フランツ・ディッペルの結婚
フランツ・ディッペル、十七歳。私には七歳年上の婚約者がいる。
私は婚約者のレーニ・リリエンタール嬢と結婚する日を待ち遠しく思っているのだが、学園の六年生になっても十七歳になったばかりであった。春の生まれである私は、皇太子殿下に嫁いだ姉のクリスタ皇太子妃殿下ほどではないが、生まれが遅くて、学園の卒業式が終わって、プロムも終わって、春休みになってからしか結婚ができなかった。
年上の姉であるエリザベート辺境伯夫人とクリスタ皇太子妃殿下は、既に結婚してエリザベート辺境伯夫人が三人、クリスタ皇太子妃殿下が二人子どもがいる。
夏休みにたびに甥や姪に会いに行くのだが、ディッペル家で年の離れた姉たちに可愛がられて、妹のマリアは一歳半しか年が変わらなくて小さなころの印象などない私にとっては、甥や姪との触れ合いはとても楽しく貴重なものだった。
エリザベート辺境伯夫人は結婚して七年、クリスタ皇太子妃殿下は結婚して六年経っている。
レーニ嬢はクリスタ皇太子妃殿下と同じ年なのだから、二人も子どもがいるクリスタ皇太子妃殿下が羨ましいのかもしれない。
六歳のときに婚約してもう十一年、物心つく前からレーニ嬢を慕ってきたが、ストロベリーブロンドの髪を複雑に編んで私の前に現れるレーニ嬢は年々美しさを増していくような気がする。
それに私が似合うのか、悩んでしまう。
姉であるが辺境伯夫人になってしまったのでエリザベート辺境伯夫人と呼ばなければいけないし、クリスタ皇太子殿下と呼ばなければいけないのだがそれに関してはもう慣れた。
「お兄様、ジュニア・プロムにレーニ嬢を誘っていらっしゃったでしょう? 今年のプロムではレーニ嬢が皆様の視線を奪ってしまうことでしょうね」
ストロベリーブロンドの髪に白い肌、鼻の辺りと頬に散るそばかす、緑の目のレーニ嬢はとても美しい。そばかすがコンプレックスのようだがそんなことは全くない。レーニ嬢のそばかすはその顔に愛らしさを加えるだけになっている。
「マリア、レーニ嬢の誕生日のお茶会に何を着ていけばいいと思う?」
「お兄様は何でも似合うもの。なんでもいいと思いますわ」
マリアは学園の四年生。四年生にはユリアーナ殿下とデニス殿とナターリエ嬢がいる。
マリアは今年から去年卒業したガブリエラ嬢、もとい、キルヒマン侯爵にお茶会を引き継いでもらって、お茶会の主催になっていた。
キルヒマン侯爵は元々キルヒマン家の次男の長女を、キルヒマン家の長男が養子にした形になる。キルヒマン家の長男の妻は体が弱く、出産に耐えられないということで、そういう形になったのだ。
ガブリエラ嬢は学園を卒業してすぐにキルヒマン侯爵を継いで、体の弱い養母が養父と共に静かに療養できるようにしている。キルヒマン侯爵の補佐には、実の父親である前のキルヒマン侯爵の弟が付く形になった。
代々ペオーニエ寮の私たちのグループのお茶会の主催には女性がなると決まっていた。女性は嫁いだら女主人として屋敷のことを切り盛りしなければいけない。そのときにお茶会の主催をした経験が役に立つのだ。
ユリアーナ殿下は学園に入学するときにデニス殿との婚約を決めていた。リリエンタール公爵家に王族が降嫁するということで、デニス殿も光栄と思って婚約を受ける決意をしたようだ。
小さなころはやんちゃなイメージのあったデニス殿だが、今はすっかりと落ち着いている。
「フランツ殿とマリア嬢は姉上に夢を持ちすぎているのですよ。姉上は普通の女性ですよ」
「レーニ嬢程美しい女性はいない。私はレーニ嬢が誰かに攫われてしまわないか心配なのです」
レーニ嬢を待たせている自覚はあった。
幼い私の想いをレーニ嬢は精一杯に受け取ってくれていたが、結婚をこれだけ待たせているのだから待ちくたびれて見捨てられるという恐怖はいつもあった。
それでも、レーニ嬢に毎日のように手紙を送って、返事をもらって、私はレーニ嬢との清い交際をしている。
初夏のレーニ嬢のお誕生日のお茶会には、私もマリアもユリアーナ殿下もナターリエ嬢も参加した。エリザベート辺境伯夫人は娘を一人連れて、小さな私の甥と姪たちは乳母に預けてエクムント辺境伯と共に参加していたし、クリスタ皇太子妃殿下もまだ小さな殿下たちを乳母に預けてお茶会に参加していた。
一番上の姪のエレオノーラは今年六歳になるので、お茶会デビューしてもいい年齢だ。
初めてのお茶会に緊張しているのが分かる。
「辺境伯夫人、辺境伯、ようこそいらっしゃいました。ご令嬢も今日は一緒なのですね」
「娘も今年でお茶会に出られる年になります。初めてのお茶会は、よく知っているレーニ嬢のところがいいかと思ったのです」
「そんな光栄な理由で選んでいただけて嬉しいです」
「エレオノーラ・ヒンケルです、レーニさま」
「どうぞよろしくお願いします、エレオノーラ嬢」
レーニ嬢が挨拶しているのに私も隣りに立って一緒に頭を下げる。私に気付いたエレオノーラがエクムント辺境伯そっくりの金色の目を輝かせる。
「フランツおじさま!」
「エレオノーラ、お茶会に出られるようになったんだね。おめでとう」
「はい、わたくし、おかあさまとおとうさまからきょかをいただいて、おちゃかいにさんかできるようになりました」
褐色の肌に金色の目はエクムント辺境伯にそっくり、紫色の光沢のある黒髪はエリザベート辺境伯夫人にそっくりのエレオノーラ。
「顔立ちはお二人のいいところを受け継いでいるようですね、エリザベート辺境伯夫人、エクムント辺境伯」
「フランツ、姉上で構わないのですよ」
「私も義兄上と呼ばれると嬉しいのですが」
「私も来年には学園を卒業してディッペル家を継ぐ身です。ディッペル公爵として、自覚を持たねばなりません」
本当は私も姉上、義兄上と呼びたいのだが、それはこういう公の場ではいけないことを知っている。夏休みに辺境伯領に行ったときならば呼べるのだが、普段はエリザベート辺境伯夫人とエクムント辺境伯だ。
「お兄様は頭が固いのですわ」
「マリアは辺境伯領に嫁ぐのだから、そこは特に気を付けておかないといけないよ」
「わたくしは嫁ぐまでにまだ二年あります。その間はお姉様はお姉様、お義兄様はお義兄様と呼びたいですわ」
「マリアおばさまがへんきょうはくりょうにとついでこられたら、わたくし、いっぱいあえるようになりますね」
「もちろんですよ、エレオノーラ。たくさん会いましょうね」
無邪気に微笑んでいるエレオノーラの手を取って、マリアが優しく話しかけていた。
エリザベート辺境伯夫人も女性としては背が高い方ではあるのだが、私も背が高い。昔は見上げるように大きかったエクムント辺境伯より今は少し小さいくらいになっている。
レーニ嬢の手を取ると、小さくて柔らかくて暖かくて安心する。
レーニ嬢よりずっと大きくなってしまったが、レーニ嬢は変わらず優しい目で私を見上げてくる。
「ダンスに誘ってくださらないのですか?」
「お茶会の主催を独り占めしたら申し訳ないと思っていました。踊ってくださいますか?」
「はい!」
レーニ嬢と踊る時間は幸福であっという間に過ぎていく。
レーニ嬢のお誕生日のお茶会が終わって、皇太子殿下の生誕の式典も過ぎて、夏休みになると私は辺境伯領に泊まりに行く。
辺境伯領にはレーニ嬢も日付を合わせて泊まりに来ているので、食事も朝のお散歩も毎日一緒に過ごす。
「フランツ殿、わたくし、この前ウエディングドレスの仮縫いをいたしました」
「レーニ嬢のウエディングドレスは美しいでしょうね」
「仮縫いをしながら、わたくしの嫁ぐ日も迫っているのだと思うと胸がいっぱいになりました」
報告してくれるレーニ嬢が愛しくてならない。
小さいころでもレーニ嬢は決して私の気持ちを馬鹿にしたりしなかった。私がその年齢なりの愛情の表現しかできなくても、まだ社交界デビューしていなくてレーニ嬢をエスコートできなくても、レーニ嬢はそんなことは全く気にしないでくれた。
「レーニ嬢に出会わずに生きるくらいなら、生まれてこなかった方がいいと思うくらいです」
「フランツ殿、そんなことを言わないでくださいませ。フランツ殿が生まれてきてくださったから、辺境伯夫人は辺境伯領へ嫁げたのですし、わたくしもリリエンタール家からディッペル家に嫁ぐ覚悟ができました」
元はレーニ嬢はリリエンタール家の後継者だった。それを退くにあたって、私の存在が大きかったというのだ。
「わたくしは実の父に愛されていませんでした。実の父はわたくしのことを嫌い、愛人を作って別の場所に囲って、そこにばかり行っていました」
「レーニ嬢……」
「そんなわたくしがリリエンタール家の後継者となるよりも、両親から愛されて生まれたデニスがなった方がずっといいと考えるようになったのです。そんなときに、ディッペル家からのお話があって、わたくしはリリエンタール家の後継者から解放されました」
解放されたというだけあってレーニ嬢の表情は明るいものだった。それだけ後継者のころは実の父親にも愛されず、自分の存在意義というものを見失っていたのだろう。
「フランツ殿と婚約して、わたくしはとても幸せです。結婚式が近付くにつれて、ウエディングドレスを準備して、ヴェールは辺境伯夫人がプレゼントしてくださって、わたくし、毎日がとても幸福で満たされているのです」
辺境伯領のヴェールはクリスタ皇太子妃殿下が結婚したときにも使われていて、辺境伯領で有名になっているのだ。そのヴェールを身に纏って結婚すると幸せになれるとかそういう噂まである。
「フランツ殿、わたくしの準備が整うまで待っていてくださいね」
「待っていてくださるのはレーニ嬢の方ではないですか?」
「わたくしは待ったことなどありません。わたくしは他の方よりも気持ちも、動作もゆっくりしているようなのです。フランツ殿が成長する間、わたくしはずっとフランツ殿への気持ちを育ててきました。この時間がなければ、こんなにも幸福に結婚を迎えることはできなかったでしょう」
こういうとき、私はレーニ嬢に敵わないと思ってしまう。
私が七年も待たせてしまっているのに、レーニ嬢はそうではなく、自分が私を待たせたと言ってくれるのだ。この七年がなければ気持ちは育たなかったと言われれば、私が早く成長したくて苦しんでいた日々も報われる気がする。
夏休みも終わって、秋も過ぎ、冬も過ぎ、春になって私は学園を卒業した。
学園を卒業しても私はまだ成人の年齢に達していない。
私の誕生日が遅いことにこれだけじらされるとは思わなかった。
レーニ嬢はウエディングドレスを準備して私の誕生日を待ってくれているだろう。
私の誕生日には、私はまず王都の王宮の広間で国王陛下の前で誓いを上げた。
レーニ嬢は美しい純白のドレスで私の隣りに立ってくれている。私の方がかなり背は高いのだが、レーニ嬢も踵の高い靴を履いてくれていた。
「フランツ・ディッペルよ、そなたはレーニ・リリエンタールを妻とし、共にディッペル領を治めることを誓うか?」
「誓います」
「レーニ・リリエンタールよ、そなたはフランツ・ディッペルを夫とし、共にディッペル領を治めることを誓うか?」
「誓います」
結婚の誓いが終わると、国王陛下が私に向き直る。
「今日を以て、フランツ・ディッペルはディッペル公爵となる。ディッペル公爵からはディッペル公爵夫人との共同統治を申し込まれているが、間違いないな?」
「間違いありません」
私は一人で統治をするのではなく、レーニ嬢と一緒にディッペル公爵領を統治しようと決めていた。レーニ嬢にもそのことは話してあるので、レーニ嬢も頷いている。
「それでは、共同統治の誓約書にサインを」
差し出された誓約書に私が先にサインをして、レーニ嬢が続いてサインをした。
王都での結婚式が終わると、ディッペル公爵領での結婚式が待っている。
立て続けの結婚式は慌ただしく、移動も大変だったが、私もレーニ嬢も結婚式を無事に終えることができた。
結婚式の衣装を脱いでお風呂にも入って部屋で寛いでいると、レーニ嬢が私の隣りに腰かける。
「これからは、レーニと呼んでくださいね」
「私のことも、公の場でなければ、フランツと」
「ふーちゃんと呼ばせてもらっていたのが遠い昔のように思い出されます」
「レーニ……やっとあなたを私のものにできる」
「ずっとわたくしのこころはフランツのものでした」
口付けを交わし、私はレーニを強く抱き締めた。
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