4話 覚醒
朝だ。
「また目覚まし時計の音だ」とユージは思う。
前の夜は頭痛がひどくなり、早くベッドに入った。入ったけれど、すぐには眠れなかった。どう考えても、自分の感覚と、美咲と蓮の言ったことの説明がつかないのだ。そうしているうちに、いつしか眠りに落ちていったのだが、十分に寝れたかどうかは分からなかった。
「ユージ、目覚まし時計が鳴ってるわよ」
母親の声が階段の下から聞こえる。その声は、もっと遠くから聞こえるような気もする。このまま、ずーっと寝ていたいと思う。それと共に、起きて学校へ行かなければならないという気持ちもある。
ユージは、目覚ましのベルを止め、ゆっくりと体を起こした。
体がだるい。
ぼーっとしながら、そのままベッドの上に座った。
…これからどうしよう。
どれだけ考えても、どうして良いのか分からない。
もう面倒くさい気もする。
出来れば、このまま、この部屋に閉じこもってしまいたい。
自分は強いと思っていたのに、そうではなかったらしい。
楽しかった記憶が遠のいていく。
楽しかったって何だろう。
その記憶さえ、今はどうでも良くなっている。
もう、誰にも会いたくないと思ってしまう。
このまま、起きることがなければ良かったのに。
みんな、自分のことを忘れてくれないだろうか。
ほっといてくれないだろうか。
あ、でも、誰かが呼んでいる。
誰だろう・・・
「ユージ、起きてるの!?」
ユージは、はっとした。目の前に、母親の久子が立っている。そして、なぜか自分を可笑しく思ってしまった。
「起きてるよ」
ユージはそう言うと、久子の肩をポンとたたいた。
…刹那的になっても仕方がないと思う。どう転んでも違和感は変わらないんだ。自分で何とかするしかない。
ユージが着替えて下へ降りると、珍しく、父親の智之が食卓で新聞を見ていた。そして、ユージを見る。
「頭痛は治ったのか?」
「うん」
ユージが答える。
「そうか」
智之はそれだけ言うと、新聞をたたみ、立ちながらお茶を飲み干した。
「お父さん、仕事は?」
ユージが聞く。
「今から行く」
その答えに、ユージは、父親が自分を心配してくれていたのだと思った。
「今日は遅刻だね」
ユージは笑いながら言った。智之も笑う。その他愛のない会話に、なぜかユージは、懐かしさを感じた。
ユージは家を出ると携帯電話を開けた。
…大丈夫、使い方は分かる。
そう自分に言い聞かせる。ユージは、浩太にメールを送信した。
「放課後、付き合ってくれない?」
そしてすぐにメール返信があった。
「OK!」
ユージの気持ちは、少し楽になっていた。秋の冷たい空気が、気持ちを引き締める。風が吹くと、路上に落ちた枯葉がカサカサと音を立てる。それは心地よい音だ。
「ユージ!」
学校の門を過ぎたところで、浩太が後ろから追いかけてきた。ユージは、振り向き浩太を見て笑顔を見せる。
「付き合ってって、どこか行きたいの?」
浩太が聞いた。
「うん、今日、浩太はクラブはいいのか?」
「平気。うちの親から、そろそろ進学の準備をしろってんで、止めるよう言われていたし」
「そうなんだ」
「で、どこへ行くの?」
「ちょっとね、後で話すよ」
「そう、分かった」
そう言って二人は教室へ向かった。
ユージは、浩太に対して違和感はない。それに浩太は、いつもあっさりしていて詮索しない。もしかしたら、浩太は自分の気持ちを分かってくれるかもしれない。そして、ふと思った。
…なぜ自分は浩太みたいにクラブをしてないんだ?その答えが思い当たらない。自分はスポーツは好きな方だし、クラブぐらいしていそうなのに。
そして気を取り直す。とにかく、気になるんなら調べるまでさ、そう思うことにする。
その時、授業を始めるチャイムが鳴った。
その日、ユージは普通の学校生活を送り、美咲に会っても、何事もなかったかのように振舞った。
美咲も昨日の事は何も言わない。それは、ユージにとって都合が良かった。まさか美咲に「お前を知らない」なんて言えないし、昨日の事の意味を聞いても答えるとは思えない。聞くのは美咲の方にじゃない、蓮だ、とユージは思った。
「美咲も一緒に行くの?」
放課後になり、靴を履きながら浩太が聞いた。
「いや、美咲には何も言っていない。だから、気付かれない内に学校を出たいんだ」
「昨日、美咲の家へ行ったんだって?」
「美咲が言ったのか?」
「ああ、お前がなかなか返信しないから、美咲の方にメールを送った」
「なんでそれを早く言ってくれないんだよ」
ユージは呆れたように言った。
「いや、聞いたらまずいのかなと思って・・・」
ユージは、浩太の答えに苦笑いする。そして二人は歩き出した。
「自分でも、なんで美咲の家に行ったのか分からないんだ。そしたら美咲の兄貴の蓮さんが戻ってきて、ちょっと焦ったよ」
「あ~、それはまずかったね。あの人、ちょっと怖い感じだしさ」
二人は笑う。
「おまけに、連さんが怪我をしてしまったんだ」
「それも聞いた」
「うん、怪我はどうだったんだろうね」
「さあ、美咲は大丈夫ってだけしか言わないし、お前だって聞かなかったんだろ?」
ユージは、少し間を置いて言った。
「それで、今から、蓮さんに会いに行こうと思ってるんだ。だから、浩太を誘った」
ユージは思い切って言ってみる。自分一人だけで行くのは少し勇気がいるので、浩太を誘ったのだけれど、嫌がられるかもしれないと思っていた。
「え? どういうこと? 会社に? 蓮さんの怪我の様子を聞きに?」
「それもあるけれど、聞きたいことがあるんだ」
「それって、ちゃんとアポを取ったの?」
「いや、突然に行く」
「どうかな~、会ってくれないんじゃない? なんか可笑しくないか? 変だよ」
「そうかな」
「そうだよ。それだったら、美咲を連れて行った方が確実性があると思うけど、妹だし。あ、でも、それも変かも」
「美咲には知られたくない」
「なんで?」
「なんででも」
浩太は歩くのを止めた。
ユージは少し先を行くと振り返って言った。
「一緒に来る? それとも止める?」
その顔は、もう決めたと言っている。
浩太はため息をつくと言った。
「分かった。とにかく行ってみよう。どこの会社なのか知ってるの?」
「うん、検索して住所を調べた。
会社名を良く覚えてなかったんだけど、宇宙関連の会社の数は少なかったから、すぐに分かった。」
「そう」
そこに浩太の携帯電話の着信音が鳴ったので携帯を開ける。
「美咲だ」
「出るな」
ユージはとっさに言った。
「えっ? メールだよ?」
浩太は、驚いて答える。
ユージは、少し考えると言った。
「じゃあ、メールを見るだけ。返信するのは無しだ」
「分かった」
そう言うと、浩太はメールを見る。
ユージは、浩太に言った言葉に、自分で驚いた。今、美咲に自分がしようとしていることを悟られたくない。もし美咲が蓮に操られているのだとしたら、と思うと、特に知られたくなかった。そう思う自分は、神経過剰になっているのかもしれないけれど、とにかく、今はいやだと言う気持ちがある。
「俺が借りたノートを返せって。宿題が出来ないってさ」
浩太はそう言って、携帯をズボンのポケットにしまい、ユージを見た。
「ユージ、美咲と何かあったんだな?」
ユージは、それにどう答えて良いのか分からない。
「ん、今は上手く説明できないんだけど、蓮さんに会ったら、はっきりするかもしれない」
「会えなかったら?」
「それは、それでいいんだ」
ユージは、どうしても、蓮が言った「インプリンティング」の意味を聞きたいと思っていた。もし蓮が自分に会わなければ、それは大した問題ではないのかもしれない。蓮にとっては自分が妹の周りをうろちょろする余計な男子高校生に過ぎないだけかもしれない。もし自分の勘違いなら、蓮に誤ろうとさえ思っていた。
昨日のことは脳震盪のせいなのかもしれないと思うことにしていた。
それと共に、もし蓮が、何かとんでもないことを言ったらどうするのだ、とも思う。怖い気もする。どちらにしても、このまま美咲と付き合うことはできない気がするし、かと言って、だからもう付き合えない、と言うのも腑に落ちない。美咲に何も言わないで蓮に会うのは悪いと思うけれど、会わなければ自分は先に進めないとユージは思っていた。