6話 エスケープ
「ユージ、起きて」
その声に、ユージは目を開ける。
そこに美咲の顔があった。
「美咲?」とユージは言おうとするが、口の中に何かが入っていて声が出せない。
酸素マスクがユージの口と鼻を覆い、そのマスクに付いたマウスピースが口の中に入っていた。
美咲が、ユージのマスクを外す。
「目が覚めたみたいね」
そう言うと、美咲はにっこりと笑う。
ユージは、目だけを動かして周りを見る。部屋の中は薄暗く、機械の低い音と共に、ピッ・・ピッと、心臓の鼓動を伝える音が鳴っている。そこは集中治療室のような部屋で、ユージはベッドの上に寝かされていた。美咲の他には誰もいない。美咲は、ユージの手足に着けられた管やコードを取り外している。
「ここはどこ? 病院?」
ユージが聞く。
「まあ、そんなところね」
「俺はどこか悪いのか?」
美咲はユージを起こす。
「訳は後で話すわ。 とにかく、このバッグの中に服とシューズが入っているから、すぐに着替えて」
そして、ユージにバッグを渡した。ユージは、言われるままに病衣を脱ぎ、着替える。
美咲は、その間、ドアの所で外の様子を伺う。そして、ユージがシューズを履き終えると言った。
「気分はどう? 歩ける?」
「大丈夫」
ユージが、ふらふらと歩き出す。美咲は、急いでユージを支えた。そしてユージをドアまで連れて行き、再び廊下の様子を確認して部屋を出る。
ユージは、自分に何が起こっているのか分からない。
「どこへ行くんだ?」
「しっ!」
美咲は通路の角で止まり、ユージの口をさえぎった。誰かが去っていく気配がある。それが遠のくと、美咲はユージを支えながら、再び歩き出す。
そして、大きなガラスドアの前へ来た。美咲はオートロックにカードをかざし暗証番号を入れる。ドアが開いた。その先は四角い部屋のようになっていて、左右に二つずつ、エレベーターがある。美咲は、階下へ行くボタンを押す。
ぼーっとしていたユージの頭は、次第にすっきりしてきた。そして、自分を支えている美咲の手を払い除ける。
「美咲、俺たちはどこへ向かってるんだ?」
「ユージが知りたい所」
美咲が、ユージの目を見ながら答えた。
「俺が?」
「知りたいんでしょ? 例えば・・・ここがどこなのかとか?」
その時、エレベーターのドアが開いた。
美咲はユージを残して自分だけ中に入り、振り向くと言った。
「知りたくなければ来なくていいのよ」
ユージは、何が何だか分からない。
ここって、病院なんだろ?」
「まだ相互スカイ・スクレイパーの中よ」
「42階の?」
「いいえ、地下3階」
「地下3階!? さらに下に行くのか?」
その時、ドアが閉まり始める。美咲は動かない。
その瞬間、ユージの頭に何かの映像が浮かんだ。
「ドアが閉まる、そう、こんな感じだった」と思う。
ユージはエレベーターの中に飛び込んだ。ドアは一旦開こうとする。美咲は、急いでドアを閉じるボタンをたたく。そして、地下7階のボタンを押す。ドアが閉まると、エレベーターは下へ降り始めた。ユージは、今の、あの一瞬の映像はなんだったんだと思う。
「一過性の記憶ね」
美咲が、ユージの考えていることが分かったかのように答えた。
ユージは美咲を見る。
彼女は、ドアの上の表示を見ていた。
4階、5階と数字が変わっていく。
その表情は真剣で、いつもの柔らかい雰囲気はない。
美咲の携帯電話が鳴った。彼女は携帯を開く。
「美咲、セキュリティーシステムに侵入して工作した」
美咲の頭に蓮の声が入ってきた。
「こっちもユージを連れ出したわ。 もうすぐ地下7階よ」
美咲も頭の中で答える。
「君たちの居場所をサーチする機能もかく乱しているが、長くは続かない。与えられた時間は2時間、いや、1時間かもしれない」
「きついわね」
「しょうがない。すべては君にまかせるよ。 あまり派手にやるなよ」
「心得とくわ。それに今回は、あなたも同罪よ」
「智之さんが、なんとかしてくれるさ」
「それは良かった。あなたより心強いんですもの」
「皮肉か?とにかく、連絡はこれが最後だ。無事を祈る」
美咲は、ENDボタンを押す。
そして、不振そうに自分を見ているユージに向かって微笑んだ。
エレベーターが止まり、ドアが開いた。そこは地下鉄ホームで、右側に、小さな二人乗り用のリニアモーターカーがぽつんとある。その横に、一人の男性が立っていた。
「お父さん!?」
それは智之だった。
「ユージ、早くこれに乗りなさい」
智之が言った。リニアのドアは開いていて、そこに座席がある。
その瞬間、ユージは、「まただ」と思う。同じことが前にもあった。誰かが、座席に座るように言ったのだ。
「一過性の記憶が、フラッシュバックしているみたいです」
美咲が智之に言った。
「じゃあ、我々がやっていることは正しいんだ」
「ホント?」
「・・・だと思う」
美咲の茶目っ気のある質問に、智之は、ちょっと自信をなくしたように笑って答える。
「お父さん、何でここに?」
ユージは智之に聞くものの、すべてがあまりにも早く進むので混乱し戸惑ったままだ。智之は、ユージの肩に手を置くと言った。
「お前が住んでいた世界を見てきなさい」
「俺が住んでいた世界?だって、俺は、お父さんと一緒に住んでるじゃない。ここはどこ? お父さんは役所の下水道課で働いてるんじゃなかったの?」
「これが私の下水道なんだよ」
「え?」
またまた~」
美咲が呆れながら言う。
「これ以上、ユージを混乱させないで下さいよ。この後も付き合うのは私なんですから」
すると智之は、少し笑い、そして真剣な顔に戻ると言った。
「浩太に気付かれてしまった。彼はすでに追跡を始めている。倉庫基地をリニアで出たところで、君たちがどのルートを使うのか探っていると思う。急ぎなさい」
「浩太が?」
美咲とユージが同時に言う。そして、お互いを見た。ユージにとって浩太は信頼できる親友のはずだったが、今は違うのだ美咲の目が言っている。
「行きましょう」
美咲は、ユージに手を差し出し、にっこりすると言った。ユージは、その笑顔に誘われるように美咲の手を握る。ひんやりした手だ。ユージは、その手を心地よく感じる。
美咲は運転席に座り、智之がユージを座席に座らせてシートベルトを締め彼を見ると言った。
「待っているから、ちゃんと戻ってきなさい」
それを聞いて、ユージは胸の奥からぐっとこみ上げるものを感じた。そして、目頭が熱くなる。何かを思い出そうとするのだけれど、それが何なのか分からない。
リニアは静かに走り始め、スピードを上げていった。ユージは後ろを向き、プラットホームで小さくなっていく智之を見続ける。智之はどんどん小さくなっていった。
「お父さんを思い出してるの?」
美咲が言った。
「え? お父さん? 今、別れた?」
ユージは美咲を見て言った。美咲は前を見続け、黙っている。
突然、携帯電話が鳴った。美咲はそれを無視し、着信音は鳴り続ける。
「チェックしないの?」
ユージが聞いた。
「どうせ浩太からでしょ」
「他の人だったら?」
「誰であっても、もう、自分で何とかするしかない。携帯を見るだけで私たちがどこにいるのか知られてしまうもの」
「GPS?」
美咲はユージを見る。
「そんなことまで知ってるの?」
「え?」
「もう、そんなものないわよ」
美咲は前を向き直り、少し気を抜くようにして言った。
「まあ、似たようなものはあるけどね。浩太が電話を掛けてくるってことは、私たちがどこにいるのか知りたいからでしょ。それに、浩太とは話したくないし」
「話したくない?」
「私たち、携帯電話に答えれば声を出さなくても会話できるのよ。例え頭の中だけでも、浩太の声なんて聞きたくないもの」
「携帯電話にそんな機能があるなんて知らなかったな」
「携帯じゃなくて、私の脳にその機能があるの」
その時ユージは、美咲と浩太がメールを見ながら会話していたのだと分かった。
「だから、俺が美咲の家へ行った時、蓮さんが戻ってきたんだ。美咲が連絡したからだ」
美咲は、ふふっと笑う。
「そう」
「なんで? 俺が美咲の家に行くのが嫌だったってこと? 俺を嫌いになったから?」
美咲は驚いてユージを見ると、笑って言った。
「そんなこと考えていたの?」
「いや、そうじゃないけど・・・」
ユージは、ちょっと恥ずかしくなる。
「普通、そう思うよ」
と言い訳をする。
美咲は、前を向くと言った。
「そうね、私たち、普通じゃないしね」
ユージは、ますます美咲の言った意味が分からなくなる。とは言え、それより知りたいことがあった。
「お父さんが言った『浩太が追跡を始めた』ってどう言うことなんだ?」
「ああ、浩太は、あなたに外の世界を見せたくないのよ。それは議会の決定でもあるし、浩太はそれに従ってるだけ」
「外の世界? お父さんが言った『俺が住んでいた』って世界のこと?」
「そうね、最も、あなたがどこに住んでいたのかは、はっきりは分からないらしいけれど。あなたが、それを覚えているのかどうかさえ定かではないし。一応、潜在意識の中にはあるらしいわよ。とにかく、浩太は、あなたがさらに混乱するのは良くないと思ってる」
「お父さんは、そう思わない?」
「そうね、と言うより、蓮がそう思わないって言った方がいいかも」
「蓮? 美咲の兄貴の蓮さんのこと?」
「そう。そして、いいえ。蓮は私の兄じゃないわ」
「なんだって⁈」
「これから私たちが向かうのは、あなたが発見された場所。あなたが育った世界よ」