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第二話




「はぁ、はぁ……くそっ」


 悪態を吐きながら俺は走っていた。

 果てしなく長い城の廊下を、まるで何かに追われるようにして必死の形相で走っていた。

 否、追われていた。


「グルアアアアアアアアアアッ!!!!」


 地の底から轟くような咆哮が背後から浴びせられる。

 次いで、ドシンドシンと重量感たっぷりの地響きのような足音。

 恐る恐る振り返れば、涎を吐き散らしながらこちらを射るように睨み追いかけてくる巨大な腐った竜。

 

 ――――ドラゴンゾンビ。

 堕ちた竜種とも、見た目通りに腐竜とも呼ばれるソレ。

 全身の肉が腐り落ち、なんともグロテスクな姿をしているが、見た目とは裏腹に普通の竜種に比べればはるかに劣る存在だ。

 翼はあるが飛べない、竜種の最大の武器と呼べる竜鱗もない。

 つまりは見かけ脅しで、鈍重で防御装甲は紙、とまではいかないがかなり低いザコと呼べる程度の魔物だ。

 ……そんなザコ相手に、俺は今逃走を図っている。

 別にびびったとか、そんなわけじゃない。

 しかし現実問題、今の俺は恐らくこのザコにも勝てない。

 それほどまでに体のスペックは衰えている。

 逃げるのは俺のプライド的にアウトだが、だからといって戦うのはもっと論外だ。

 遺憾であるが……すぐに挽肉になって今晩のおかずにされるだろう。

 無謀と勇気違う。

 俺も魔族だから好戦的な面が自分にもあることを否定できないが、意味の無い戦いを仕掛けるほど馬鹿じゃない。

 逃げ時くらいは心得ている。

 

 ――――だからって、イラつかないわけじゃないが。


「この、しつ、こいんだよっ!!」


 背後に迫ってくる感覚が大きくなったのを感じ取り、横に跳ぶ。

 瞬間、俺がさっきまでいた空間を、腐竜の大きく開かれていた口が飲みこむ。

 俺を食うことだけに集中していたせいか、腐竜は突進の勢いがありすぎてそのまま壁に激突した。

 壁に激突した衝撃で、腐竜が怯んでいる隙に、また俺は駆ける。

 そして後ろから咆哮が轟き、腐竜と俺の鬼ごっこが再開された。

  

 走る。走る走る。

 もう結構な距離を渡っているが、未だ追い付かれていない。

 この腐竜は、はっきりいってかなりノロイ。だが、それでも俺よりは若干速い。

 それだけの条件下なら俺もかなり危なかったが、一つだけ助かったことがあった。

 腐竜ドラゴンゾンビは…………かなりの馬鹿だ。

 魔物の大半が知性も理性はないことを差し引いても、頭具合が可哀相な部類だ。

 ただ廊下を直線に走るだけなら俺はもう、こいつの腹の中だったろう。

 だが、ちょっと斜めにジグザグ走行すれば簡単だ。

 引きつけて壁に近づいた時に横に跳べば、さっきみたいに激突。勝手に自滅して動きが鈍り、その分俺が逃げる余裕が生まれる。

 しかも一度壁にぶつかったなら学習すればいいものの、

 懲りずに俺の動きにつられ何度も繰り返し無様なダンスを踊ってくれるから容易い。

 本当なら壁に激突したときに、崩れて瓦礫の下に埋もれるのが望ましかったんだが……。

 この城の基本的な構造は全て<黒昌石>と呼ばれる特殊な鉱石だ。

 オリハルコン以上の強度と高位の魔術抵抗を持つ、この世界でも大変貴重なもの。

 それがたかが腐竜の突進程度で壊されるわけもない。

 何せ俺と勇者の戦いに耐えきった城だ。

 なら、その強固さを活かしてどこか適当な部屋にでも閉じこもるってのも考えたが、待ち伏せされる可能性もあるから却下だ。

 だから今は永遠と逃げ続けるしかない。

 それでも相手との体力差があるから、そう長くは持たないが。

 

「っ! しめたっ!」


 視線の先。もう後少しの所で長い廊下の終端が見えた。

 今は逃げ切れているが、確実に体力は消耗している。

 長くはもたないことは体が悲鳴を上げて教えてくれている。

 ならば…………ここしかないっ!


「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!?」


 最後の揺さぶりをかけ、腐竜を壁に誘導し、再度またうまく腐竜を壁と激突させることに成功。

 後ろで激しい衝突音と絶叫を聞いてすぐ、俺は全速力でそこに駆けた。

 速く、速く速く! 

 ちょっと距離が開くだけでは駄目だ。出来る限りの距離を稼ぐ。

 速度は落とさないまま俺は滑り込むようにして廊下の終端、曲がり角を曲がって、すぐさま傍にある部屋に駆け込んだ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…………うまくいったか?」


 閉めた扉を背に、荒くも静かに息を吐きながら、俺は周囲の音に耳を澄ます。

 ……これでいけるといいんだが。

 角を曲がってから、部屋にまで入る過程は見られていないはず。

 ドラゴンゾンビは相手の気配を読むなんてできないし、鼻が潰れているから嗅覚に頼ることはできない。

 聴覚はぎりぎりあるようだが有用できるほどのものでもないし、実質視覚だけがやつの感覚器官だ。

 しかし、やつが角を曲がっても俺の姿はもうどこにもない。

 普通なら近くの部屋に忍び込んだくらいは思いつくが、あの馬鹿に限ってそれもない。

 問題は俺がこの部屋に駆け込んだのを見られたかどうかなのだが――――


「グギャアアアアアアアアアアアアアッ!!!?」


「…………………は?」


 ――――結果からして、俺の心配はまったくと言っていいほど見当違いなものとなった。

 いきなり絶叫と爆音が部屋内部に雪崩れ込み、俺はそれを呆然と見る。

 砕け飛散し瓦礫となった壁の一部。

 部屋の側壁に巨大な穴が空き、そこから体半分以上部屋内部に侵入し、痛みに身悶えているのは何を隠そうドラゴンゾンビ。

 

 は? 意味が分からん。

 いや、結果から逆算すればすぐに答えは出るのだが、意味が分からない。

 恐らく俺を必死に追おうとした腐竜が、必死になりすぎて勢い余って角を曲がり切れずに、

 俺が隠れていた部屋の外壁から突っ込んだだろうことは分かる。

 それはいい……だが、その壁をブチ破って部屋の中まで飛び込んでくるのはいったいどういうことだ?

 何故壁で止まらない?

 全ての城の構造が黒昌石で成っていることは間違いないはず。

 この部屋も例外ではない。

 が、脆くも壁は崩れ落ち、俺を危機的状況へと陥れている。


「まさか……」

 

 そこで俺はようやく最悪の理由に思い当たる。

 走っていたから気付かなかったが、この部屋は大広間に比較的近い。

 同じ階層ではないし真下でもないが、斜め下くらいの距離間しかない。

 大広間は知っての通りの俺と勇者の激闘の場。

 当然世界最強級の戦いはいくら黒昌石で作られた部屋であろうと粉砕し、

 被害は広間だけに留まらず城全体に少なからず被害が出ている。

 表面的には何のダメージもなさそうな部屋でも、内部ではズタズタになっていても不思議ではない。

 比較的現場に近いここなら、なおさらのこと。

 腐竜の突進で崩れたとしても不思議ではないということか。


「くそっ……!」  


 本当のところはどうなのかにしろ、状況はもう流れているのだから考えても仕方ない。

 幸い腐竜は空いた壁に体が挟まって身動きとれない状態にあるので、今すぐの危機にはなっていない。

 加えて数回の壁アタック(自主的な)で、少なからずダメージは受けているようだ。

 だが、一つ最悪なことに出口である扉が、さっきの衝撃で歪んでしまっている。

 実際にノブを回して引っ張ってみてもビクともしない。

 いくら脆くなっていようが元は黒昌石。壊そうとしても今の俺の貧弱さ加減では無理がある。

 となると――――


「あそこを通るのか……」


 視線の先にあるものを見て、憂鬱になった。

 ドラゴンゾンビが空けた大穴。

 腐竜の体で挟まっているが、腐竜の脇下に子ども一人分入れそうなくらいのスペースができている。

 俺の体は大人の人族にしたら平均より少し高いくらいだが、屈めばなんとか通れるだろう。

 と、気軽に言えたらいいんだが、その難易度は果てしなく高い。

 挟まっていようが腐竜の上半身は抜け出ているのだ。

 頭と前足の攻撃を掻い潜らない限り、俺の生存は見込めない。

 ……厳しいとこだな、まったく。

 だが、他に出口が無い以上仕方がない。

 

 躊躇う気持ちを抑えつけ、最適のタイミングを見出すために慎重に神経を集中させる。

 そして――――致命的なミスに気がつくことになる。


「…………あ?」


 カクン、と俺の足が力を失ったかのように崩れ落ちる。

 突如バランスが崩れたことで慌てて手を地面に着こうとするが、間に合わず無様に倒れこんでしまった。

 

 ――――何だ? 何がどうなっている?

 

 突然の不可解な事態に困惑しながらも立ちあがろうとするが――――できない。

 腕が、小刻みに震える。いや、腕だけじゃない。

 全身が脳の制御を失ったかのように痙攣し、力がどんどん抜けていく。


「どう、なって、やがる……?」


 そうして口に出した疑問すらも、痺れたように途切れ途切れにしか出せない。

 まるで、電撃でも喰らわされたかのように…………いや、違う。 

 これは――――毒?


「――――っ」


 そう、か。そういうことか!

 あまりにも関係がなさすぎて忘れていた。

 だからこそのこの失態。王の座とかはどうでもいいが、それを抜きにして個人のプライドの問題としても屈辱的だ。

 ドラゴンゾンビはおおよそ能力的にも特性的にも劣化ドラゴンというイメージがあり、それ自体は事実でもある。

 ただし一つだけ普通の竜種にはない特性を持っている。

 それが、毒。

 腐り落ちた身ならではの利点。

 しかし、この特性は別段、竜種以上という突出したものではなかった。

 何故なら毒は常時口腔から息として漏れ出てはいるが、弱い毒性で効果も体を麻痺させるというだけのもの。

 強い者なら普通に抵抗できるし、密室空間でなければ抵抗の無い者でもそこまで気にするほどの物ではない。

 そう、だが今はその滅多な条件が出揃っている。

 弱者と密閉空間。

 業腹なことだが、事実として間違いではない。

 その事実に見向きもしないで、己を強者の感覚のまま状況判断をしていたからこその…………絶対絶命の状況。、

 俺ができる最適な選択は、一か八かで即刻穴に向かって飛び込むことだった。

 …………だった、んだ。もうそれは遅い。


「グルアアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!!!!」


 腐竜が身動き取れないことへの怒りと、目の前に居る獲物への歓喜が入り混じったような叫びを放つ。

 まだかまだかと、近くにありながらも手出しできない状況に焦れているようだった。

 ギシギシと、腐竜が体を押し出す力に挟まっている壁が悲鳴を上げる。

 この分ではそう長くは持ちそうにない。

 早くなんとかしないといけないところだが、俺はただ伏して腐竜を見上げることしかできない。

 

 ――――なんて、無様な。

 これが俺、なのか。

 魔族の頂点に立ち、絶大な力で人族を恐怖に陥れた王なのか。

 人族最強の勇者と互角の戦いを演じた男の姿なのか。

 それほどの力を過去誇っていながらも、こんな、こんなつまらない所で死んでしまうのか。


 情けない思いばかりが胸の内に占めてくる。

 無気力で無力で…………ほんと、今の俺は何にも残っていないという事実が突きつけられた気がした。

 そして、時はそんな俺に優しくなかった。

 反省も弁解もごちゃごちゃになった想いの整理もつかせてもらえず、終焉の時をただ知らせてくる。

 驚くほどあっさりと、乾いた音を立てて腐竜を縛っていた壁が崩れ落ちた。

 動きが自由になり、腐竜の口が横一杯に歪められる。


 ――――獣以下の低脳でも、単純な感情だけは持っているらしい。

 腐竜が嗤ったのを見て、のんきにそんなことを思った。

 いや、思うことしかできなかった。もう、お終いなのだから。

 どうやら動けない俺を見て、腐竜は余裕になったようだった。

 既に爪の届く範囲までは来ているはずなのに、腕を振り上げようとはしない。

 一歩一歩、ゆっくりとだがその涎滴る醜悪な口を俺に近付けてくる。

 殺してからではなく、生きたまま俺を食らうつもりらしい。

 腐竜のくせして新鮮な方が良いとは、皮肉だな。


「グルルル…………」


 いざ食らわんとする前に、一度動きを止めて喉を鳴らしたのは、俺を嘲笑ってのことだったのか。

 俺には判断のつけようがない。

 何か意味のある行動だったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

 だが、少なくとも俺には大きな意味となった。

 ――――腐竜にとっては、何ら変わらない結末だったとしても。


「グルァッ――――」


 目の前のご馳走にいよいよ欲求が耐えきれなくなり、大きく腐竜が醜悪な口を広げ、獰猛な牙で俺を噛み砕こうとする寸前、


「――――駄目ぇぇええええええええええええええええええええッ!!!!!!!!」


 どこからかやってきた甲高い声とともに、腐竜の頭が爆散した。

 

「…………あぁ?」


 あまりの光景に、喉の奥から乾いた声が漏れる。

 今日、いったい何度驚愕すればいいんだと思う中でも、とびっきりのものであったことは間違いない。

 腐竜と擦れ違うようにして影が横切った。途端、腐竜の頭が爆発したように飛び散った。

 それだけ。それ以外は何も分からなかった。

 それくらい異常な光景。

 呆けたまま俺は、突如として乱入してきた闖入者に目を向ける。


 ばらばらと、腐肉と腐汁が降る中に佇むのは金髪の少女。

 背はとても小さいのだが、それとは対照的に自己主張の激しい胸。

 そのはち切れんばかりの物を押しとどめているのは、黒いヒラヒラのドレス。

 貴族たちのパーティで着るようなごわごわした物ではなく、薄く、膝丈しか裾がない外で思い切り遊べそうな身軽なもの。

 胸と可愛らしい容姿以外はさして特徴もない普通の…………いや、か弱そうな少女。

 だが、そのか弱い少女が、どうやってか腐竜の頭を一撃で粉砕したのは紛れもない事実。

 俺は正体不明の闖入者を警戒し、一切の挙動を見逃さないように睨みつけているが、

 少女は何故か、俺の方をその鮮やかな紅の目をうるうる潤ませながら見てやがる。

 そして――――


「…………ま」


「?」


「魔王様〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」


「グハッ!?」

 

 ――――不意打ち。

 ガキが消えた、と思った時には、もう既に俺の腹にガキの頭が突き刺さっていた。

 痛みに悶え咳き込む…………間もなく、ガキが倒れた俺に覆いかぶって、その両の腕で俺の体を万力の如く締め付けた。  

    

「魔王様〜っ!! ご無事ですか!? お怪我はありませんか!? 痛いところはありませんか!?」


「〜〜〜〜っっ!!?」


「ああっ! よかった、どこにもお怪我はありませんね! 

 もしわたしの不注意であんな汚物に魔王様が殺されることになったら…………あの汚物を世界から全て消去した後、

 わたしも魔王様の後を追うところでした〜〜!!」 

 

「〜〜〜〜〜〜っ(し、死ぬ。こ、殺されるっ)!!?」


「あぁ、そんな事より何より魔王様…………御帰還おめでとうございます!

 わたしは、貴方様にもう一度会うことができ、それだけでもう……っ」


 幸せです、と小さくつぶやいてガキはそのまま俺の胸にうずくまっていた。

 ぐすっと鼻を鳴らし、目は涙で濡らして。

 感極まった様子で両腕を俺の背中に回してホールドしている。

 何の事情でそうなっているのかは皆目見当もつかないが…………。


「……………………(し、死ぬ、マジでっ!)」


 強烈な抱擁に俺は圧死寸前だった。

 端から見たら、年端のいかないガキに押し倒されている状態。

 魔族にとっていくら強さに年齢背格好は関係ないとしても、

 俺の肩程度しかない小さな少女に殺されそうになっている絵は笑えないにもほどがある。

 っていうか――――


「い、いいかげんに、しろ……っ!!」


「ふぇっ? …………あ、ああっ!? も、申し訳ありません魔王様!!」


 ようやくガキは現状に気づいたのか、慌てたように俺から離れ、ペコペコ頭を下げる。


「――――ごほっ、げぼ…………てめぇ、いきなり何してくれやがんだ?」


 圧迫地獄から解放された俺は、咳き込みながら立ちあがり、警戒を込めて件の少女を睨みつける。

 ガキ相手に何をムキになってんだかと愚か者は言うのだろうが、このガキが俺より強いのは事実。

 あの腐竜をあっさりと屠った以上、万が一にも勝ち目はない。

 つまり、俺の生殺与奪権はこいつが握っている。

 先の行動も俺に対する敵対行為だとしたら、今の状況はかなり危ういと言うことだ。

 だが、その心配が馬鹿らしくなるほど、ガキの反応は俺の予想を裏切ってくれた。  


「も、申し訳ありませんっ! 先ほどといい今といい度重なる無礼、言い訳のしようも御座いません!

 このネリアージュ、魔王様のお望みとあればいかなる罰も受ける所存です!」


「……………………」


 びくびく体を震わせながら、再度ガキは俺に頭を下げる。   

 うるうると涙目で上目遣いで頬を紅潮させて。


 …………何だ、これは?

 訳の分からないまま殺されそうになったが、こいつにどうやら敵意はない、のか?。 

 甘い考えを叱咤して疑って見るも、全身で謝罪を表現している少女に、警戒を抱き続けるほど俺の心は狭くなかったらしい。


「…………一つ聞いておくが、お前は俺の敵なのか?」


「そんなっ!? 滅相もありません! 

 わたしの主は魔王様ただお一人で、わたしの魔王様への忠誠は一点の曇りもございません!

 わたしが魔王様へ矛先を向けるなど、天地が引っくり返ってもありえないことです!」


 大仰な物言いで、されど真剣な表情でガキは訴えかけてくる。

 俺の人の見る目はどうかはしらないが、無駄に生きてきた経験上からしてそこに嘘はない…………と思う。

 

「ならいい。そもそも罰なんて、今の俺に与えようもないからな」


「ま、魔王様……っ! こんな無礼を働いたわたしをお許しになるなんて、何て寛大な御心!

 さすがはわたしがお仕えする主様です!」


 どうやら俺の言葉に感激したらしく、すんごいキラッキラな尊敬の目でガキが見てくる。

 非常にうっとおしいが……まあ、どうみても敵対する意思はなさそうなので良しとするか。

 思えばドラゴンゾンビを倒したのだって、俺を助けるためだったんだろうし。

 ――――って、あれ?


「毒が、消えてる……?」


 腐竜のことで思い出したが、全身にかかっていた痺れがすっかり無くなっていることに気づく。

 ガキの対処で忘れていたが、立ちあがることも喋ることもまともに出来なかったはず。


「ああ、それならわたしが取り除いておきましたよ」


 あっさりと、感動から抜け出したガキが至極当然のように言ってのけた。


「お前、治癒魔法を使えるのか?」


「はい! ……といっても、せいぜい表面的な傷を癒すのと解毒ができる程度なんですけどね。

 でも、魔王様のお役に立てたのなら良かったです!」


 ほんとに何でもないようなことに言うが、おいおい。

 治癒魔法が扱える奴なんて希少な方だぞ。それも魔族だったらなおさらなこと。

 それを誇りもせずにただ俺の役に立てたことを喜んでいるこいつは、どこか頭のネジが飛んでいってるのかもしれない。

 ……まあ、どうでもいいか。

 それよりもこいつには訊きたいことが山ほどある。


「――――なぁ、おい。ここにはお前以外には誰も居ないのか?」


「え? あ、はい。わたしと魔王様以外誰一人として居りません」


「何故だ? 他の奴らはどうした?」


「それは、あの…………」


「どうした?」


 ガキはそこで唇を噛みしめ表情を曇らせた。内に押しとどめてはいるが、怒りの感情も見え隠れしている。


「遺憾なことながら…………魔王様が勇者に封印されたのち、大半の者が人族を恐れ逃げ出してしまいました。

 残った者も魔王様の恩を忘れ、我が玉座に据わると醜い争いを繰り広げるのみ。

 あろうことか魔王様を、封印してある媒体ごと死の谷へ放り出そうとする輩まで出る始末。

 ……ですので、煩わしい輩はすべてこのわたしが制裁を加え、二度とこの城に立ち入れないように致しましたのでご安心を」


「そ、そうか……」


 …………配下の魔族らが取る行動は、概ね予想できていたことで驚くことはなかったが。

 まさか、反乱を起こそうとした荒くれ魔族どもがこんなガキンチョに叩きのめされるとは。

 魔将クラスのやつも当然いたはずだが、いったいこいつはどんなスペックをしてやがる。

 腐竜を軽く倒したことといい、案外底知れない実力を持っているのかもしれない。

  

「ま、まあ何だ……ということは、あれか? 今までお前がずっと俺を守ってくれたのか?」


「そ、それはその……わたししか居ませんでしたし、

 わたしが魔王様を守るだなんておこがましいにも程があるとは思うのですが、

 せめて魔王様がお目覚めになるまではわたしがこの城の管理をしようと思ったわけで……」


 それに、と哀しげにガキは目を伏せて、


「わたしは、魔王様をお守りすることはできませんでした。

 あのとき、何故わたしはあの場に居なかったのかと一生悔いが残るほど、不甲斐ないことだったのです。

 もしあの場に居たならば、身を挺して魔王様をお守りしたというのに…………」


 心底悔しそうに苦しげに、言葉を吐き出した。


「…………馬鹿が。例え大広間にお前が居ようと、結果は変わらなかったろうさ。

 あの場に居た大半の魔将どもが戦いの余波で死んだんだ。それを一魔族が介入した所でどうこうなる話じゃない」


 それよりも、だ。


「大儀だった。良く今まで俺を守ってくれた」


 元王だが礼節なんて、なっちゃいない。

 軽くガキの頭をぽんぽんと叩いてやった。


「ま、魔王様…………」


 ガキは俺の行為に目を丸くして驚いたようだが、すぐに受け入れ照れ臭そうに目を細めた。

 いくら周囲の物事に関心が薄い俺でも、ここまで働いた臣下に労いの言葉を投げるくらいはする。

 それだけでこいつの苦労が少しでも報われると言うのなら、安いものだ。

 それに、どうやらこのガキはしばらく有効活用できそうだしな。

 当時の状況を知っていて、なおかつ俺を慕っている。

 右も左も行くのに覚束ない今の俺にとって、こいつは生命線と同義だ。

 なら手放さないようにご機嫌取りも適度に行った方がいいだろう。

 …………そんなの、まったく柄じゃないんだけどな。

 ひとまず気持ち悪い感傷は胸の内に潜ませて、ガキの方に顔を向ける。


「そう言えば、だ。お前――――誰だったか?」


 あくまで気軽に、そろそろガキやお前という呼び方じゃ嫌がるだろうから、名前を聞きだすくらいの感覚。

 だがずっと配下に居たらしいし、初対面ではないはずだろうから、

 忘れてしまって申し訳ないなという気持ちは……もちろんこれっぽっちもなかった。

 基本、俺は興味ない奴の顔は覚えないからな。

 だが、俺のそんな軽い気持ちとは裏腹に、ピシッと張り詰めたような空気が漂う。

 その空気の発生源は紛れもなく…………ガキンチョ様のものだった。


「え……嘘…………覚えて、ないんですか?」

 

 感情全てが抜け落ちたような無色透明な声色。

 感情が籠っていないのに、ぞわりと怖気の立つほどに威圧的な空気が流れる。


「わ、わたしですよ? ほら、覚えてませんか? 何度も夜、ご奉仕させて頂いた、淫魔族のネリアージュですよ?」 


「え、ええっと、だな…………」


 まさか忘れているなんてわけありませんよね〜、と言外に込められた意思を読みとり、俺はたじろぐ。

 

 ――――忘れてるに決まってんだろうが! …………って言える筈もねぇ!!

 

 といっても、完全に忘れているわけではない。

 これだけ特徴的な容姿(ロリ巨乳淫魔)に治癒魔法にそれなりの実力(正確にどれくらいかは不明だが)の持ち主だ。

 なんとか記憶の端にはかかっているらしく、「ああ、こんなやつもいたかな?」ぐらいの感覚はある。

 が、それを果たして覚えているという範疇に入れていいのか正直微妙なところ。

 …………半端な受け答えをしたら後で痛い目合いそうだしな。 


「…………悪いな。人の顔覚えるのはどうにも苦手でな」


「……………………そ、そうです、か。…………そうですよね。所詮、わたしなんて、その程度の存在なんです」


 言う前から嫌な予感はしていたがどうやら的中したようで、ガキが見るからに生気を失くしたように落ち込んだ。

 覚えていなかったくらいで、何故そこまで気を落とすんだ。

 そんなに俺に仕えることに魔族特有の欲求でも満たされているのか?

 それならまあ、主に覚えてもらっていないことはかなりのショックになるだろうが。

 しかし何とも面倒くさいな。俺の言葉一つでいちいち一喜一憂するとは。

 こんなにコロコロ表情変えて、疲れないのか。


「これからしばらくは世話になるんだから、嫌でも覚えんだろうが」


「え…………お、お側に置いていただけるのですかっ!?」


「嫌なのか?」


「い、いえいえいえいえいえいえいえいえいえ、めめめめ滅相も御座いましぇんっ!

 わ、わたくし、魔王様の行くとこならば、どこまでもお供しますですっ!」


 慌てたせいか、ガキの言動は些かおかしくなったが、表情は見る見るうちに明るさを取り戻していく。

 別にご機嫌取りをしたわけではなく、こいつの意思確認をしたかっただけなのだが、まあ儲けもの。

 いくらか話せる状態にしておいた方が、中断しておいた質問を再開させるにもいいしな。 


「じゃあ、ネリアージュと言ったか?」


「あ、ネリィで構いません」


「分かった…………ネリィ。さっき言ったことも踏まえて確認したいことがいくらかあるがいいだろうか?」


「はい、どうぞ。魔王様のお聞きしたいことは何でもお答えしますよ」

 

 満面の笑みを浮かべるガキ――――ネリィに、俺は遠慮なく口を開いた。


「――――俺が封印されてから今日までのこと、知っている限りで良いから残らず教えてくれ」



メインヒロイン登場?

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