第十一話 放っておけないじゃないですか
「そうか……やっぱり焔の母親も行方不明なんだな」
「ええ……お兄さまのお父さま、冬人さまと一緒に出掛けると言ってそれっきり――――」
結局、焔も詳しいことは何も知らなかった。
ただ、克生の家が取り壊された後、焔の家、つまり鳳凰院家に来ることは最初から決まっていたらしい。執事の鬼塚さんは、あらかじめ決められていた段取りに従って俺たちを迎えに来ただけだという。
「ということは、私たち子どもだけが残される事態を予測していた――――と?」
クロエは夕食のローストビーフを食べながら真剣な表情で考え込む。
「どうなんだろうな……父さんたちが何を考えていたのか全くわからないよ」
「まあ……考えてもしかたのないことですわ。それよりこちらの料理も美味しいですわよ、はい、あーん……」
サインを書き続けているために手が使えない克生に、甲斐甲斐しく料理を食べさせる焔。
「お!! これ美味いな」
「でしょう? お兄さま、お口直しにシャンパンのソルベなどいかがですか?」
「ああ、いただくよ」
そう言っている間もサインを書く手は止めない。
「頑張ってくださいね克生お兄さま、あと少しですよ……もぐもぐ」
クロエは口いっぱいに料理を頬張りながら、サインを書き続ける克生へエールを送る。
「あの……クロエお姉さま? 余計なことかもしれませんがそんなに食べて……その、大丈夫なのですか?」
モデルは厳しい食事制限をするものだと思っている焔は心配そうに尋ねるが――――
「大丈夫、大丈夫、私、いくら食べても太らない体質ですから」
「……なんか不公平ですわ……」
お嬢様だっていくら食べても成長しないじゃありませんか、とツッコミたい衝動を抑える清川であった。
「克生さま、お荷物はすべて部屋の方に運び込んでありますが、片付くまではこちらの客室をお使いください」
「何から何までありがとう清川さん」
夕食後、部屋を案内してくれる清川に感謝を述べる克生。
「いえ、これが私の仕事ですのでお気になさらず。それからお風呂ですが、部屋に個室風呂が付いておりますが、地下に大浴場もございます。今夜はどうされますか?」
「それは凄いですね……うーん、大浴場も興味あるんだけど、この後仕事残ってるし……今夜は部屋ですまそうかな」
「かしこまりました。それでは簡単に使い方を説明させていただきます」
清川は克生に風呂を含めた室内設備の使い方を簡単に説明してゆく。
「丁寧にありがとうございます、助かりました」
「そうですか。それでは早速服を脱がさせていただきますね」
呼吸をするように自然に服を脱がし始める清川に焦る克生。
「な、何してるんですか清川さんっ!?」
「お嬢様のために手――――酷使されましたよね?」
「ま、まあ……そうですけど……」
美人にジッと見つめられて言葉に詰まる克生。
「あれだけのサインを書いたのですよ? 克生さまの手は大切な商売道具なのですから万一腱鞘炎にでもなったらどうするのですか? まったく……お嬢様もお嬢さまですが、克生さまも無理したら駄目です」
「も、申し訳ないです。妹が出来て嬉しくてつい……」
「わかっております……」
艶のある長い黒髪から優しい眼差しが克生に向けられる。
「御父上――――先代様はあまり身体の丈夫な方ではなく――――お嬢様が五歳の時に早世されました。母である現当主さまは突然鳳凰院家の重責を御一人で背負うことになり――――」
「そうか……それじゃあ焔も寂しかっただろうな……」
「はい……だからあんなに楽しそうなお嬢さま……久しぶり、いいえ、初めてかもしれません。本当にありがとうございます克生さま」
頭を下げる清川に克生は優しく笑みを返す。
「違いますよ、俺はたいしたことしてません。焔が優しくて良い子に育ったのは――――清川さんや周囲の人たちの献身があったからこそじゃないですか? まだ会ったばかりですけれど、今日一日でそれがよくわかりました。こちらこそ感謝してます」
深く頭を下げる克生に清川は少し驚いたように目を見開く。
「克生さま……貴方は――――貴方さまは――――本当にお優しい御方ですね。そんなの――――」
――――放っておけないじゃないですか
「とにかく――――お疲れなのですから私にすべてお任せください。良いですね?」
「は、はい……それじゃあお言葉に甘えて」
優しい性格ゆえに押しに弱い克生、清川に強く言われてしまえば身を任せるしかない。
清川のその細くしなやかな指が克生の身体に触れるか触れないかギリギリのところで服を脱がせてゆく。
「……意外と筋肉があるのですね」
「ひえっ!? そ、そうですか?」
清川の指がスッと腹筋をなぞると、克生は思わず変な声を出してしまう。
「それでは浴室へ参りましょう」
「え!? まさか……一緒に入るつもりですか?」
「ふふ、お背中を流すだけですよ。それとも――――私も服を脱いだ方が良かったですか?」
「だ、だだ大丈夫です!!」
「それは残念です」
清川は湯船に湯を張りながらシャワーを捻って克生の身体を洗い始める。
「あ、あの……ま、前は大丈夫ですからっ!!」
「駄目です、お身体を清潔に保つことはメイドの仕事であり責務です。大丈夫、洗車機に洗われる車になったとでもお考え下さい。すぐに終わりますので――――」
「いや、洗車機とか言われても――――うわあ!!」
克生は止めようとするが、清川は止まらない。
「克生さま……恥ずかしがられるとこちらとしてもやりにくいですから堂々としていてください」
「わ、わかりました!!」
無心だ……そうだ無心になるんだ!! 克生は持ち前の驚異的な集中力をフルに働かせる――――が、集中と無心は逆のベクトル。この場では悪手である。極限まで研ぎ澄まされた感覚が意志とは無関係に襲い掛かってくる。
(ま、マズい……これは……マズい)
克生は後ろを向いているので緊張と羞恥で真っ赤になっている顔を見られることは無いが、逆に清川の様子がわからないので想像力が無駄にかきたてられてしまう。
(たしかに手を使わなくて済んだのは助かったけど……かえって疲れるような……)
結局、全身を隈なく綺麗にされてしまった克生はぐったりと疲れ切ってしまう。
「はい、お疲れ様でした」
「あ、ありがとうございました、清川さん」
ようやく終わったと安堵する克生だったが――――
「それではお身体拭かせていただきますので両腕を少し上げておいてください」
「ひえっ!? だ、駄目です、今はちょっと……」
両手で大事な部分を必死に隠す克生。
「ご心配なく。ここで見たものは墓場まで持ってまいりますので」
「いや、だから恥ずかしいんだって!!」
「ふふ、私と克生さまの仲ではありませんか、今更何を恥ずかしがるというのですか?」
「……今日会ったばかりですよね?」
「うふふ、そうでしたっけ」
克生は、普段無表情な清川の楽しそうな笑顔に思わずドキリとして見惚れてしまう。
「隙アリ!!」
あっ――――
抵抗虚しく全身をバスタオルで拭き上げられる克生であった。




