おばあちゃんの中身
※人の死について描かれます。苦手な方はご遠慮ください。
チリチリン……チリン……
ああ、うるさいなあ。まだ眠いのに、いつもこのベルの音で起こされる。
おばあちゃんが、他の部屋にいるお母さんを呼ぶためのベル。この後に続く、もっとうるさい音から耳を守るため、ぼくは布団にもぐった。
「おはよう! よく眠れた?」
「ああ!」
「寒くなかった!?」
「ああ! ちょうどいいよ!」
「おしり気持ち悪い!? 今見るからね!」
「ああ! ありがとう!」
おばあちゃんは耳が聞こえづらいから、こうして毎日、朝から大声が家を飛び交う。
だからぼくは、結局もう眠れなくなって、目覚まし時計が鳴るまでの時間を、布団の中でもぞもぞしているしかなかった。
ぼくのおばあちゃんは、本当におばあちゃんで。友達の元気で若いおばあちゃんとは大分ちがった。もう八十歳をこえているし、病気で一日中ねたきりになっている。
「私はおそくに生まれた子だから」と、お母さんはよく言っていた。
ぼくはおばあちゃんのことが少し苦手だった。きらいじゃないけど、いやだなって思う時がある。
たとえば、しわだらけの口。しゃべる時も、ご飯を食べる時も、ずっとふにゃふにゃしていて、なんかいやだった。歯がほとんどないから、仕方ないんだろうけど。
それから身体も。半分起き上がる時も、手を動かす時も、ずっとふにゃふにゃしていて、なんかいやだった。
針金のしんにくっ付けた粘土は、ぴしっと立つのにさ。おばあちゃんの中にだって骨はあるはずなのに、一体どうしてなんだろう。
こんな風に考えることは、とてもいけない気がして。お母さんにもだれにも言えなかった。
図書の日は、学校から帰ると、真っ直ぐおばあちゃんの部屋に行く。図書かばんの中から、二冊の本を出しておばあちゃんに渡した。
「東北地方の民話と、イソップ童話集! たくさんお話が入っているから、楽しいと思うよ!」
「ああ! ありがとうね!」
おばあちゃんは日本の昔話や、外国の童話が好きだ。家にある本は全部読んじゃったから、こうして図書の日は、いつもおばあちゃんに本を借りていた。三冊借りられる内の、二冊はおばあちゃんのための本だったけれど、それは別にいやじゃなかった。どんな本が好きかなって選ぶことも、選んだ本を読んでもらうことも、わりと楽しいから。
おばあちゃんはたまに昨日のこととか、ちょっとしたことを忘れてしまう。だから、ずっと前に読んだやつなら覚えていないかなって、家の本をもう一度渡してみたことがある。だけど、「これ前に読んだなあ!」と言われてしまったから、次からはちゃんと新しいものを渡そうと思った。
本屋さんに行ったら、すごく分厚い民話集が売っていて。パラパラめくったら、聞いたこともないめずらしい話がたくさんのっていた。重いから、ふにゃふにゃの手で持てるか心配だったけど、これならしばらく読めるんじゃないかとうれしくなる。少し高かったけど、おばあちゃんがくれたお年玉で買ってみた。
おばあちゃんはふにゃふにゃの手でその本を開くと、すごくよろこんで、顔中をふにゃふにゃにしてくれた。この時のふにゃふにゃは、すごくふにゃふにゃだったのに、不思議といやじゃなかったのをよく覚えている。
時間はたくさんあると思っていたのに、おばあちゃんはその本を全部読むことができなかった。
「かんちゃん、おばあちゃんにずっと優しくしてくれて、ありがとうね。たくさんがまんさせちゃたのに、ありがとうね」
泣きじゃくるお母さんに渡された本の、ちょうど真ん中らへんには、ここまで読んだよというおばあちゃんの印が付いていた。この次の、小ぞうさんが鼻をかむとお金が出てくる話、すごく面白そうだったのに。
黒い服を着た親せきが集まって、お茶とおにぎりを食べていると、おばあちゃんの名前が呼ばれて別の部屋に移動した。
台の上に乗っているほかほかのこれが、おばあちゃんの中身だと言われ、ぼくはじっと見る。もっとお化け屋しきのがい骨みたいなのを想像していたのに。カサカサした石みたいで、全然ちがった。青い部分やオレンジ色の部分もあって。チョークにも似ていて、少しだけきれいかもしれない。
「こちらがのどぼとけです。しっかり残っていますね」
見せてもらったかけらは、本当にしっかりしていた。
しゃべる時も、ご飯を食べる時も、あんなにふにゃふにゃだったのに、のどにはこんなに立派な骨が入っていたんだな。
だからあんなに、大きくてうるさい声が出たんだな。
つぼのふたを閉めたら、ふにゃふにゃも、中身も、もうなんにも見えなくなっちゃった。
それから一年後、おばあちゃんのベッドがあった場所には、ベビーベッドが置かれて、そこにはふにゃふにゃの小さな妹がねている。
「この子もおそくに授かった子になってしまったわ」
お母さんはそう言いながら、親せきに妹をおひろ目した。
生まれたばかりのころは、中身なんてなんにもないくらいふにゃふにゃだったけど、今はぐいんと背中を反らせたり、軽い物ならつかめるようになった。もう少ししたら、おばあちゃんのふにゃふにゃといい勝負かもしれない。
「ぷーん! ぷーん!」
あの本の、小ぞうさんが鼻をかむ話の、鼻をかむ所を読んであげると、“しお” はいつもきゃっきゃと楽しそうに声を上げる。もしかしたら、“しお” も昔話が好きなのかな。今度の図書の日に、赤ちゃんが喜びそうな本を借りてきてあげよう。
眠いのに上手く眠れないのか、ぐずぐず泣く “しお” を、とりあえず抱っこしてみる。首はしっかりしたけど、やっぱりまだまだふにゃふにゃで。
だけど全然いやじゃないのは、ぼくがうるさいのにも、ふにゃふにゃにも、慣れたからだと思う。
“しお” の中身は、ずっとずっと、絶対に見たくない。
中身なんて、知らないままでいいと思った。
実体験を元に、出来るだけ子供の視点で『死』を描くことを心掛けました。
お読みいただきありがとうございました。