のように、ある種機械的に体を動かしながらぼんやりと俺は思う。

 いつもなら、こんなことはしないはずだ。

 いくらネリィから望まれようが、たとえ俺が万が一そういう気分になったとしても、こいつとだけはしない。

 こいつが俺に向けている感情は気持ち悪いほど思い知らされている。

 足の先から頭のてっぺんまで全身に理解が染みついている。

 だから、無駄に期待はさせないように心掛けていたはずだ。

 どうせロクな事にならないのは目に見えていたから。

 だというのに今俺はネリィを抱いている。

 こいつの要求通りに。欲求通りに。

 

 何故――――と問われてもはっきりとは分からない。

 強いて言えば、イラついたから。

 ダンジョン…………魔物たちを倒すところまでは良かった。

 目的があった。動作確認、装備確認、あらゆる情報を取り込み糧にし、進んでいってる自覚があった。

 ほんの僅かにだが心が満たされていた。空虚ではない、無機質ではない、変化がある時を実感できて。

 だが、冒険者狩りのせいで全てが台無しにされた。

 奴らに別に何を求めていたというわけでもない。目的も何もなかった。

 純粋に、戦ってみたかっただけ。殺し合いをしてみたかっただけ。

 ……だが、殺し合いにすらならない、遊び以下になるとは思わなかった。

 何を求めているというつもりはなかったはずなのに。

 同じ人間だからだろうか。比べてしまう。

 あの夜、あの戦い、命を削り合って生を強く実感する戦場と。

 そして、失望した。

 あまりに稚拙すぎて。あまりにもかけ離れ過ぎていて。

 期待したわけではないのに、あっさりと絶命する奴らをみて、台無しにされたと思った。

 まるで今俺がやっていることすら、くだらないことのようにも思えてきた。

 満たされたものがまた出ていき、また空虚になっていく。

 そのことに対する苛立ち。

 

 ――――それを今、ネリィにぶつけている。


 みっともなく、魔王とは思えないほどの恥知らずな理由で、ネリィに八つ当たりをしていた。

 俺に対する気持ちを知りながら、おおよそ考えられる最低な感情で抱いていた。

 だというのに涙を浮かべて歓喜しているネリィを見て、俺は…………心底気分が悪かった。

 

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