15.父の不在とわたくしたちの水着
わたくしのときに母は難産で死にかけた。
そのことを重くみた父が領地で一番いい医者を探し始めた。
お産にも精通したベテランの医者だ。
わたくしもクリスタちゃんも弟妹が生まれるかもしれないことには喜んでいたが、母のことは心配していた。
「どこかによいお医者様がいないでしょうか」
「辺境伯領に行くのも、ついて来てくれたら安心だわ」
「辺境伯領にも同行して欲しいものですね」
二人で話すのだが、わたくしはまだ七歳で、クリスタちゃんは六歳。自由に外を出歩けるわけでもなく、医者を探しに行けるわけでもない。
頼みの綱は父だった。
「数日留守にして王都に行ってくるよ。この領地の医者よりもいい医者が見つかるかもしれない」
「気を付けて行ってらっしゃいませ」
「テレーゼはくれぐれも無理をしないようにね。エリザベートとクリスタにはお楽しみがあるよ」
「お楽しみですか?」
「何かしら、お姉様」
出かけている間にも父はわたくしとクリスタちゃんが退屈しないように考えてくれているようだった。
馬車で出かける父を見送りにわたくしとクリスタちゃんと母が庭に出る。
門で馬車を停めていたエクムント様に父は話しかけていた。
「留守の間、屋敷をしっかりと守ってくれ。テレーゼに何かあれば、キルヒマン侯爵にお伝えして欲しい」
「心得ました。お気をつけて行ってらっしゃいませ、旦那様」
エクムント様が馬車を送り出すのを見送ってから、わたくしはエクムント様に問いかけていた。
「お父様はどうしてキルヒマン侯爵にお伝えして欲しいと仰ったのですか?」
「私の父、キルヒマン侯爵は医者の資格を持っているのです。奥様が産後に我が家に通っていたのも、私のことで両親が相談があったのもそうなのですが、父に診察してもらっていたのです」
貴族の中には医者の資格を持つものは多く、領民を診ている場合も多いのだが、キルヒマン侯爵もそうだった。
わたくしが生まれた頃にキルヒマン侯爵家に両親が行っていたのは、エクムント様の相談を受けるのと同時に、母が診察を受けるためだった。
「お姉様、キルヒマン侯爵はお医者様だったの?」
「そうだったようです。わたくしも知りませんでした」
「お医者様って怖いものだと思っていたわ。優しいお医者様もいるのね」
クリスタちゃんの言葉にわたくしは疑問が胸に浮かぶ。クリスタちゃんは医者にかかったことがない。ディッペル公爵家に来て一度も体調を崩したことがないのだ。
「クリスタちゃんはお医者様が怖いと思うのですか?」
母もお屋敷に戻っていたので、わたくしはクリスタちゃんと二人きりのときの呼び方に切り替える。エクムント様はそばにいるが、聞かないことにしてくださっている。
「ノメンゼン子爵家で、たくさん注射を打たれたの……とても痛くて、泣いたけれど、誰も助けてくれなかった……」
「注射を? どんな注射か覚えていますか?」
「子どもには打たなければいけない注射だってメイドは言っていたわ」
恐らくそれは予防注射だ。この世界、この時代にも疫病を予防する注射が存在しているらしい。
わたくしも記憶を辿れば、もっと小さな頃に注射を打たれて泣いてしまった覚えがある。
「クリスタちゃんは予防注射を受けていたのですね」
酷い虐待を受けていたクリスタちゃんだから、碌な医療を受けさせてもらえていないのではないかと思っていたが、意外と予防注射は受けさせてもらっていた。その辺は元ノメンゼン子爵や妾も常識があったようである。
「注射を打たれて泣くのが面白いからやっていたのだと思っていたわ。妾がわたくしが泣くのを見て、笑っていたもの」
注射を受けて泣く子どもを見て笑うためであっても、クリスタちゃんが受けた予防注射はクリスタちゃんの未来のために絶対に役立つものだった。クリスタちゃんを虐待したことは許せないが、予防注射を打たせていたことにはわたくしは安心した。
「エリザベート、クリスタ、そろそろ部屋に戻って来なさい」
「はーい、お母様」
「すぐに戻りますわ」
お屋敷の中から母が声をかけてくれる。お屋敷に入ると母は汗をかいたわたくしとクリスタちゃんの服を着替えさせて、下着も取り替えて、冷たい蜂蜜レモン水を飲ませてくれた。
蜂蜜レモン水の爽やかな酸っぱさと甘さが、喉に心地いい。
汗が引くまで風のよく通る窓際で座って休んでいると、母に広間に呼ばれた。
広間には仕立て屋が来ていた。
「お嬢様方の水着を仕立てるのですね。どのようなデザインにいたしますか?」
「水着!?」
「お姉様、水着ってなぁに?」
「泳ぐときに着る服ですよ」
辺境伯領には海がある。海で遊ぶために両親はわたくしとクリスタちゃんに水着を作ってくれようとしているのだ。
上半身はタンクトップ、下半身はショーツのような形の水着のデザインを見て、わたくしは少し考える。どうせならば可愛い水着を着たい。
「お母様、腰の辺りからフリルを伸ばすのはいけませんか?」
「短いスカートのようにするのですね。そちらの方が上品かもしれませんね」
「お母様、海に履いていく靴がありません」
「サンダルも注文していますよ」
お願いすると母は快く了承してくれる。
わたくしは仕立て屋に身振り手振りを使って説明する。
「腰の辺りからスカートのようにフリルを下げるのです。水に濡れても平気な素材でフリルを作れば、海の中でも動けるでしょう?」
「お嬢様のご注文でしたらやってみましょう。そちらのお嬢様はどうされますか?」
「お姉様とお揃いがいいです」
デザインは決まったので布を選んでいく。水に濡れても構わない伸縮性のある布の色を選ぶときに、わたくしは当然空色を選んだ。クリスタちゃんはピンク色を選んでいる。
「お姉様、気付いていた? お姉様が着るものは、わたくしのお目目の色なのよ」
「そういえばそうですね。わたくしはお母様の目の色だと思っていましたが、クリスタの目の色でもありましたね」
「お姉様がわたくしの目の色を着てくれるの、とても嬉しいわ」
水色の目を輝かせているクリスタちゃんにわたくしは気付いていなかったが、その目の色を自然と身に付けていたことを知った。
水着が決まると次は靴屋がサンダルを見せてくれる。
可愛い空色に白いレースの付いたサンダルをわたくしが選ぶと、クリスタちゃんはピンク色に白いレースの付いたサンダルを選んでいた。
これが父の言っていたお楽しみだったのだ。
水着も出来上がるまで楽しみでならないし、サンダルは今からでも履きたいくらい可愛くて気に入った。
「わたくし、海には初めて行きます。泳げないけれど、大丈夫ですか?」
「浜辺でわたくしたちが見ているし、エクムントに一緒に海に入ってもらうつもりですよ」
「エクムントと一緒なのですね」
「海って、どんなところですか、お母様?」
海の想像が付かないクリスタちゃんが首を傾げている。わたくしは前世の記憶で海は分かっているが、クリスタちゃんはどんなところか全く分かっていないのだろう。リップマン先生の授業で世界地図を見て海が描かれているのを見たことはあるが、それと実際の海とは全く違う。
「海は塩水がたくさん溜まった場所ですよ。世界の七割は海だと言われています。残り三割の陸地でわたくしたちは生きているのです」
「そんなに広い水たまりなの!? わたくし、想像が付かないわ」
仰け反るようにして聞いているクリスタちゃんは海の大きさを想像しているのだろう。それでも想像が付かないと言っている。
「行ってみたら分かりますわ。わたくしも実際に行くのは初めてですからね」
「お姉様も初めてなら同じね」
わたくしの手を握りしめてお目目をきらめかすクリスタちゃんに、わたくしは安心させるように微笑みかけた。
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