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Momentaly*Beautiful  作者: Noah
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IV;イオ


『僕と、踊って、いただけませんか?』


 ただ、何か恐ろしい物を見るような目で見つめているレダに、その青年はもぅ一度ゆっくり繰り返して言った。表情は静かに優しく微笑んでいる。そしてその微笑みは、確かにレダに向けられていた。


誰も私に気付いていなかったはずなのに……


 返事などできるはずもなく、鏡の中から話しかけてくる青年の瞳をただ、見つめる。

 レダの瞳を淡い空色と言うのなら、この青年のは濃い藍色か。

 長いまつげは美しく伸び、その瞳の形をよりくっきりして鮮明なものに仕立てあげている。白い肌と薄い金色の髪はレダのものと重なり、上品な印象をかもしだしていた。青年の髪は天に向かって昇るゆるやかな煙のように立てられていて、力強い。細身の黒い正装に、鮮やかな青のタイ。そして、レダに右手を差し出している。いざなうように、優しかった。


 相変わらず、青年の背後で踊る"人々"はレダの姿に気付いていないようだ。青年のことも見えているのかいないのか……誰もこちらを見ない。

『誰……』

 レダはおびえながらも、その鏡の中の青年に問う。青年は、少し驚いた顔をしたのち、また柔らかく微笑んで言った。

『僕は、イオ』

『イオ……』

 レダはその美しい響きを反復するように声に出した。男とも女ともとれる、中性的な名前。何故だか……とても愛しく感じた。

 けれど、もぅレダの中は恐怖でほとんど埋まっていた。この異様な空間から抜けださなければ。


落ちてはいけない

捕らえられてはいけない……


『ごめんなさい』

 レダはイオに礼儀よく頭をさげ、そのまま彼の瞳を覗かないようにして、踵を返した。


彼の瞳には、何か魔力があるのだ。引き込まれてしまいそうで、怖い。


 しかし。

『!?……あっ』

 振り返って走り出そうとしたのに……このホールから出ようとしたのに。振り返ったそこに立っていたのは、他でもない、イオだった。

 イオばかりではない。そこはまるで鏡の中。

 イオの背後ではたくさんの人々が鮮やかな色を纏って踊っていた。シャンデリアは明るく暖かい灯を放ち、美しいクラシック音楽が流れる様にこのホールを満たしている。暖かく、綺麗な空間。けれど、レダの胸はただただ不安で一色だった。


鏡の中に入ってしまった?


 ゆっくりと振り返り、鏡を見る。そこには……ぼろぼろのワンピースを着た金髪の少女、黒い正装のしなやかな青年、その背後で踊り狂う鮮やかな色達。

 完全に、ついさっきまでは鏡の中にあったはずのその空間だった。その空間の中に、レダはいた。もぅ、抜け出せない。


『そう……』

 イオはとても悲しそうに微笑んでレダを見ていた。そして、しばらくレダを意味ありげに見つめると、肩をすくめて『では。』と言ってレダに背を向けた。

 ゆるやかに歩き、イオは踊り狂う人々の中に消えて行くようだった。

『待って……!!』

 今、ここに一人で残されても、レダには何も出来ない。恐怖と不安におびえ、泣くしかない。それは、あまりにつらすぎる。

『待ってください……』

 レダはイオの後ろ姿にかけより、声をかけた。『?』イオが振り向く。その碧い瞳が、レダのそれを捕らえる。

『私で……いいんですか?』

 みすぼらしい自分に声をかけてくれたイオなら、助けてくれるかもしれないと。僅かな、小さな、希望にすがりつきながら。

 イオは驚いたように眉をあげた。が。

『貴女が良ければ』

 そう言ってイオはレダの手をとると優しく唇を落とした。挨拶とはわかっていても、レダの頬は赤く色付く。

『こっちへ……』

 イオは微笑んでレダの手を引きながら、人々の群れに入って行く。レダはイオのすらりとした後ろ姿を追いながら『あのっ……』必死に声をかけた。


こんなワンピースで……こんな髪で……踊りたくない……っ


 けれどイオは振り返らない。レダは悲しくなってきた。レダだって女なのだ。綺麗な鳥達が舞う中に、みすぼらしい羽では入れない。ワンピースは相変わらず裾が避け、汚れがつき……さっきイオがキスした手にしたって、汚れていたはずだ。

 ついに、人ごみの中に入って行く。レダは半分諦めて、目を閉じた。


『……大丈夫?』

 イオの優しい声がして、レダは固くつむった瞳を開いた。開いた瞳に映っていたのは、人々の見下すような目でもなく、あざ笑う目でもなく、イオの心配そうな顔だけだった。

『あれ……?』

 不思議に思って振り向くと、なおも踊る人々の群れを通り過ぎたあとだった。どうやら、目を閉じてイオのあとについて歩く間に通り抜けていたようだ。


あんなに人がいるのに、ぶつかりもしなかった。


 なんだか不思議な感じで……でも、とりあえずはイオが人ごみを抜けてくれたことにホッと胸をなで下ろした。そのまま踊ることになっていたなら今頃は恥ずかしさで顔が真っ赤だったろうから。

 後ろを振り返ったら、レダがあまりにきつく目を閉じていたから不審に思ったのだろう、イオはまだ心配そうにレダを見つめている。

『あ……大丈夫です……』

『そう、じゃあついて来て。』

 イオは安心したように息をつくと、レダをホールの外へといざなう。ホールの大きな扉を開き、片手を差し延べ、エスコートする。


ホールの外も、この世界なんだろうか……


 もしかしてこれは、淡い夢ではないだろうか。


 素敵な丘で眠ってしまったまま、目を覚ませないでいるので はないだろうか。


 けれど、夢ではなかった。

 そこにあるはずの荒廃した屋敷の風景はなくなっていた。変わりに美しい屋内の情景が広がっている。埃塗れだった絨毯は赤く鮮やかに輝き、蜘蛛の巣だらけだった隅々にまで、光沢が走っている。

 イオはなおもレダの手を引きながら長い廊下を歩いていた。その間、彼は一言も話さなかった。レダはイオの横にぴたりとくっついて、歩いている。時折、彼の顔を覗きながら……。そしてまた時折は、辺りの風景を見回しながら。

 やはりこの屋敷の中は、綺麗にはなっているけれど、始めにレダが迷いこんだあの屋敷に間違いはなかった。あの冷たい屋敷に違いなかった。つまりレダは、屋敷に迷いこみ、その屋敷の奥にあるホールの鏡の前から、別の世界に入り込んでしまったようだった。信じがたい現象ではあるが、実際に自分の身に起きていること。否定する意味もない。

『ここ……』

 イオがレダを連れたどり着いた先は、あの……ほんの数時間前にのぞいた時には、ただの朽ちた家具しかない、暖炉はすすに黒ずんでいた、あのリビングだった。

『気に入った?』

 レダは素直にこくんとうなずく。その仕草は、まだ7つや8つの少女の姿を思わせる。子供の透明な心を持って、愛らしい笑顔のまま成長してきた人。その心の内側が見事に反映されたかのような、可愛らしい外見。

 やはり、レダが先に思った通り、元のこのリビングは素晴らしいものだった。今となっては暖炉の灯も赤々と燃え、あの時には無残に転げていた椅子もきれいに整頓されている。床も磨きあげられ、穴一つないソファは思った以上に上質だ。

『座っていて』

 イオはレダをその上質な赤い布のソファに座らせると、静かに部屋を出て行った。一人取り残されたレダは、不安に包まれながら、目の前の暖炉の火をぼぉとながめていた。

 何故こんなことになってしまったのか。


 ここは一体どこなのか。


 考えても考えても、決して見つかることのない答えを必死に探すかのように、無意味に頭をめぐらせる。

 思えばあの時、屋敷に入ってしまったこと。灰色の薔薇の誘惑に負けてしまったこと。今となっては悔やめないけど、全てが原因だったのかもしれない。好奇の隣りには常に危険が影のようについて回る。それを見抜けなかった、かわいそうな子猫。『もう、嫌――』

 レダはガクンと首をうなだれ、両手で覆った。己の浅はかさへの激しい後悔。抜け出すことの出来ない悲しみ。

 そんなレダにとっての唯一の救いは……

『待たせてごめん』

 言ってイオは部屋に入り、ドアを閉め、レダの元へ歩み寄る。その腕には、一着の服のようなものがかけられていた。

『あの……いえ……』

 どもりながらも、レダは首を振る。妙に愛しく思える、その青年に向かって。

 青年はにこりと笑って、レダの手をとると『こっちへ』。そして歩き出す。

 リビングを抜けてすぐのところに、浴室があった。特に広くない、普通の浴室だ。もちろん、壁は全て大理石で、蛇口などの金具は金製であったが。

『体、流してください』

『え……』

 正直、嬉しかった。もつれた髪も、汚れた顔も手足も服も、全てスッキリさせたくて仕方がなかったのだ。だけど、ここは知らない屋敷の知らない浴室。

『でも』

 ためらうレダをぐぃと脱衣場へ押し込むと、

『ここは僕の屋敷ですから。気にしないで使ってください。』

 そう言って彼は足早にその場を去って行ってしまった。

 仕方なく……いや、むしろ有り難く、レダはイオの好意に甘え、浴室を使わせてもらうことにした。






 しっかりと汚れは洗い落とされ、一度濡れて乾いた髪は、空気を含んでふわりと軽い。白い手足も綺麗で、少し気分の晴れたレダの瞳は輝いている。また子猫のような愛らしさが、彼女の周りに漂っている。浴室にいる間、頭からはずしていた灰色の薔薇を、もう一度同じように髪に差し込む。綺麗に輝く、金色の髪に。






 今まで……黒なんて纏ったことがなかった。

鮮やかで淡い色が好き。

優しくて清々しい色が好き。

それなのに、イオがレダへと用意したドレスは、深い闇のように漆黒で暗い。袖や胸元には白いレースが付いてはいるものの、全身のほとんどを黒が支配しているから、はっきり言って地味に見える。胸は広めに開き、レダの白い肌が大きく露出している。膨らんだ肩の袖は少し窮屈で、丈の長い手袋も同じようなものだった。


『何故、私に声をかけたんですか?』

 上品でなめらかな黒のドレスを着せてくれているイオに、問う。目の前の全身鏡に、レダとイオの黒い姿が映っていた。イオは丁度、レダのドレスの後ろに付いている大きなリボンの形を整えているところだった。




 始め、レダはためらった。

 もう自分はそこそこいい年であるのに、ドレスなんて着たことがないから着方を知らなかった。けれど、いきなり会ったこの青年に着せてもらうなど、恥ずかしくてできるはずがないと。青年は気にしなくていいと言って手を差し延べてくれるのだが、レダはうんと言わない。仕方なく、イオはじゃあと言って、レダとドレスと全身鏡だけを置いて、リビングから出て行った。

『扉の外で待ってるから』

 とだけ、レダに伝えて。


『キャア』

 リビングの中からレダの声が聞こえたのはそれからすぐのこと。

『開けるよ?』

 びっくりしてイオが扉を開けると、尻餅をついてぺたんと座っているレダがいた。その頭には、ドレスのリボンがほどけたらしく、黒く太めの紐が絡まっていた。どうやら、それに引っ掛かって転んだようだ。


 問答無用で、イオに着せてもらうことになった。




 イオの手つきはしなやかで、すぐにレダを黒で包んだ。『本当はコルセットも着るんだけど』そう言いながら優しくドレスをレダに着せて行く。レダの胴は締まってはいないもののすらりと細く、コルセット無しでもさほど関係ないようだった。

 何よりイオは、レダが窮屈を嫌うのを知っていたから……。いやそれよりもずっと前から、レダが鮮やかな色を好むことだって知っていたのだが。

 だからあえて、コルセットは着けなかった。


『だって、貴女が一人でいたから』

 レダに何故声をかけたのかと問われ、イオは少し考えたのちに答えを出した。黒いリボンは形がととのえられ、見栄えがいい。『うん』、イオはそのリボンを見て、うなずく。

『私、あんなに汚い格好だったのに』

 イオの体が全身鏡から一度出て行き、また戻ってきた。その両手には、輝く宝石。幾つもの石がちりばめられた重量感のある、光り輝くネックレスが握られていた。

『服は汚くても、貴女自身は綺麗でしょ』

 軽く笑うように、イオは言った。レダの首元から前に手を出して、ネックレスをその白い胸元に乗せる。イオの小さく静かな吐息が当たる気がして、レダは顔を下に向けた。『前を向いて』イオは後ろからレダの頬を軽く持つと、その顔を上にあげた。レダの顔は恥ずかしさに真っ赤に染まる。

『それに、僕には踊る相手がいないから……』

 金色に輝くネックレスは、鏡に反射した光をその身に取り込んで、逃がさない。ネックレスの真ん中に大きく埋め込まれている、青色の宝石。色は深く濃く、どちらかと言うとレダよりイオの瞳に近い色。

 レダはその宝石のようなイオの瞳を鏡越しに見ながら、聞いた。

『何故?』

 イオの容姿は決しておかしくなく、むしろ他の人より美しい。身長も高ければ、その態度に気取るところも無く、相手など向こうから寄ってきそうなものだ。ただ、この立った髪だけは、あまり上品とは言えないかもしれないが。

『みんな僕のことをおかしいと言って避けますから』

 レダの胸元で輝く宝石は、イオの胸に締まったタイとほぼ同色で。

『何故おかしいの?』

 イオはレダの髪に飾ってある灰色の薔薇をそっと抜き取り、己の胸ポケットに入れる。

『何故でしょう……たまに、僕には他の人達には見えないものが見えるらしくて』

 またイオが全身鏡から姿を消す。

『一体どんな?』

 今度は手にキラキラしたクリームのようなものを持って現れた。

『いろいろです……時には小鳥であり、また時には少年であり、また時には少女であり……』

 言ってイオはレダの瞳を見た。鏡越しではあるけれど、真剣なまなざしに瞳を捕らえられてしまう。

『……え……』

 少し困りながら、レダは動揺した。

『まぁ、最近は全然見えないですけどね』

 にこっと微笑む、と同時にレダの胸を抱いていた緊張がその腕をのけた。

『僕は数年前、恋人と離れ離れになってしまって』

 イオはあの光の粒がまじったクリームをその手にとる。落ち着いた動作がしなやかで美しい。

『もう二度と会えないと思っていたけど』

 そしてその手でレダの柔らかな巻髪を撫でる。優しく優しく。

『……何故、離れ離れに?』

 やがてレダの巻髪は光を纏う。キラリキラリと輝いて、それはまるであの妖精の輝き。

 今度はイオはレダの質問に答えることはなかった。ただ、胸元のポケットからレダの薔薇を取り出して、もぅ一度その髪のもとあった場所に飾る。そして、後ろから、優しくレダを抱き締めた。

『あのっ……』

 レダは驚いて、何も出来ない。鏡で自分の顔を見ると、だんだんと己の頬が赤を帯びていくのがわかる。混乱して動揺して。イオは相変わらずレダを抱き締め、その腕を緩めない。

 レダは鏡の中で、自分の胸元で輝くイオの瞳の色の宝石を見た。その宝石の深い色を見ているうちにだんだんと落ち着きを取り戻し、青年の手を握る。白くて細い腕。長い袖のスーツでは見えなかったけれど、まるで骨のように、その腕を細く感じた。


『やっと……会えた……レダ』


 イオはレダの首筋に顔をうずめて、確かにそう言った。





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