プロローグ
処女作です。よかったら見てください。
ウルザ歴2218年
エルワイア大陸は戦火に包まれていた。
北の人族と南の魔族。その二種族間の対立により。
戦争は確かな理由もなく唐突に、魔族からの一方的な人族領への侵略によって始まった。
もうそれは三年も前から続いている。
たった三年…………それだけで、人族は劣勢に立たされていた。
屈強なる魔族の兵達。それに立ち向かう人族は無力だった。
次々に蹂躙され壊され犯され、殺されていく人々。
人族に残された戦力はもう僅かであった。
誰もが希望を口では吐きながら、心の底では一つの事実を理解していた。
人族は……負けたと。
――魔境の森の奥 魔王城――
「――――既にカルデラを占領し、残った兵らも隈なく処理いたしました。
負傷した兵も少なく、補給は占領地の資源で十分かと」
「これで人族側の領土の約四割が、我等の手に堕ちましたな。
既に我等の勝利は決まったも同然です。
そのうち相手も降伏を申し付けてくるでしょう。ま、もっとも無駄なことですがね」
「……そうか」
――――魔王城 大広間。
濃密な闇と瘴気で満たされた空間。
そこに、並の人間が入り込んだら間違いなく発狂するほどの強烈な邪気を放つ、異形の者たちが集っていた。
我らが主にその戦果を報告するために。
ある者は嬉々として、ある者は淡々と言いながらも誇らしく。
だがその主である、魔王は興味なく短く返すのみ。
(……退屈だ)
一人、玉座に腰掛け、無表情に配下の報告を聞いていた。
いや、ほとんど言葉は耳を素通りしていた。
興味がない。関心がない。
どの言葉もその鬱とした表情を崩すことはない。
――――この戦争の発端は魔王からの発言による物だった。
『今から北へ侵略をかける』
シンプルに、ただのその一言だけで魔族の軍勢を引き連れ人族の領地に攻め込んだ。
何の理由もなく、ただの気まぐれ。
ただの暇つぶしにより、戦火が上がった。
そしてその張本人は、戦争が始まって一月足らずで指揮権を配下に預け、後は城に引き篭もった。
気まぐれで始めた戦争の、やめた理由も気まぐれだった。
――――つまらなかった。
気まぐれで始めてみたものの、多少の期待はあっただけにその落胆はひとしおの物だった。
魔王の満足いくものでは到底なかった。
(……退屈だ)
脆弱な人間をいくら殺したところで、この空虚な心が埋まることはない。
気が遠くなるほど膨大な時を生き永らえてきながら、生ある時を過ごしたことは僅かであることを魔王は痛感していた。
だからこそ刺激を! だからこそ生ある時間を!
それを感じたいがために始めた戦争は、己の虚しさを際立たせる物にしか過ぎなかった。
己の絶大なる力はどこまでも己を孤独にしていく。
(……いっそのこと、また戦争でも起こしてみるか)
虚ろな目で魔王は配下を見渡す。
この広間に居ることを許されたのは、どれも魔将クラスの猛者どものみ。
それでも魔王一人の力には及ばないが、多少は楽しむことができるだろう。
一対世界。
いっそのこと、神に造られたというこの世界そのものを全て相手取るのも悪くない。
昏い光を瞳に宿し、寒気がするほど酷薄な笑みを浮かべ、
今まさにそれを実行しようと魔力を込めた腕を振り上げたところで、
――――光が奔った。
大広間の重厚な扉が爆発とともに吹き飛ばされ、床に転がる。
もうもうと立ち昇る煙。
それを掻き分け現れたのは、一人の人間。
「……ほぅ」
これは驚いた。
まさか予期せぬ珍客が現れようとは。
「き、貴様どうやって……」
「何故ここに人間が!?」
仮にも魔将ともあろう者たちが、気配を感じさせずにここまで侵入してきた人間にたじろぐ。
この場にいる全員の注目を浴びた侵入者は、それをそよ風のように受け止め、
場の魔将ども一人一人に目を通し、最後に玉座に座る俺を見据え――――
「我が名はアズリア・フォン・シュバルツブルク!
汚れた魔族の王よ。貴様の首を取りに来た!!」
堂々と、宣戦布告をしてみせた。
濃密な闇の中でも陰りを見せることなく光り輝く金の髪。
強い意志の光を宿す青の瞳。
何より心地良い圧倒的な闘気を身に纏わせるその人間――――それも、女に久方ぶりに興味が湧いた。
「隠蔽魔法を用いて単身でここまでくるとは、まるで勇者気取りだな」
くつくつ笑って玉座から腰を浮かす。傍らにある魔剣を手に取る。
「に、人間如きが図に乗るな!!」
「主が戦わずとも我等が――――っ!?」
先走る馬鹿どもを視線と手で制す。
邪魔するなよ? これは俺に向けられた挑戦だ。
黙って見ておけ。でなきゃ殺すぞ。
俺は凄惨な笑みを浮かべ、ゆっくりと玉座から勇者と同じ高さまで降り立つ。
沸々と。
湧きあがる新たな熱を灯し。
「――――さて、貴様は俺を楽しませてくれるかな?」
薄暗く、陰気に籠っていた闇が払われる。
煌々と場を照らし出すのは天上の月。
本来なら届かぬはずの光が、何の遮りもなく降り注いでいる。
――――魔王城 大広間。
そこは先刻までとはまるで様相が違っていた。
天井は破壊され月が露わに。
側壁は崩れていないのがないくらいに吹き抜けに。
地面は至る所で罅割れ。
周辺には先ほどまで己の力を自負していた魔将たちだった物が、原型を留めずに転がっていた。
その異様な光景の中動くのは二つの影。
魔王と美しき勇者のみ。
ガキィッ! キンッ!
凄まじい剣戟が広間の中で繰り広げられる。
剣をぶつけ合う度に零れる火花が彼らを照らし出す。
光に浮かぶ表情は対極のもの。
一人は凄惨な笑みを、一人は使命感に燃えた清廉さを。
この惨劇を作りだした張本人たちは周りのことなど意に介さず、ただ共通の想いを胸に抱いていた。
――――こいつを殺(倒)す!!
一瞬の溜めの後、放つ斬撃は両者同じタイミング。
それがぶつかり合い一拍の空白が生まれ、次いで生じた吹き荒れる衝撃はそのまま二人をそれぞれ反対に飛ばす。
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
「ふぅ、ふぅ…………」
開いた距離で、荒れた呼吸を整える。
既に両者、魔力が尽き体力は消耗し、体中傷だらけで満身創痍な有り様。
それにも関わらず、双方の目には相も変わらず強い光が爛々と輝いている。
そして、魔王はこれまでにないほどの興奮と充足感に満たされていた。
これだ! これこそ俺が求めていたもの!
生ある時を! 命を懸けるほどの熱を!
互いに削りあってぶつかり合うものを俺は欲していた!!
歓喜に打ち震える心が悲鳴を上げる体に鞭を打って飛び出す。
早く! 早く戦いを!
狂気に満ちた暴走に応える者は――――最大の敵。
休憩もつかの間、再び激しい剣戟が繰り広げられる。
右に火花が散ったと思ったら左に、前に居たと思ったらいつの間にか後ろにも。
常人では目に追えない速さで、光と音だけが激しさを持って場を彩る。
だが、当人たちとて余裕綽々でそれを行っているのではない。
一つの判断ミスが、僅かな心の揺れがすぐに死に繋がる、そんな極度の緊張感の中にいるのだ。
とても人では、いや魔族でさえも耐えられないような圧力の中、魔王は歓喜する。
もっと、もっとだ! もっと感じさせろ!
配下を殺されたことも城を半壊させられたこともどうでもいい!
全てはこの代償だと思えば安い物!
さあ、もっと俺を楽しませろ!!
口元は歪められ凶悪なものとなっているが、胸の内は純粋な喜び。
その様子はまるで、新しい遊びを見つけた子どものようだった。
喉元のすぐ傍を剛剣が通り過ぎ、反撃にと返した剣は紙一重で避けられる。
ギリギリの綱渡り。
高度な読み合いのもとでの暴風にも似た剣の応酬。
楽しい! 楽しいが…………。
それもあと数合の打ち合いで終わりを告げることを確信して、魔王の胸に寂しさが滲みだす。
互いにもはや体力の限界が近づいている。
決着はもうすぐ。
勇者もそれが分かっているのだろう。
最後の力を振り絞り、今までにないほどに苛烈で美しい斬線を描き出す。
魔王も対抗するように、筋一本一本に神経を研ぎ澄まし剣を振るう。
一合、二合、三合…………。
剣を交える度に高まる熱。
終わりが近づく度に募る寂寥感。
矛盾の感情がせめぎ合う。
だが、それでも勝るのは内から焦がさんばかりの熱。
ああ、心地良い。
こんなにも心震わすものがあろうとは……。
迸る銀光が止み、互いに一歩引いたまま静寂が訪れる。
先ほどまでの激しさと比べると不気味なほどの静けさ。
それに引き換え空気の圧はビリビリと緊張感で押しつぶされそうなほどになる。
互いに視線を交わし、示し合わしたかのように。
次の瞬間には鏡合わせに最高の一撃を振るう……!
「はあああああああああああああああああああぁぁっっ!!!!」
「があああああああああああああああああああああぁぁっっ!!!!」
咆哮が混じり合い、密度のある闘気がせめぎ合い、全力の一撃が激突した。
――――鮮血が舞った。
交差した剣ごと切り裂かれ、体に致命的なまでの傷を刻みつけられる。
そこまで理解して――――勇者は己の敗北を悟った。
「――――礼を言う。貴様は今まで戦った誰もよりも美しく気高く、強かった」
魔王が最高の敵に送る最大級の賛辞を聞き、勇者は崩れ落ちた。
「……エル…………ラトリア………………ごめん、ね」
血溜まりの中に伏しながら、弱々しく勇者が呟く。
……誰か大切な者だったのだろうか?
今までにない充足感に身を包まれながら、
もう少し話をしてみたかったと魔王は不思議な感傷に浸る。
今まで戦った中でも最高の敵が散ることを、惜しむ心がそうさせるのだろうか。
「……………」
纏わりつく未練がましい心を振り払うようにして、魔王は勇者に背を向けた。
トドメは刺すまい。
楽にしてやろうとも思ったが、これ以上美しい体に傷をつけるのは忍びない。
同情ではない。
単純に敬意を表する相手への配慮であった。
――――だが、それが油断であった。
「……、…………、…………、……」
「…………?」
後ろから聞こえる勇者のか細い声に魔王は足を止める。
勇者を気にかけたからではない。
最後の呟きがたとえ魔王に対してのものだとしても、先ほど未練は振りはらったばかりだ。
いつもなら気にも留めないはず。
だが何か危機感を覚え、魔王は勇者の方へと振り向いた。
「――――なっ!?」
弱々しく震える手を懸命にこちらに伸ばす勇者。
その手の平に、命の輝きにも似た黄金の光が集まって――――否、あれは命そのもの!
魔王がそう理解した直後、全身を締め付けるかのような負荷がかかる。
「――ぐっ! 封呪か!?」
それも、命を懸けた禁呪!
マズイと思って抜け出そうにも、万力のような力が圧し掛かって動けない。
万全ならば抜け出すこともできたのだろうが、今は勇者との死闘でそこらの魔物にも劣る状態。
「ぐっ…………おおおおおおおおおおおぉぉっっ!!」
光が魔王を包み込む。
光量が増すごとに魔王を締め付ける力も増してくる。
魔王の抵抗は虚しいほどに、意味を為さなかった。
……もはや、抜け出すことは不可能。
そう悟った魔王は潔く力を抜き、勇者を見下ろす。
地に伏した勇者は、弱々しく今にも死に絶えそうなのに、真っ直ぐにこちらを見据えていた。
――――相も変わらず、眩しいくらいの光を瞳に宿して。
「ふっ、はは…………」
最後に零れた呟きは、
勇者に対する憤怒でも、
己の愚かさに対する自虐でも、
トドメを刺さなかった後悔でもなく、
「――――見事だ」
愚直なまでに己の使命を全うする勇者への称賛だった。
ウルザ歴2225年。
人知れず戦った勇者によって主力であった魔王と魔軍の将らは壊滅し、
人族に戦争の勝利をもたらした。
これより後は人族の繁栄が得られることとなるが、その先にあるものを彼らは知らない。
新たなる闘争と。
忘れ去られた災厄の復活を。
……ネーミングセンスは、突っ込まないで。