第五話 美人な編集長
「じゃあクロエ、俺は出版社に打ち合わせに行ってくる。夜には戻れると思うから悪いけど昼は食べに行くなり出前取るなりしてくれ」
「わかりました。せっかくなので足りない日用品買ってこようと思っています」
クロエは本当に最低限の物しか持っていなかったので、克生から身の回りのものを揃えるように軍資金をもらっていた。
本当はスーパーで食材を買って主婦力を見せつけたいところであったが、クロエはまったく料理が出来ないのですでに諦めている。そもそも克生相手に中途半端なアピールをしても意味はないだろう。
「何かお土産買ってくるけど?」
「そ、それでは……ラムレーズンのアイスを……出来ればカップのものをお願いします」
「了解、じゃあ行ってくる」
そう言って靴を履き始める克生。
「あ、ちょっとお待ちください克生お兄さま!!」
「ん? 何――――」
振り向いた克生の唇に柔らかい感触が――――
「ふふ、行ってらっしゃいのキスです。早く――――帰ってきてくださいね?」
エプロン姿で小さく手を振るクロエの姿に――――なんだか新婚さんみたいだな――――と思って赤面する克生。そんな克生の姿を見て思い切り照れるクロエ。
ちなみにエプロンは奥さま感を出したかっただけで別に家事をしていたわけではない。
「こんにちは!! 今日はよろしくお願いします」
「あ、克生くん!! よく来てくれたわね!」
大手出版社のロビーで克生を出迎えたのは、バリっとスーツを着こなしたいかにも仕事が出来そうなお姉さんといった感じの女性。
「ごめんね~わざわざ、交通費はちゃんとこちらで負担するから安心してね」
「いえいえ編集長には色々助けてもらったりお世話になりっぱなしなので感謝してます!」
「克生くん……職場では編集長じゃなくて紗恋と呼びなさいと何度言ったら――――」
「紗恋さん……それ普通逆ですよね……?」
真面目な顔で名前を呼べと要求する編集長――――神宮寺紗恋にたいして克生は冷静にツッコミを入れる。
紗恋は克生の両親の知人でよく家にも遊びに来ていたということもあり、親戚付き合いの無かった克生にとっては親戚のお姉さんといったポジションで、数少ない頼れる大人であった。
「そう言いながらもちゃんと紗恋って呼んでくれる克生くん優しくて大好き~!!」
ガバッと抱き着いて頬ずりする紗恋。
「ち、ちょっとここ職場なんですよね? こういうのマズいんじゃ?」
「ん? じゃあ職場じゃなければ良いのよね? 今度克生くんの家行っていいかな?」
「そ、そういう意味で言ったわけでは――――来るのは構いませんけど事前に連絡くださいね? ご飯の用意とかあるんですから」
紗恋は昔からこういう感じなので克生も今更抵抗はしない。しても無駄だとわかっているから。
「やったああ!! 克生くんの作る料理……至福なのよね……今の私には癒しが必要なの!!」
「あはは……お役に立てるなら良かったです。それより今日は何の打ち合わせなんですか?」
「うん、克生くんと二人きりで会いたかったから!!」
「……帰って良いですか?」
「待って!! 冗談だから!! 帰らないで!! 実は早くもコミカライズが決まってね、ゆくゆくはアニメ化も視野に入れた計画があるのよ」
「ええっ!? だってまだ発売してませんよね、俺の本?」
「大丈夫、絶対に売れるから。あ、勘違いしないでほしいんだけど知り合いだから優遇しているわけじゃないのよ? これは編集者としての勘――――いいえ、プロとしての確信なの。だから私としてはどんどん先手を打っていくつもり。発売する新刊の帯にコミカライズ決定と大きく載せて宣伝の相乗効果を狙うわ」
当然克生としては歓迎すべきことであって――――紗恋がそこまで言うのなら任せるつもりだ。
「それで――――俺は何をすればいいんです?」
「話が早くて助かるわ。とりあえずコミカライズに向けてキャラクターデザインを描いて欲しいんだけど……」
「わかりました。納期は一週間くらいで大丈夫ですか?」
「全然オッケーよ、というか早すぎるくらい、本当に優秀過ぎて困るわ」
克生の絵を描くスピードは尋常ではないらしい。本音を言えば翌日にも仕上げられるのだが、かなり余裕を持たせたつもりが上手く行かなかった。
「ねえ……克生くん、一人だと色々大変でしょ? 私――――克生くんと一緒に住もうかな? 今の部屋より会社に近くなるし」
「ええっ!? 紗恋さんが家に住むんですか?」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ、さすがに未成年を襲ったりしないから」
「いや、そんな心配してませんけどっ!?」
「そうなんだ……じゃあ襲う時はちゃんと合意を得てからにすれば良いかな?」
襲う気満々の紗恋にタジタジになってしまう克生。
「あ……いや、あのですね、今は一人じゃないというか……実は妹と二人暮らし始めたんです」
「あ、それでさっき克生くんから女の子の匂いがしたんだ……なるほど……」
「わわっ!? そんなに匂いします?」
ニマニマし始める紗恋に慌てる克生。
「んふふ、慌てちゃって本当にかわいい。それで? 妹ってもしかしてクロエちゃんのことかしら?」
「ええっ!? 紗恋さんクロエを知ってるんですか?」
「まあね、と言ってもずいぶん会ってないからなあ……ね、クロエちゃん綺麗になったでしょ? あの子まるで天使みたいに可愛かったから」
本当に親戚のおば――――お姉さんみたいだなと思いつつ――――クロエの姿を思い浮かべる克生。
「そう――――ですね、すごく綺麗です。今は天使というよりも女神みたいですけど」
「へえ……ちなみにエリカさんと比べたら?」
「え? 母さんとですか……うーん……同じくらい……かな?」
少し悩んだ後、正直に答える克生。
「マジか……ちょっと克生くん、すぐにクロエちゃんに会わせなさい」
「ええっ!? なんでですか? まあ……近いうちに紹介するつもりでしたから構いませんけど……」
「じゃあ悪いけど明日、克生くんの家に行くから!! いいわね?」
「わ、わかりました、あ……ちなみに食事は……?」
「もちろん食べるわよ、朝、昼、夜三食よろしく!! 食費はちゃんと払うから」
「朝も食べるんなら今夜泊った方が良いんじゃないですか?」
「そうしたいのはやまやまなんだけどね……仕事終わらせないといけないから……」
遠い目をした紗恋に克生は何も言えなかった。ただ――――出来るだけ美味しい食事を作ってあげようと心に誓う。
(それにしてもエリカさんと同じレベルの美少女とか……そんな逸材逃すわけにはいかないわ)
そして紗恋もまた心の中で強く誓うのであった。