第三十五話 ウサ耳と貸し切り浴場
「せっかくだから街一番の宿にしたわ。今夜はゆっくりと疲れを癒して明日に備えましょう」
一旦ゲートを使って鳳凰院家に戻っても良かったのだが、シルヴァニア公国では街を楽しむ暇も無かった。せっかく異世界に来ているのにそれではあまりにも味気ないという皆の意見もあり、ここマガトでは宿を取って宿泊することになった。
「紗恋姉さん！！ 大浴場があるって本当ですか！！」
「本当よクロエちゃん、この世界ではお風呂は一般的ではないけど、その分あるところには豪華絢爛な大浴場があるのよ！！」
妹たちにとってやはりお風呂は必須。それはこの世界出身の紗恋であっても同じだ。克生はそこまでこだわりはないものの、やはりあった方が嬉しい。
「ふふふ、それにね、実はこの宿――――従業員が全員ウサギの獣人なのよ！！」
「「「「「にゃ、にゃんだってえええ！！！」」」」」
この言葉が決定打となり、今夜の宿は決まったのだった。
しかし――――
「うん……たしかにウサギの獣人だな……」
「ええ……なぜか全員ムキムキマッチョですけどね……」
「これは……上級者向け……ですわね……」
「紗恋さま……これはどういうことなのですか！！」
「あ、あはは……う、嘘は言ってないわよ？ ええ、嘘は」
たしかに刺さる人には刺さるかもしれない。たまたま克生たちの中に刺さる人が居なかっただけで。
「お客様、よろしかったらモフりますか？」
「「「「いいえ、結構ですっ！！」」」」
一行は心の平安を求めてさっそく風呂に入ることに。
宿の人によると、貸し切りの浴場があるということなので、克生と一緒に入りたい妹たちは当然こちらを選択。
「えっと……さすがに狭いんじゃないかな？」
宿の貸し切り浴場はそれなりの広さはあるのだが、六人同時に入るとなるとやや手狭ではある。
「何言ってるの克生くん、疲れも解消できて同時に強化も出来ちゃう、しかも時短になるのよ？ むしろ好都合じゃない」
強化することに関しては今更克生も文句はないのだが、それでも普段は交代制だ。全員同時というのは初めての経験でさすがに恥ずかしい――――というか、どこに意識を持って行ったらいいのかわからない。一方の女性陣はやる気満々、旅の解放感もあるのだろうが、とても断れる雰囲気ではなかった。
「ふう……良いお湯ですね……疲れが溶けてゆくようです」
肩まで湯に浸かったクロエが気持ち良さそうに両手両足を伸ばす。
「たしかに……どうやってこんな良質なお湯を確保しているのかしら？」
焔は一度やってみたかったのよね、と犬かきで泳いでいる。貸し切りなので誰にも文句は言われない――――と言いたいところだが、
「お嬢さま……もうすぐ高校生になろうとしているのに恥ずかしくないのですか？」
「清川は真面目なのだわ、こういうのは楽しんだもの勝ちなのよ」
開き直る焔にため息をつく聖。
「こっちの世界って、まともな水道設備ないって聞いたけどな。とすると魔法かな？」
「正解よ魔璃華、こういった大規模浴場の場合、水魔法が使える者を雇っているケースがほとんどなの。人件費だけで済むからね」
さすが異世界と感心する妹たち。
「ですが紗恋さま、水魔法が使えるような優秀な人材が風呂係みたいな仕事をするものなのですか？」
聖は素直な疑問をぶつける。魔法が使える人材は希少だと聞いていたから当然の疑問だろう。
「魔法を使える者が皆高ランク冒険者や宮廷魔導士に成れるわけじゃないのよ？ 命の危険が無くて拘束時間が短いのに給金も良い。わりと人気の仕事だったりするのよ」
「なるほど」
たしかに街を一歩出れば魔物が跋扈する世界、安全に稼げるのであれば人気になるのも頷ける。
また、湯を温めるのは火魔法使いで、湯船は水温を維持する性質を持つ天然石が使われているため、水魔法使いの仕事は、大量の水を用意するだけである。魔力に余裕がある者は、それ以外にも飲料水を販売したり。安全な水の確保が難しい都市部において、水魔法使いは引く手あまたなのだ。
ちなみに――――克生は疲労を考慮して休憩中である。
終わりではなく、あくまで休憩だ。
「おかしいな……お風呂って疲れを取るために入るものだと思っていたんだけど……」
克生のつぶやきを肯定する者は――――この場にはいなかった。
「ふふふ、昨晩はお楽しみでしたね」
翌朝、宿のウサギさんたちの生温かい視線が克生の深い部分に突き刺さる。
実際楽しんでいたのは事実なので何も言えないのも辛いところだ。
そして――――いかに克生が現実逃避しようとも、隠し切れない筋肉とうさ耳のギャップが克生のライフをごっそりと削ってゆく。
「克生お兄さま？ なんだか疲れていらっしゃるようですが大丈夫ですか？」
「あ、ああ……大丈夫だ。あくまで精神的なものだから。心配かけてごめん」
「兄上、良かったらハーピーたちをモフると良い。癒されるぞ」
「おお！！ それは良いな、是非頼むよ」
森へ戻るとハーピーたちが綺麗に整列して出迎えてくれる。
たっぷりとモフって癒された一行は再び竜化したクロエに乗って一路北を目指す。もちろん飛び立つ際は紗恋の認識阻害と幻影魔法によってその姿を隠すことは忘れない。
「今日は距離を稼ぐだけじゃなくてレベルアップもするわよ」
「「「おおっ！！」」」
実は飛行ルート上に魔物が多く生息するエリアがある。クロエが休憩するついでに魔物を倒してレベルアップをしようという作戦だ。
「ここがネグラル砂漠、通称『死の砂漠』よ」
ネグラル砂漠を構成している砂には高濃度の魔素が含まれている。
そのため、本能的に魔素を求める魔物が集まりやすい。砂漠化しているのは、雨が降らないからではなく、高濃度の魔素に植物が耐えられないからだと言われている。
「いよいよ魔物との戦いですね」
ハーピーの時は戦闘はしていないし、飛行中は竜に恐れをなして普通の魔物は近づいてこない。
賊との戦闘を除けば初の本格的な実戦だ。嫌でも力が入る。
特にいよいよレベルアップが出来るとあって、妹たちの気合は十分。
死の砂漠を舞台に――――克生たちの戦いが今始まろうとしていた。
