マリアと薔薇の花
わたくし、マリア・ディッペルがシュタール家に嫁いだのは春でした。
嫁いですぐの朝、わたくしはオリヴァー様に庭に散歩に誘われました。辺境伯領は春でも日差しが強いのでオリヴァー様はわたくしのために美しいレースの日傘を用意してくださいました。レースの日傘をさして庭に出ると、オリヴァー様が日傘を持っていない方の手を引いてエスコートしてくださいます。オリヴァー様に導かれて行ったのは、薔薇の花が咲いている一角でした。
そこにはピンクと白のグラデーションの薔薇の花が大量に咲き誇っています。薔薇の花の香りもして華やかなその場所の前にはベンチが置かれていました。
わたくしはオリヴァー様と一緒にベンチに座ります。日傘を畳もうとするとオリヴァー様が「そのままで」と仰いました。
「この薔薇を覚えていますか?」
「もちろんです。わたくしのために植えてくださった薔薇でしょう?」
「そうです。あれから十年以上経ちました。薔薇の花もよく育ち、こんなに広がったのです」
薔薇の花を見ながらわたくしはオリヴァー様の隣りに座って幸福な気分になっていました。
オリヴァー様とナターリエ嬢がわたくしのために植えてくださった薔薇が育って、株も増えて、これだけ広大な薔薇園になっている。
「本当はピンクの薔薇と白の薔薇を植えたかったのですが、それではひねりがないとナターリエの言われてしまったのです」
「それで、ピンクと白の混ざった薔薇を植えたのですね」
「ピンクの薔薇は『上品』『感謝』『淑やか』などの花言葉があると言われています。白薔薇は……『深い尊敬』『無邪気』『相思相愛』、それに、少し恥ずかしいのですが、『私はあなたに相応しい』とか『あなたの色に染まる』とかいう意味があるそうです」
「私はあなたに相応しい」「あなたの色に染まる」
それはわたくしが望んでいたことのような気がして、わたくしは自分の頬を押さえました。
「オリヴァー様はわたくしの気持ちが分かっていたのですか?」
「え? これは私の気持ちのつもりでした」
「えぇ!?」
わたくしはずっと年の差があって幼くて、早くオリヴァー様に相応しくなりたいとばかり思っていました。オリヴァー様に相応しくなってオリヴァー様の色に染まりたい。上品で淑やかなレディになりたい。相思相愛になりたい。オリヴァー様に深い尊敬の念を抱いている。
そればかり考えていたのに、オリヴァー様はそれが自分の気持ちだと言ってくださいます。
「マリアはシュタール家が陥れられようとしたときに、五歳でありながらシュタール家を救ってくれた尊い方でした。私はマリアに『感謝』の気持ちを常に持っていましたし、五歳であの決断ができたマリアに『深い尊敬』の念を抱いていました。いつか『相思相愛』になって『あなたに相応しい』と言われるような人物になりたいと思っていたのですよ」
「そんな!? わたくしはずっと幼くて、オリヴァー様に相応しくないと思っていました」
「そんなことはありません。私はずっとマリアのことをディッペル家の小さなお姫様のように思っていたのです。小さなお姫様が私を助けてくれたと」
結婚するまでこんな話はしなかったし、オリヴァー様がそんな風にわたくしのことを思ってくださっているだなんてわたくしは全く知らなかったのです。感激のあまり涙ぐんでしまうわたくしをオリヴァー様は肩を抱いて優しく囁いてくださいます。
「私と結婚してくださってありがとうございます。マリアが私の元に来てくださる日を心待ちにしていました」
「嬉しいです、オリヴァー様。わたくし、本当に幸せです」
オリヴァー様の腕に抱き締められて、わたくしは滲む涙を拭いたのでした。
ナターリエ嬢はゲオルク殿と婚約しています。
ゲオルク殿はまだ学園に通っていて成人していないので、ゲオルク殿が成人するまでは結婚できなくて、シュタール家でオリヴァー様の補佐を務めることになっていました。
わたくしもシュタール家の女主人としてしっかりと務めなければいけません。
結婚式の日の宿泊に関しては、エリザベートお姉様が辺境伯家で受け入れてくれて、わたくしはほとんど何もしなくてよかったのです。エリザベートお姉様は新婚の夫婦は結婚式で疲れているだろうし、初夜などもあるからとディッペル家の両親の宿泊も、フランツお兄様夫婦の宿泊も、皇太子殿下夫婦の宿泊も引き受けてくださいました。僅かに残った宿泊客たちはナターリエ嬢が引き受けてくださったので、わたくしは結婚式の疲れを癒すこともできて、初夜も滞りなく済ませることができました。
初夜は痛かったり、怖かったりする場合があるけれども、夫となる方にお任せしなさいと学園で女子生徒は習っていたので、少し怖い気持ちはあったのですが、オリヴァー様はとても優しくて少しも痛いことも怖いこともありませんでした。
これは子どもを授かるための大事な行為なので、拒んではいけませんとも学園で習っていたのですが、恥ずかしさはありましたがわたくしは拒むほど嫌なことではないと学びました。
結婚式の翌日にわたくしとオリヴァー様を訪ねてきてくださったフランツお兄様とレーニお義姉様は嬉しい報告を持ってきてくださいました。
「マリア夫人、わたくし、お腹に赤ちゃんがいると言われました」
「本当ですか、レーニお義姉様?」
「本当です。軽い悪阻があるのですが、吐くほどではないし、食事も取れています」
「それならば安心です」
「マリアが結婚しておめでたいときに、レーニも妊娠というおめでたいことになって、とても嬉しく思っています」
「フランツお兄様、レーニお義姉様、おめでとうございます」
フランツお兄様とレーニお義姉様は結婚して二年になるはずです。レーニお義姉様の方が七歳年上なので、周囲は早く子どもを望まれていましたが、フランツお兄様は子どもができなかったら養子をもらえばいいとそれを退けていらっしゃいました。レーニお義姉様を守っていらっしゃったのです。
それがレーニお義姉様が妊娠なさったとなると、ディッペル家もフランツお兄様の後の後継者もできるということで安泰ではありませんか。
本当におめでたい報告にわたくしは胸がいっぱいになっていました。
フランツお兄様とレーニお義姉様が帰ってから、わたくしはオリヴァー様に小さく聞いてみました。
「オリヴァー様は子どもは何人くらい欲しいですか?」
エリザベートお姉様とわたくしはよく似ています。配偶者が十歳年上ということと、十一歳年上ということも似ています。エリザベートお姉様が三人子どもを授かっているので、わたくしも何人か子どもが産めるのではないかと思っているのです。ウエディングドレスのお直しがほとんど必要なかったように、色彩だけでなくわたくしとエリザベートお姉様は体型もよく似ていますし。
「子どもは授かれば一人でも嬉しいです。授からなければ、養子をもらうだけなので、マリアは気にしないでいいのですよ」
「わたくし、できればオリヴァー様の子どもを何人も産みたいです」
「子どもは神様が授けてくださるものです。私やマリアには決められないことです。決められないことを私がマリアに望むのはおかしいでしょう?」
「オリヴァー様」
オリヴァー様はこんなところもとても優しいのです。わたくしはオリヴァー様の優しさに胸がいっぱいになりますが、それでも子どもが欲しい気持ちは変わりません。
「わたくし、エリザベートお姉様と似ているので、三人は産めるかもしれません」
「マリア、そういうことは急いで考えなくていいのですよ。子どもは授かるときに授かるものです。それに、私とマリアはこの先ずっと一緒なのですからね」
結婚したのだからオリヴァー様とわたくしはずっと一緒。
そう言われると嬉しくて子どものように飛び跳ねたくなります。淑女なのでそのようなことは致しませんが。
「お兄様、マリア様、よろしいですか?」
「どうしました、ナターリエ?」
「ナターリエ嬢、なんでしょう?」
二人で寛いでいた部屋にナターリエ嬢が訪ねて来ました。ナターリエ嬢は真剣な顔でオリヴァー様に相談していました。
「ゲオルグ様がわたくしがリリエンタール家に嫁ぐか、ゲオルグ様がシュタール家に婿入りするかを迷っていらっしゃるのです。わたくしは結婚してもお兄様の補佐としてシュタール家に残りたく思っているのですが」
「ゲオルグ様もリリエンタール家の補佐としてリリエンタール家に残りたいと思っているのですか」
「そうかもしれません。とりあえずは、相談したいと手紙がきました」
「ナターリエがシュタール家にいてくれれば私は安心ですが、ゲオルグ様もデニス様と一緒にいたい気持ちは分かります」
「お兄様、わたくしはどうすればいいのでしょう」
真剣に悩んでいるナターリエ嬢に、オリヴァー様は優しく語り掛けました。
「それは二人で話し合うしかないと思いますよ。夏休みにゲオルク殿をシュタール家にお招きするのはどうですか?」
「そうですね。二人でよく話し合ってみます」
ナターリエ嬢がシュタール家の補佐としてシュタール家に残るのか、ゲオルク様がリリエンタール家の補佐としてリリエンタール家に残るのか、答えはまだ出そうにありませんでした。
昼食をオリヴァー様とナターリエ嬢とお義父様と食べて、わたくしはナターリエ嬢からシュタール家の女主人としての仕事を習うことにしました。ナターリエ嬢は幼いころにお母様を亡くされて、それ以降シュタール家でしっかりとお義父様とオリヴァー様を支えて来られました。
その技術をわたくしは学びたかったのです。
「メイド長と執事に紹介しましょう。マリア様、こちらです」
「わたくしのことは『お義姉様』と呼んでいただけますか?」
「よろしいのですか? それでは、マリアお義姉様と呼ばせていただきますね」
メイド長と執事に紹介されて、それから厨房にも連れて行ってもらいました。
厨房の調理長にも挨拶をして、これからお茶会や晩餐会や昼食会のときのメニューもわたくしが取り仕切るようになるのだとナターリエ嬢に教えてもらいます。
「わたくし、オリヴァー様に相応しくなるように頑張りますわ。白薔薇の花言葉のように」
気合を入れていると、ナターリエ嬢がわたくしを不思議そうに見てきました。
「どうして白薔薇の花言葉なのですか?」
「オリヴァー様は白薔薇とピンクの薔薇を植えたかったと教えてくださいました」
「それでは、あのピンクと白の薔薇の花言葉はご存じないのですね?」
「はい、聞いておりません」
素直に答えると、ナターリエ嬢がため息をつきました。
「あの薔薇の花言葉は『美しい少女』です。お兄様がマリアお義姉様をずっと美しいと思ってきた証なのですよ」
恥ずかしくてきっと言えなかったのでしょうね。
ナターリエ嬢に言われて、わたくしは頬が熱くなって、そこをそっと押さえたのでした。
あんな昔からオリヴァー様はわたくしを「美しい少女」と思ってくださっていたのです。
そのことが嬉しくて、このことはずっと胸に仕舞っておこうと心に決めました。
これで番外編は終わりです。
エリザベートの物語もこれで区切りとさせていただこうかと思っております。
追加の番外編までお付き合いいただきありがとうございました。




