第十話 情熱の焔
「こ、これで……最後だ」
最後の一冊にサインを書き終えて力尽きる克生。驚異の速筆を誇る彼であっても、さすがに数千冊のサインはなかなかに堪えた。
しかし可愛い妹が自分の本を買って愛読してくれていたのだ。その感謝の気持ちを原動力に克生は頑張った。そしてついに――――やり遂げたのだ!!
「まあ……本当に全部書いてくださるなんて……お兄さまはまさに神ですわっ!!」
「兄として約束は守らないとな」
何事も最初が肝心、妹にした初めての約束を守れなくて果たして兄を名乗れるだろうか?
それに――――サインが書かれた本の山に頬ずりしながら歓喜に震える焔を見れば、疲れなど吹き飛ぶというもの。克生は心地良い疲労感と充実感を味わっていた。
「お気持ちはわかりますが……いくらなんでも無茶しすぎではありませんか克生お兄さま?」
「まあ……可愛い妹のためだからな、無茶でもするさ。クロエも心配してくれてありがとな?」
「い、いえ……克生お兄さまがそうおっしゃるのでしたら……」
クロエは頬を染めながら酷使された克生の手を取って、心配そうにさする。
(か、可愛い妹……私が?)
一方の焔は、克生がさりげなく発した言葉に耳まで真っ赤にしながら照れる。
元々好きになったら一途に突き進む焔。克生本人に対する好意に加えて推し作家としての熱が上乗せされてしまった以上、焔の愛はこれ以上ないほど高まっている。こうなってしまったら最後、誰にも止めることは出来ない。
「もう……お兄さまったら……好き」
焔は燃え滾る熱情に身を任せて――――後先考えずに克生の胸に飛び込む。
「うわっ!? ど、どうしたいきなり?」
「素敵すぎるお兄さまが悪いのですわ!! 責任を取って抱きしめてくださいませ」
いきなり抱きついてきた焔に困惑しつつも、そこは真面目で責任感の強い克生だ、しっかり焔を抱きしめる。
「ちょ、焔っ!! ズルいです!! わ、私も大好きです、克生お兄さま!!」
妹には負けていられないと克生に抱きつくクロエ。
「おい、クロエまで……仕方ないな」
妹たちに甘えられて嬉しくて仕方がない克生。思わず表情が緩むが――――
「……羨ましい」
「うわっ!? き、清川さん!? いつからそこに?」
「兄として約束は守らないとな――――あたりからです」
どうやら最初の方から居たらしい……。
「まあ……兄妹仲がとても良いのはとても素敵なことだと思います。お疲れでしょうからお茶とケーキをお持ちいたしましょう」
清川はそう言ってにっこりと微笑む。
「あ、あはは…なんかすいません清川さん、助かります」
妹たちにサンドイッチされながら頭を下げる克生。さすがに家族以外にこの姿を見られるのは恥ずかしいと思いつつも、一緒に住んでいるのだから清川も家族ではなかろうかと考えてみる。
「いえ、仕事ですからお気になさらず、ところで克生さまは甘いものは大丈夫ですか?」
「はい、大好きです。疲れた時にはよく食べますね」
「なるほど、ちなみにメイドはお好きですか?」
「え? メイド? ま、まあ……好き……ですかね」
「かしこまりました、一緒にお持ちします」
最後の質問と意味深な答えは何だったんだろうと首を傾げる克生であった。
「でも、まさか焔が克生お兄さまの本のファンだったなんてびっくりしました」
「そんなことないですわクロエお姉さま!! お兄さまの作品は日本国民、いいえ、世界中の人が読むべき至高の書なのですからっ!! むしろファンでない方が驚きます。近い将来教科書に載る日も遠くない――――あ!! そうですわ、教科書に載せてもらうように圧力――――いえ協力をしてもらえば――――」
「ははは、ありがとな焔、その気持ちだけでめちゃくちゃ嬉しいよ。でも教科書は勘弁してくれ」
克生が艶のある黒髪を優しく撫でると、膝の上に座っている焔は気持ち良さそうに目を細める。克生は、さっきは小型犬みたいだと思ったけどこうしていると猫みたいだなと思う。そして――――その横で順番待ちをしているクロエを見て、やはり忠犬のようだと思いながら同じように頭を撫でてゆく。
「克生お兄さまの本は素晴らしいイラストと組み合わさってこそですからね、たしかに教科書ではその魅力が伝えきれないかもしれません」
「さすがクロエお姉さまですわ、ビクトゥリー先生のイラスト最高ですよね!! お兄さまの至高の文章と神絵師ビクトゥリー先生のイラスト、まさに神々の競演……奇跡のコラボレーション……」
恍惚な表情を浮かべる焔とクロエ。
「あはは……そこまで言われるとさすがに照れるな」
二人に手放しで賞賛されて大いに照れながらも、初対面でタイプも性格も違うはずなのにずいぶん仲良くなったなと克生は意外そうに妹たちを眺める。
「克生お兄さまの絵が最高なのは事実なのですから、照れる必要など無いのですよ」
クロエが克生を賞賛するのはいつものことなのだが、やはりここまで真っすぐに言われてしまえば照れるなという方が難しい。
「え? お兄さまの絵? それってどういう意味……ですかクロエお姉さま!?」
クロエの言葉を聞いて再び固まる焔。
ちなみに焔にとって、ビクトゥリー先生は最推しのイラストレーターである。出版されている画集は当然すべて揃えているし、有償で個人依頼を受けていた時期からのコアのファンでもある。ちなみに専用の部屋ももちろん存在する。
「え? どういう意味って……あれ? 克生お兄さまがビクトゥリー先生だって言いませんでしたっけ?」
「き……聞いて……ないですわよおおおお!!!!!!」
目をぐるぐるさせながらパニックに陥る焔。先ほどまでに焔の克生に対する愛情はすでにマックスまで高まっていたのだ。これ以上受け入れるキャパは無い。
「え……待って、お兄さまが真夏にセーター先生で、ビクトゥリー先生? はっ……もしやお兄さまが二人いるっていうこと――――!?」
「落ち着け焔、俺は一人しかいないぞ」
克生が優しく頭を撫で続けると、ようやく焔は落ち着きを取り戻すが興奮は収まらない。瞳にハートと星を浮かべながら兄の胸に顔を埋める。
「お兄さま……好き……好き……大好き……愛してますわ」
呪文のように好きと言い続ける焔にさすがの克生も心配になる。
「く、クロエ、焔、大丈夫かな?」
「うーん、克生お兄さまへの愛が完全に振り切れてしまっていますね。優しく囁きながらキスでもしてあげればオーバーヒートして大人しくなるのでは?」
「うん、却下で」
「あ、あの……お兄さま……お願いがあるのですが――――」
極度の興奮で呼吸もままならなくなっていた焔だが、ようやく正気を取り戻し、この機会を逃すまいと執念で言葉を捻りだす。
「何でも言ってくれ。他でもない可愛い妹の頼みだ、俺に出来ることなら」
克生に可愛いと言われて再び心臓が停まりそうになりながら、焔は意を決して叫ぶ――――
「お、お兄さま!! さ、先ほどの本と画集にビクトゥリー先生のサインしてください!!」
「……え?」
克生は石化したようにピシリと固まる。
またあの地獄を? いや待て――――むしろさっきより増えてるじゃん――――克生は安易に引き受けたことを後悔したがもう遅い。
「ケーキとおいしい紅茶――――それからご主人さまのことが大好きな美人メイドお持ちしました」
「き、清川さん? ケーキと紅茶はわかるんですが、メイドはどうすれば?」
ご主人さまのことが大好き、とか美人とかはあえて聞かなかったことにする克生。
「はい、美味しく召し上がっていただければ」
「食べませんよっ!?」
「あら、残念。ところでまたサイン書いているんですか? とても楽しそうですね克生さま」
「……これが楽しそうに見えますか清川さん?」
「あはは……エナジードリンク持ってきますね~!!」
ケーキを食べながら仲良く談笑する妹たちの隣で、エナジードリンク片手にサインを書き続ける克生であった。




