神と物語と人間と
神と物語と人間と 1 少女
神、と言われて読者諸兄は何を連想するだろうか?イエス?ブッダ?アマテラス?ヤハウェ?アッラー?それともスパゲッティ・モンスター?
何を連想するにしても、この物語を読むにあたっては関係ないので安心してほしい。神は神なのだから。
紡がれるのは、神と人の物語。神と人が紡ぎだす物語。
一方が欠けても生じ得なかった、そんな物語だ。
―――「神話戦争とはなんだったのか」(坂原美生著)―――
四月八日、水曜日。
ようやくコートがなくても過ごせる季節の一日だが、高校生にとっては大きな意味をもつ日でもある。新学期、それも新しい学年の始まりの日だ。
朝の静かな空気の中を一組の男女があるいている。二人とも高校の制服に身を包み、手には同じデザインのスクールバックがある。同じ高校の生徒だ。
「春休み、短かったなあ…」
少年がぼやく。高校生活最後の春休みは昨日終わってしまった。
「これで私たちも受験生だねー!勉強しないと」
けだるそうな少年に対し、少女は快活に返す。
「・・・ん?碧、『外』にでるの?」
少年が疑問の言葉を返す。彼らが今住んでいる『島』では、島内出身の高校生であればよほど成績や素行が悪くない限り、そのまま『島』の中にある大学に進学できることになっているのだ。そして、少女―――浜雪碧の成績は現状で上の中。決して悪くはないどころか、かなりいいと言って差し支えない。
「うーん、今のところそのつもりはないけど、『外』から来る人たちよりもずっと勉強ができないんじゃ、後々困るじゃない?」
困ったように、返す少女。島内の大学にはそれなりの数、本土や海外からの入学者がやってくる。受験勉強を経てやってくる彼らに大きく後れをとりたくないというのは、まじめな彼女としては考えて当然のこと。
「っていってもなあ…俺はあんま危機感わかないや。大学入ってから頑張ればいいし」
「もう、言は私より成績いいのに、もったいない!」
楽観的なことを言う少年―――伊吹言―――を軽く小突いて、少女は笑う。
それは、桜が散りだそうかという四月の出来事だ。
世界はおよそ二〇年前に大きく変わった。正確にいえば今から二十二年前の二〇一二年。もっと正確にいえば、その年の八月十五日。
日本は、ちょうど六七年ぶりに戦争に突入した。
その戦争は、「神話戦争」と呼ばれた、人類史上初めて「人類の生存をかけて」行われた闘争であり、初めての「正しい戦争」であったと評価してもいいかもしれない。
戦争の相手は、「神」。神話に語られる「神」の裔を名乗り、地球の領有権を宣言した「末裔」たちだった。
数こそ少ないが確かに神にと呼ぶにふさわしい異能を備えた「末裔」と、数の補いとして彼らが運用する自動化兵器たち。質量ともに兼ねそろえた末裔の軍勢に人類は敗退を重ねていった。
しかし、各国で次第に末裔研究が進み、対抗策が生み出されていくうちに戦況も変化。末裔内の融和派の支援もあり、「天流島事件」を受けて人類は方針を転換、それが二〇一六年夏の反撃、そして終戦へとつながったのであった。
そのまま言たちがあれやこれやと会話していくうちに、次第に教室も少年少女で埋まっていく。さすがに三年生初めての登校だけあって、遅刻する生徒はいないようだ。
そして、どこか間延びしたチャイムが鳴り、同時に教室前方の扉が勢いよく開く。
「はいよーおはようさん」
妙なイントネーションのあいさつと主に教室に入ってくるのは、このクラスの担任、お大宮八重。年のころ二十代後半の女性だ。170センチを超える身長と、姐御肌な性格から、男女問わず生徒に人気がある教員だ。
教壇まで歩き、彼女は教室をぐるりと見渡す。
「どうやら遅刻、欠席はゼロみたいねー。みんな今年もよろしく。」
この高校、天流島特区立第一高等学校は、一学年一五〇人ほど。クラスも4クラスだけだ。単位性に近い制度を取っていることもあり、クラスはホームルーム程度にしか使われない。そのためなのか、クラス替えもなく、三年間同じクラスになる。
「とりあえず連絡事項は…」
八重が連絡事項を読み上げていく。生徒たちは静かに、その言葉を聞く。
そんな、普通の高校のような日常が過ぎていく。
全ての連絡を終えたのち、思い出したように八重がいう。
「あ、そうだ、二年生に転入生がきたんで、仲良くしてやれよ。じゃ、始業式にGO!」
天流島の高校はその性質上、「訳あり」な生徒も少なくない。転入生はそれほど珍しいわけではないが、わざわざ違う学年の教員がクラスに発表するということは、それなりに「訳あり」なのだろう。話を聞いた生徒は、誰からというわけでもなく頷いた。
二十一世紀になって三十年たってもなくならなかった、体育館での始業式を終えると、今日のスケジュールは全て終わったことになる。進学校というわけでもなく、授業の開始は翌日からだ。
「碧、カラオケ行かない?」
帰宅準備を進めていた碧に声をかけたのは、クラスメイトの少女、財部錦。黒髪ショートカットの、クラスの元気印な少女だ。
「あーごめん、今から先生に頼まれた用事が…」
始業式からの帰り道のこと。
「浜雪と伊吹。お前今日の放課後あいているか?」
「はあ、二人ともあいてますけど…」
答えた伊吹に小走りに追いついてきた八重が頼んだことは、奇妙なことだった。
「実は、朝話した転入生に校内を案内してほしいんだよ。ちょっとトラブルがあってさっきついたらしくてな。転入先のクラスのやつらに頼んでもいいんだけど、もう二年生が帰ってしまってな」
始業式からの帰りは一年生からだ。もう二年生の生徒は教室に戻ってしまっている。人によっては部活や家に向かっているだろう。。
「別にかまいませんけど…なんで私たちに?」
他にも三年生はいるし、学校の案内なんて明日以降でも足りるだろう。
「お前ら去年の学校説明会の時に校内案内やってただろ?あんな感じでいいんだよ。じゃあ、頼むぜ!」
そういうと、八重は駈け出してしまった。
その様子を思い出しながら、錦に説明する。
「それ、私もついて行っていい?」
「え、なんで?別に面白いことなんてないと思うけど…」
時間もせいぜい30分というところだろうし、在校生にとっては勝手知ったる自分の高校だ。
「その転入生に会ってみたいだけ!駄目?」
「だ、駄目ってわけじゃないけど…」
碧は答えに困り、言に視線を向ける。目があった。
「碧、なんかこいつらもついて来たいって言ってるんだけど…」
困った顔でいう、言。彼が指示したのは吉直と、
「南雲君まで…」
南雲恵一。言や碧とは親しいクラスメイトであり、クラス一の優等生だが、それほど目立つというわけでもなく、むしろ影は薄い。
「いや、実のところ暇でな…まずいかな?」
言と碧は再び視線を合わせると、結論を出す。
「人数多いほうが楽しいしね…じゃあ、いこっか」
八重から指定された集合場所は職員室の前だった。2034年になっても、いまだに教員が教室まで赴いて授業をし、それを生徒がきくというスタイルは変わらない。電子黒板の導入や、プリント類のデータ配布こそ一般的になっているが、いつの時代になっても「授業」には人と人がいなければいけないということなのかもしれない。
職員室前の掲示板横に、一人の少女が立っていた。身長は碧より少し小さいくらいだが、流れるような黒髪がよく似合う美少女だ。どこかまとっているオーラも他の生徒とは違う。
「えっと、あの子かな…というか、名前さえ八重先生教えてくれなかったよね…」
「まあ、あの人どっか抜けているから…」
本人が気いたら怒りだしそうな会話をしながら、少女に近づく碧と言。
「えっと、転入生というのは君かな?」
言が代表して声をかける。少女は一瞬体を震わせ、次に驚いたような顔をする。
「あ、はい、そうです。学校の案内をしてくださる方ですか?」
「ああ、俺は伊吹。伊吹言。で、こっちが浜雪碧…」
言が一人一人紹介していく。
「はい、皆さんよろしくお願いします。私は尺間百合亜といいます。」
「尺間さんか、よろしく。じゃあ、行こうか」
言を先頭とする集団は、第一の目的地である食堂へと足をすすめる。
「百合亜ちゃんは、どこから来たのー?」
移動を開始してから真っ先に話しかけたのは錦だった。この集団の中で最も社交性のある彼女は、初対面の人でさえすぐに友達になってしまう。
「あー私は…」
言い淀む百合亜。
「おいおい、財部。ここじゃその話題は早いだろ」
苦笑とともに割って入る恵一。「訳あり」の生徒が少なからずいるこの学校では、ここに来るまでに何をしていたのかとか、出身地はどこか、というのは自分から話しだすまできかないのが暗黙の了解なのだ。
「あ、そうだったねーごめんごめん。」
笑いながら自分の頭に手をやる錦。
「まあ、出身がどこかとかはこの学校で過ごす分には関係ないから」
「そうそう、人間も末裔も仲良くやるための学校だからな、ここは」
人間である恵一と、末裔である吉直。二人が友人であるのも、この学校の特性であるといえる。
「日本はまだましだけど、ヨーロッパとか朝鮮半島の方では末裔排外主義も根強いからね…」
ため息をつく碧。宗教的要因で末裔と対立することがなく、また戦場になった期間も比較的短い日本は世界で最も親末裔的な国であるといえる。しかし、キリスト教の影響が強く、しかも神話戦争初期から終結まで戦場となり、いまだに一部を末裔に占拠されたままのヨーロッパや、一時は人類軍が崖っぷちまで追いつめられ、北朝鮮が崩壊に至った朝鮮半島では反末裔の感情がいまだに強い。
「むしろ親末裔なのは環太平洋諸国くらいだからなあ…さてと、ここが食堂だ」
言の足が止まる。三階にある職員室から一階まで下りれば、食堂がある。
「ここには和食だけじゃなくて末裔系の食事もあるし、世界各国の料理が楽しめる。海外からの留学生も少なからずいるからな」
全校生徒450人のうち、実に100人が留学生だ。末裔の生徒は150人で、日本人は200人程度しかいない。
「飯にはまだ早いから、後でもう一回来るかな…その時に食券の買い方とかは説明するよ」
そういって、再び歩き出す言と、彼について行く随伴者たち。
ふと、百合亜が口を開いた。
「ここは、いい学校なんですね…」
「ああ、いい学校だよ…我々末裔にとっては」
吉直が言葉を返す。融和派の先頭に立ち、「裏切り者」とさえ他の末裔から呼ばれる彼にとって、ここは楽園のようなところだ。おそらくは、他の融和派にとっても。
「ここに来るまで末裔の人たちってもっと怖いかと思ってたけど、外見なんて私たちと変わらないしね」
碧が呟く。親末裔的な日本といえど、末裔と会ったことのある人間はほとんどいない。
しかし、この学校では、校庭で人間と末裔が共にボールを追い、教室では同じ教科書を読む。食堂では同じ食事をとり、帰宅する時も同じ道を歩く。
そんなことができる場所は、世界を探しても天流島しかない。
「そう、なんですか…絶対に、なくしてはいけませんね、そんなところ…」