第六話 私に出来ること
克生と約束した翌朝、疲れ切った様子で紗恋がやってきた。
「さ、紗恋さん……だ、大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃない。昨日そのまま徹夜したから……」
心配そうに駆け寄る克生と悟りきった様子で俯く紗恋。
「紗恋さん、いくら仕事が出来るからって、何でもかんでもやってしまうのは駄目ですよ? 本当に仕事が出来る人間はきっちり自分の仕事を業務時間内に終わらせて定時で帰るものです」
「くっ……克生くんが正論で殴ってくる……」
計り知れないダメージを受けて膝から崩れ落ちる紗恋だったが――――
「だけど――――俺のために頑張ってくれてるんですよね?」
克生はしっかりと紗恋を受け止める。
「克生くん……なんでそのことを……」
「わかりますよ。だって昔から紗恋さんはそういう人でしたから。俺はそんな紗恋さんをカッコいいと思いますし、大好きなんですよ」
克生は両腕に力を込めて紗恋を抱きしめる。
「無理しないでとは俺には言えないですけど、少しでも紗恋さんが元気になるように心を込めて朝食作りましたから、一緒に食べましょう?」
克生の真っすぐな眼差しと熱い抱擁に耐えきれず紗恋は意識を失いかけるが――――極限の空腹と克生の料理への執念があと一歩のところで踏みとどまらせた。
「あ、歩けないから……お姫様抱っこ……して?」
恥ずかしそうに頬を赤らめながら、甘えるように克生の首に両腕を回す紗恋。
鬼の編集長と業界で恐れられる彼女のこんな姿を同僚たちが見たら卒倒すること間違いなしだが、幸いここには二人しかいない。
「そんなことで良ければ喜んで」
克生は紗恋をしっかり抱えると軽やかに歩き出す。
「えへへ~克生くん成分補給中~!!」
「なんですかそれ」
全力で克生を味わう紗恋と苦笑いする克生。
「……えへへ~じゃないですよ、何やってるんですか紗恋姉さん!!」
迎えに出たきりいつまでも戻ってこない兄を心配して様子を見に来たクロエがジト目で紗恋を睨む。
「あ、クロエちゃん~久しぶり~!! 十年ぶりくらい? 私のこと憶えてるかしら~?」
「八年ぶりです。忘れようとしても忘れられませんよ」
「まあ!! 嬉しいわ」
「あの……良い意味で言ってないですからね?」
クロエは疲れたようにため息をつくのだった。
「それにしても――――本当に綺麗になったわね、克生くんが惚気るのもわかるわ~」
「ちょ、何言ってるんですか紗恋さん!? 別に惚気てなんて……」
慌てて否定する克生だが――――
「え、えへへへへへ……克生お兄さまが惚気て……うふふふふ」
興奮状態にあるクロエにはもはや聞こえていない。
「それでね、そんなクロエちゃんに折り入って話があるんだけど――――」
「うふふ、なんでしゅか~?」
クロエがご機嫌なうちにと紗恋は話を切り出す。
「ねえクロエちゃん――――モデルやってみる気……ない?」
紗恋の目が鋭く光ってクロエと克生は驚いて固まる。
「わ、私が……モデル?」
戸惑いつつもクロエは思う。すべてを克生に頼っている現状で良いはずがないと。自分にも役に立てること――――出来ることがあればとずっと考えてきた。これはそのチャンスなのではないかと。
「待ってくれ紗恋さん!! クロエはまだ中学生なんですよ? たしかにモデルとしてやっていけると俺も思いますけど、いくらなんでも早すぎます!!」
「あら? 中学生はおろか小学生からモデルやっている子なんてザラにいるわ。年齢に合わせて活躍の舞台があるのがモデルよ、第一、現役中学生でバリバリ働いている克生くんがそれを言うのかしら?」
「お、俺は……生きてゆくために仕方なく……でもクロエは無理して働く必要なんて――――」
「待ってください!!」
「く、クロエ……?」
「私……やってみたいです、モデル。ずっと探していたんです……私に出来ることってなんだろうって。だから――――このチャンスに挑戦したいって思ってます!! もちろん、無理はしません。学生の本分は勉強ですし……何より克生お兄さまとの時間が一番大切ですから。だからお願いします!!」
クロエにここまで言われてしまえば克生としてもそれ以上何も言えない。
「わかったよ……クロエがそこまで言うなら俺も全力で協力する」
「あ、ありがとうございます……克生お兄さま!!」
克生に抱きつくクロエ。
「ふふ、どうやら話はついたみたいね」
「……なんで紗恋さんまで抱きついているんですか?」
「ええ~? だってクロエちゃんだけズルいじゃない?」
「もう……好きにしてください」
「うん、好きにするわ」
大きくため息をつく克生。
「ところで紗恋さん、モデルってそんなに簡単になれるものなんですか?」
「克生くん、私が今どこの部署にいるか話してなかったっけ?」
そう言われてみれば具体的に聞いたことは無かったなと克生は思う。ちなみに克生の小説やイラストを担当しているのは紗恋ではない。彼女はあくまで社内での影響力を駆使してサポートしているだけなのだ。
「雑誌『クロニクル』の編集長よ」
「クロニクル? ああ、聞いたことあります、たしかファッション誌ですよね?」
「ちょっと克生お兄さま!! クロニクルっていったら私でも知っている日本――――いいえ、世界でも有数のファッション誌ですよ!? あわわ……私みたいな素人絶対に無理です!!」
クロニクルはファッション専門誌としては発行部数世界一を誇る。モデルにとってクロニクルと仕事をすることは憧れであり、その表紙を飾るのは世代を代表するトップモデルだけ。紗恋はそんなブランド誌の編集長に歴代最年少で就任したのだ。
「あはは、将来はともかくさすがにクロニクルにはまだ早すぎるわね。実は今度十代の女の子向けのファッション誌を創刊するんだけど……クロエちゃんにはそこの専属モデルとして契約してもらいたいと思ってるの。事務所に所属すると色々大変だけど、うちとの専属個人契約ならそんなに忙しくないし気を遣わなくていいでしょ? 悪い話ではないと思うんだけど」
「そ、それでお願いします!! 良いですよね、克生お兄さま?」
モデル事務所にあまり良い印象を持っていなかった克生だったが、それなら理想的かもしれないと考える。何より紗恋がいる以上無茶なことや嫌がることをさせるとは考えられない。
「うん、俺も良いと思う。紗恋さん、確認だけど――――クロエの身に危険なことはないんだよね?」
「あはは……まあたしかにモデル事務所によってはそういう話も聞かなくはないけどね、あくまで出版社との個人契約だからそういう心配はないわよ? 撮影場所やスタッフも決まった場所で行うしちゃんとマネージャー付けて送迎もするから。ゼロには出来ないけど極力変なちょっかいさせないと約束する。心配なのはわかるけどね~?」
「そ、それなら良いんだけど……」
紗恋の微笑ましい視線を受けて目を逸らす克生。
「克生お兄さまが私のことを心配してくださっている……えへへへとっても嬉しいです!!」
「お、おいクロエ、くっ付きすぎだろ?」
「駄目ですよ……危ないから離れないようにしないと」
クロエはにやけきった表情で全身を克生に密着させる。
「お兄さま……私も守ってください~!!」
「誰がお兄さまですかっ!!」
クロエと一緒に離れようとしない紗恋。
「ところで克生くん、モデルやってみる気ない?」
「ありません」
「ふーん……ファッション誌の撮影って結構男女が密着するシーンがあるんだけど……仕方ないか」
「……そういうシーンの時だけなら」
クロエが男性モデルと抱き合っているシーンを想像して思わずそう言ってしまう克生。実際にはそんなシーンはまず無いのだが。
「ふふふ、OKそれで十分よ、二人ともよろしくね」
まんまと紗恋の思惑に乗ってしまった克生であった。




