ブレムミュアエ
あなたは確信を持って言えますか。
自身がヒューマンであることを。
これはあるお医者をやっている友人から聞いたお話です。その友人をAさん、そして友人の話に出てきた問題の少年をBくん、としましょう。
Aさんはとても真面目な脳神経外科医です。大好きなお祖母さんが脳内出血で亡くなったのをきっかけで、脳神経外科医を目指したのだと聞いています。そのAさんは勤務先の大学病院で日々、患者さんの頭のレントゲンを撮って、ここの血管が切れているだとか、あそこに腫瘍が出来ているだとか言って、頭を割って器用な手で血管を縫い合わせたり、腫瘍を切除したりして過ごしています。
そんなAさんのもとに、Bくんとそのお母さんが来院してきました。小さい子どもが診察に来ることは滅多にないので驚いたと聞いています。Bくんのお母さんからの相談内容はこうです。
――私の子が、私を忘れてしまったんです。
不思議な相談です。強く頭をぶつけたとか、それは恐ろしい事故に遭っただとか、はたまた学校やご家庭で身の毛がよだつ恐怖と対峙しただとか、そういった体験をしたのではないか、とAさんは怪しんだそうです。まあ、そうなりますよね。
確かにBくんは事故に遭っていました。
ただ、それは脳に影響の及ぼすようなものではないものでした。ヤカンを落っことして、上半身に大火傷を負ったそうです。
他院で検査した結果、脳には異常が見られなかったため、その時の心理的ストレスが原因でお母さんの記憶が無くなってしまったのではないか、と考えられていたそうです。でも――そんなことってあるんでしょうか?
Bくんはお母さんをすっかり忘れていること以外、元気そのもののように見えたそうです。熱湯を被ったらしい胸元からへその緒の上のあたりまでは火傷の痕跡はありましたが、その他の場所には目立った外傷はありません。レントゲンをもう一度見たそうなのですが、脳に傷や腫瘍の類が見受けられません。その日は念のためということで、MRI検査の予約をしてもらってから帰ってもらったそうです。
そのMRI検査の結果が出る前日の夕暮れ時、Aさんのもとに一本の電話が来ました。かけてしたのは、Bくんのお母さんです。何かあったのだろうか、と首を傾げながらもその電話に出たAさんは、奇妙な話を聞かされたそうです。
――私の子が、今度はお父さんがわからないって言うんです。
急いで病院に来てもらったそうです。事の経緯を聞くと、Bくんは小学校で悪ふざけをしていたところ、階段で足を踏み外したそうです。さいわい、すぐに手すりを掴めたため大事には至らなかったらしいのですが、そのさいに手首を捻挫したのだとか。ただそれだけなのに、自宅に戻ってきたお父さんを見てこう言ったそうです。
――おじさん、だあれ?
それまで何とも無さそうにしていただけあって、お母さんもお父さんも茫然としたそうです。これは救急車を呼ぶべきなのか、後日お医者に行くべきなのか。それで慌てふためいて、Aさんに電話を入れたと言うわけです。
じっさいに顔を合わせてみたが、当のBくんは元気いっぱいの、つい数日前に会ったときと様子は変わらなかった、とAさんは言っていました。
もう一度、簡単なレントゲンを撮って見ましたが、腕のレントゲンを撮ったほうが有意義だっただろう、と思うくらい、なんともありません。どうして忘れてしまうのか。
それでふと、Aさんは思ったそうです。
――これで今度腕を擦りむいたら、また誰かを忘れたりするのだろうか?
と。もちろん、冗談交じりな考えです。だって馬鹿馬鹿しいじゃないですか。走って転んで受け身を取ったら、昨日のご飯のメニューを忘れてしまうだなんて!
Bくんには検査入院、という形で急きょ入院してもらったそうです。何より、お母さんとお父さんが不安で今にも倒れそうな様子だったので、自宅で様子を見てください、なんて言える状況ではなかったのです。
その日の翌朝に、やっとMRI検査の結果が返ってきました。不謹慎にも、何か異常があってくれ、とAさんは祈っていたそうです。だって、これで健康そのものだったらお手上げなんですから。それこそ、未知の病気、「深爪したら物忘れする病気!」みたいになってしまいます。
結論を言うと、なんともなさそう、だったらしいです。頭を抱えながらも、目を皿にして重箱の隅をつつくように写真を観察したとも言っていました。それでふと――思ったそうです。
――あれ。なんか、違和感ないか?
違和感の正体がわかりません。教科書に載っているような、よくある写真と言えば写真なんですから。じっと眺めていて、次第にこう感じ始めたそうです。
――そうだ。なんだか少し、萎縮ぎみじゃないか?
病的なレベルではなかったらしいんですが、少し脳の空洞が気になったそうです。それで気になって、精密検査をいろいろと受けさせたそうです。すると――その結果に、Aさんは驚愕しました。
Bくんの頭の中に、脳がないんです。
この言い方だと語弊がありますね。頭蓋骨の中には確かに脳みそのようなももは詰まっているですが、それらはなんら脳波パターンも見せたかったらしいんです。つまり、Bくんの頭は文字通りお飾りということです。
じゃあ、Bくんはいったいどうやってお喋りをしているんだろうか?
ふとその時、シャツの襟の下から見えた火傷痕に目が留まりました。この事象の発端である、大火傷。その火傷痕の上で――ぎょろりと、何かが動いた気がして、Aさんは思わず悲鳴を上げてしまいました。そんなAさんを、Bくんは「急にひとりでビックリして、へーんなの!」とケタケタ笑っていたそうです。
その後、Bくんは全身のレントゲンを撮りました。そしてそのAさんの恐ろしい予想は確信に変わりました。
BくんはIT企業に勤める父親と、小学校教師を勤める母親という、ごくごく平凡な家庭の子どもです。
走るのも勉強するのも、周りの子どもたちと大きな差はありません。容姿はやや整っている方でしたが、かと言ってとても優れているという程でもありません。つまり、とても平凡な子どもだったのです。そんな平凡な子どもですら――そうなんですから、もしかすふとあなたもそうかもしれません。
腕や腹、背にニキビができてそれらを掻くだけで、BくんはBくんとしての情報が欠損していく。
あなたもそんなBくんのような存在である可能性は無いでしょうか。
頭が首から下にある、ヒューマンでない何かでない。あなたがそんな存在である可能性はいったい、何パーセントくらいあるんでしょうね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。