23.両親の不在とブリギッテ様の来訪
昼食を食べて、午後はピアノのレッスンが入っていた。ピアノの先生に挨拶をして椅子に座って弾くのだが、いつもは母が見守ってくれているのがいないのは何となく心細い。
声楽のレッスンでは母が歌わないのが寂しい。
前世の記憶があってもおぼろげな部分はあるし、わたくしはエリザベート・ディッペルとして生きている感覚の方が強いので、やはり七歳の子どもでしかないのだ。両親がいないことがこんなにも寂しく不安になってしまう。
クリスタ嬢はわたくしがいるからか、いつもと全く変わらなかった。
わたくしの伴奏で元気に歌を歌っている。
「クリスタお嬢様のお誕生日には、ピアノと歌を披露するように奥様から言われています。しっかりと練習しましょうね」
「わたくしが伴奏を弾けばいいのですね?」
「わたくし、おうたね!」
「いえ、今回はクリスタお嬢様がエリザベートお嬢様と連弾をするのを披露しようと言われています。歌も、奥様が伴奏するので、クリスタお嬢様とエリザベートお嬢様が歌うように言われていますよ」
それは初耳だった。
わたくしは連弾は母としかしたことがないが、クリスタ嬢も練習すればきっとできるようになる。わたくしは母のようにクリスタ嬢を導いて連弾できるように支えなければいけなかった。
「クリスタ嬢、連弾が分かりますか?」
「よくわからない」
「わたくしとクリスタ嬢の二人で一つの曲を弾くのです」
「おねえさまといっしょにひくの?」
「そうですよ。できそうですか?」
「キルヒマンこうしゃくふさいは、わたくしをほめてくださるかしら」
宿泊式のパーティーの音楽会でクリスタ嬢は歌を、わたくしは伴奏を披露した。それをキルヒマン侯爵夫妻がとても気に入ってくれて、キルヒマン侯爵夫妻のお茶会でも演奏するように依頼されたのだ。
褒められた思い出はクリスタ嬢の中に強く残っているようで、今回も期待している。
「キルヒマン侯爵夫妻にお聞かせできるといいですね」
「おじうえとおばうえに、キルヒマンこうしゃくふさいにおたんじょうびにきてもらうようにおねがいしましょう」
「キルヒマン侯爵夫妻をお誕生日に招待するのですね」
「はい、しょうたいします。ハインリヒでんかはきてくれるかしら」
夢見るように語って頬を薔薇色に染めるクリスタ嬢は恋をしているのだとよく分かる。クリスタ嬢とハインリヒ殿下の出会いは想定外に早くなってしまったが、物語のストーリー通りに二人は惹かれ合っていた。
最初はクリスタ嬢に意地悪をしてしまって嫌われていたハインリヒ殿下も、どうにかクリスタ嬢の気持ちを取り戻せたようだ。
レッスンが終わるとピアノの先生に挨拶をして、玄関まで送っていく。
そのとき、庭の方から馬車の着く音が聞こえていた。
庭ではエクムント様が馬車を止めて降りてこようとする人物を止めている。
「ブリギッテ様!?」
「御機嫌よう、エリザベート様。遊びに来てくださらないので、わたくしの方から出向きましたわ。せっかく来たのですから、お茶くらい飲ませてくださいますよね?」
「わたくしの両親は、ブリギッテ様が来ることを承知しておりません。招待されずにいらっしゃるのは、いささか、無礼ではありませんか?」
「小さいのによく口が回ること。子ども二人で退屈しているだろうと思って遊びに来てあげたのですよ。歓迎するのが当然でしょう?」
「いいえ、ブリギッテ様。招かれてもいないのに押しかけて歓迎せよとは、あまりにも不作法。バーデン家の教育が問われますよ」
言い争うわたくしとブリギッテ様に、クリスタ嬢が驚いて口を挟めずにいる。クリスタ嬢を苛めさせるわけにはいかないと、わたくしは足を踏ん張って馬車から降りようとするブリギッテ様を睨んでいた。
「エリザベート様ではお話になりませんわ。執事を呼んでください」
「何を仰いますか。両親が不在の場合は、わたくしがこの家の主人です。どうぞ、お帰り下さい。ブリギッテ様を歓迎する気はありません」
「七歳の子どもでは話にならないと言っているのです」
執事を呼ばれてしまえば、執事はブリギッテ様よりも身分が低い。押し切られてしまう可能性があった。
今ブリギッテ様に対抗できるのは、同じ身分のわたくししかいなかった。
「ブリギッテ様、申し訳ありません。奥様と旦那様から、留守中にはどんな来客も通すなと言われております」
「侯爵家の三男ごときが、わたくしに意見するつもり?」
「私は公爵家に仕える騎士です。この家を守るのが私の仕事です。主から言われていることはどなたが相手でも守らねばなりません」
「わたくしを誰だと思っているの! 下がりなさい!」
エクムント様が助け舟を出してくれるが、ブリギッテ様は手を振り上げてエクムント様を追い払おうとしている。
わたくしはエクムント様の前に出た。
「エクムントは両親から留守を頼まれている立場です。エクムントの言葉はわたくしの両親の言葉と同様です。ブリギッテ様は、ディッペル公爵の言葉を無視なさるおつもりですか?」
「わたくしがせっかく来てやったのに!」
「我が家に無理に押し入ろうとするなら、侵略行為とみなします!」
絶対にブリギッテ様を入れない態度を見せるわたくしの後方で、エクムント様もわたくしを支えるように立っていてくださる。
「わたくしに口答えしたこと、後悔させて差し上げますからね!」
ブリギッテ様の怒りの矛先がエクムント様に向かおうとしている。これはまずいかもしれない。エクムント様は両親にこの家のことを任されているとはいえ、侯爵家の三男でブリギッテ様より身分は低いのだ。
どうすればいいのか。
考えたわたくしの頭に、「偽物」という単語が過った。
「我が家と同格のバーデン家のご令嬢がこんな無作法な真似をなさるとは思えない! 偽物です! 偽物に違いありません! エクムント、やってしまいなさい!」
こんな無作法なことが許されてはいけない。公爵家の令嬢が教育されていればこんなことをするはずがないので、ブリギッテ様は偽物だということにしてしまおう。
そうすればエクムント様も咎められず、この場をおさめられる。
大声で言えば、エクムント様も了解したとばかりに大きな声を出す。
「はい、エリザベートお嬢様! 偽物め! 覚悟!」
エクムントに剣を抜かれそうになって、ブリギッテ様は馬車の中に戻って行った。
エクムント様が剣で馬車の入り口の取手をもぎ取る。それを見てわたくしは声を上げる。
「賊が侵入しようとしておりますー! バーデン家を名乗っておりますが、こんな無作法をなさる筈がないので偽物ですー! 助けてくださいませ、国王陛下!」
「エリザベートお嬢様、王都に早馬を送りましょう」
「エクムント、そうしてください。国王陛下に助けを求めましょう」
芝居がかっているかもしれないが、エクムント様とわたくしの言葉にブリギッテ様が焦りだす。取手をもぎ取られたのも、わたくしたちが本気だと分かったのだろう。
「覚えておくといいわ!」
捨て台詞を吐いてブリギッテ様は馬車で逃げて行った。
ブリギッテ様の馬車が去っていくまで、わたくしは庭で睨み続けていた。
「この取手を早馬で王都に届けましょう。賊が来た証として」
「お願いします、エクムント」
エクムント様はすぐに早馬の手配をさせた。
ブリギッテ様がいなくなると、クリスタ嬢がわたくしにしがみ付いてくる。
「あのかた、きらい! おねえさまにひどいことをいっていたわ!」
「この件に関しても、両親に伝えましょう」
「ハインリヒでんかに、わたくし、おてがみをかきます」
「それは、両親が帰って来てからにしましょうね。手紙を見てもらってから出しましょう」
「わかりました、おねえさま」
バーデン家の動きがおかしいことは分かっていたが、両親の留守中に招待されてもいないのにディッペル家に押しかけるまでとは思わなかった。今回クリスタ嬢がいじめられなくて、連れ去られなくて本当によかったとわたくしは思う。
「エクムント、助けてくれてありがとうございました」
「私ではお力になれずに……」
「いえ、エクムントがいてくれたので心強かったです」
エクムント様がいなかったら、わたくしは口では勝っていたかもしれないが、馬車を降りて来たブリギッテ様に腕力で敵う気はしていなかった。ブリギッテ様がクリスタ嬢の腕を掴んで馬車に乗せて連れ去っていたらと考えると寒気がする。
「クリスタ嬢、無事でよかったです」
「おねえさま、まもってくれてありがとう」
「クリスタ嬢が連れ去られてしまうかと思いました」
「わたくしも、ばしゃにのせられたらどうしようとおもいました」
抱き締め合って涙ぐむわたくしとクリスタ嬢を、エクムント様がそっと見守ってくれていた。
今日のことを忘れないために、わたくしとクリスタ嬢は二人で今日のことを記しておいた。
ブリギッテ様が招かれてもいないのに勝手にやってきたこと、歓迎しろと言ったこと、七歳のわたくしでは話にならないと馬鹿にしたこと、エクムント様を馬鹿にしたこと、エクムント様がわたくしとクリスタ嬢を守ってくれたこと。
記録していると落ち着いてくる。
「エクムント、あれだけ脅したので戻らないと思いますが、万が一ブリギッテ様が戻ってくるか分かりません。お茶の時間もそばにいてくれませんか?」
「今日はエリザベートお嬢様とクリスタお嬢様のおそばを離れない方がよさそうですね。お茶の時間も部屋にいさせてもらいます」
「エクムントさま、わたくしとおねえさまをまもって」
「旦那様と奥様からも言われています。私の命に代えてもお守りします」
騎士らしいことを言ってくれるエクムント様に、わたくしもクリスタ嬢も安心してお茶の時間を過ごすことができた。
ブリギッテ様は戻ってくる気配はなかったが、エクムント様はわたくしとクリスタ嬢が部屋に戻ると、廊下に立っていてくれて、わたくしとクリスタ嬢が眠るまで警護をしていてくれた。
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