第二十八話 世界のはざまで
おかしい……。
克生はすぐに異変に気付いた。
たしかにゲートは正常に発動していたし、間違いなく扉を抜けたはず――――
それならば目の前に広がるこの光景は一体何なのだ?
どこまでも白く――――実際には白いわけではないのかもしれないが、そう表現するしかないくらい真っ白な空間――――いや、ここが空間なのかどうかもわからない。
何しろ床も天井も無く、上下左右の感覚すらないのだ。
耳を澄ませてみても何も聞こえない――――時間の感覚すら怪しい。
このままの状態が続くのであれば、五感がおかしくなってしまいそうだ。
今のところそうなっていないのは――――
すぐそばに同行している紗恋、そして妹たちの存在があるから。
「紗恋さん、もしかしてここが異世界なんですか? なんか思ってたのと違いますが……」
違うのではないかと薄々感じつつも、不安そうな妹たちの気を紛らわせるためにあえて紗恋に話しかける克生。声が出せるのか確かめてみる意図もあった。
「ううん、違うと思う。だってここには魔力が一切無いから」
「魔力が無い? ということは……ゲートが失敗したってことですか?」
会話が出来ることに安堵しつつも、ここが異世界でないのであれば明らかに失敗である。やはり実際の視覚イメージが必要だったのかもしれないと克生は落ち込む。
「わからないわ……でも、魔力は無くとも神聖な力は感じる。神殿や聖域に近いというか――――」
紗恋の言葉が途中で途切れる。
克生たちのいる空間に膨大な光の奔流が流れこんできたのだ。
「皆、離れるな!! 俺と紗恋さんの後ろへ!!」
黙って従う妹たち。この場を支配する圧倒的……という言葉すら生温いほどの存在感を放つ相手にたいして意味があるとは微塵も思えないが、少なくとも兄として盾になるくらいの覚悟はある。
「……克生くん、ゲートは使えそう?」
「……駄目です。理由はわかりませんが発動すら出来ません」
逃げることは出来ない――――か。いざとなれば自分が時間を稼いでいる間に克生たちを逃がすつもりだった紗恋だが、どうやら覚悟を決めるしかないと意識を前方に集中させる。
空間を埋め尽くしている光の奔流が集束してゆく――――
恐ろしいまでの密度をもった光は次第に物質的な形を成し――――それはあえて言うならば人型に近いナニカ――――となって克生たちの前にゆっくりと降臨する。
『怖がらせてしまったようですね。こうして人間の前に姿を見せるのは慣れていないので力加減が難しいのです。安心しなさい、私はあなた方に害をなすものではありません――――とはいえ、味方というわけでもありませんが――――』
目の前にたしかに存在しているのに認識できない。脳内に直接語りかけてくる――――女性? と思われる声――――声、なのだろうか?
「お、俺たちをここへ連れて来たのは貴女なのですか?」
辛うじて声を発することが出来たのは克生のみ。
『あら、まだちょっと辛そうですね。もう少し抑えないと駄目かしら。ええ、そうです。私があなた方をここへ呼びました。ちょっと待ってくださいね、はい、これで少しは楽になったかしら?』
場に満ちていた圧迫感がいくぶん和らいで――――ぺたんと崩れ落ちる妹たち。紗恋もようやく呼吸が出来るとばかりに短く呼吸を整える。
「ここは一体どこなんですか? そして――――貴女は一体何者なんでしょうか?」
表情は見えない、認識することが出来ない――――が、少しだけ微笑んだように克生は感じた。
『ここは私が一時的に作り上げた場所――――異空間のようなもの、と言えばわかりやすいかもしれません。あなた方の暮らしている世界とこれから行こうとしている世界のはざまです。そして――――私は――――そうですね……あなた方が女神と呼ぶ存在が一番近いでしょうか。初めまして克生くん。まあ……私の方は初めましてではないのですけれど、ね?』
ふふふ、と小さく笑う女神に――――克生たちは固まったまま動けない。
言葉の意味は理解できるのだが、あまりに予想外の出来事過ぎて脳からの命令が身体まで届かない。ただ――――彼らの目の前にいる存在が女神、もしくはそれに近しい存在だということは理解していた――――いや、させられていたという方が正しい。
「め、女神さま!? し、知らぬこととはいえ……た、大変ご無礼、申し訳ございませんでした!!」
いち早く動けるようになった紗恋はそのまま平伏して土下座した状態になっている。克生たちとは違い異世界で生まれ育った彼女にとって女神というのは想像以上に大きな存在だ。あの何事にも動じない紗恋が震えながら決して頭を上げようとしないのは当然であっただろう。
『紗恋ちゃん、そんなに畏まらなくていいのですよ? ほら、そんな風だと話が出来ませんからもっと楽にして、ね?』
楽にしてと言われてそう出来るはずもないが、女神が口調を親しみやすいものに変えるのと同時に何かしたのだろう。紗恋――――そして克生たちもようやく楽になると同時に場が温かく心地良い空気に包まれる。
『焔ちゃん、聖ちゃん、それから魔璃華ちゃんですね。ケーキとおいしい紅茶を用意したのですよ、少し長くなりますから遠慮なくどうぞ。お代わりは自動的に補充されますから好きなだけ召し上がれ』
いつの間にか克生たちは椅子に座っており、目の前のテーブルには美味しそうなケーキと紅茶が並べられている。
「わあ!! 美味しそう!!」
「この紅茶……香りが素晴らしいですわ!!」
「……これは凄いですね……さすが女神さま」
「こ、これは……私が大好きな和栗モンブランっ!?」
妹たちはすっかりリラックスモードになっている。やはり甘味は最強だな……と克生は思わず苦笑いする。
紗恋は――――すでに自分の皿に五種類ほどケーキを確保してご満悦だ。
うん……俺も遠慮している場合じゃないな。
女神の温かい視線を感じながら、克生も大好きなアップルパイに手を伸ばすのであった。
克生「すあまもあるだとっ!?」
女神『ふふふ、これが神の力なのですよ』




