20.港の朝市
夕食はハインリヒ殿下とクリスタと食堂でいただいて、わたくしとエクムント様は客室に戻ってお風呂に入ってソファで寛いでいた。海風が入ってくるとカーテンが揺れて、部屋が涼しくなる。
もう日も落ちていたので安心してベランダに出て海を眺めていると、エクムント様が空にかかる月を指差す。
「今日は満月に近いですね。潮も満ちている気がします」
「月の光はこんなに明るいのですね。エクムント様のお顔がよく見えます」
エクムント様を振り返って言えば、エクムント様に頬に手を添えられて口付けをされる。月の下で口付けされるなんて、なんてロマンチックなのだろう。
エクムント様の優しい手が海風で乱れた髪を整えてくれた。
「辺境伯領だったら、ハインリヒ殿下とクリスタ嬢を案内できそうです。明日は港の市に行ってみますか?」
「港の市ですか!? わたくし、行ったことがないです」
「エリザベートにも一度見てもらいたかったのですよ。辺境伯領の港を」
明日は早く起きることになる。
ハインリヒ殿下にもクリスタにもエクムント様が短い手紙を書いて伝えていたので、わたくしは安心してエクムント様の腕に抱かれて眠った。
翌朝は、お散歩に行く時と同じくらいの時間に起きて、朝食も食べずに市に行った。
港の市には新鮮な獲れたばかりの魚介類が並んでいる他、その新鮮な魚介類を調理して出している露店もあった。それに、交易品を並べている露店もある。
初めてのわたくしもクリスタもハインリヒ殿下も、エクムント様に案内されて、護衛たちに守られて市の中を見て回っていた。
「辺境伯家の厨房でも、魚介類を使うときには、この市から仕入れています」
「新鮮な魚介類が手に入るのですね」
木箱の上に並べられている魚は、どれも新鮮で鱗や目の輝きが違う。蟹や海老や貝類も揃っていた。
「とても大きな蟹です。これはどうやって食べますか?」
「エリザベートが探し出したレシピがあります。そのレシピの料理を、今日は厨房に頼んでもよろしいですか、ハインリヒ殿下?」
「エリザベート嬢の考えたレシピならば興味があります」
わたくしが考えたわけではないのだが、それは口を閉じて静かにしておくことにした。
蟹や魚や海老や貝を買った後で、エクムント様が市の交易品の場所を見せてくださる。
そこにはわたくしがエクムント様にお願いしたスパイスが並んでいた。
「いい香りがしますね。珍しい異国のスパイスですね」
「今回お土産にエリザベートと話し合って持ってきたのですが、せっかくですのでここでも買いましょう。美味しいカレーライスが食べられますよ」
「カレーライス? 聞いたことのない料理です」
「ビーフシチューをスパイスで味付けしたようなものを、炊いた米にかけて食べるのです」
「それは美味しそうですね」
ハインリヒ殿下はエクムント様の説明に興味津々だった。
市から帰ると厨房に買ってきたものと、お土産に持ってきたものを渡し、レシピを添える。
「頼んだぞ、料理長」
「心得ました、ハインリヒ殿下」
ハインリヒ殿下に命じられて王家の別荘の料理長は張り切っている様子だった。
朝食は用意されていたものを食堂で食べて、昼食が料理長の腕を振るってもらった。
蟹クリームコロッケと、カレーライス。
丸く揚げられた蟹クリームコロッケは、蟹の出汁が出ていてとても美味しかったし、カレーライスは辺境伯家では鶏肉だったが、鶏肉ではなくビーフシチューのイメージで作られたようで、牛肉だった。
とろけるほど柔らかく煮られた牛肉のカレーライスはとても美味しかった。
食べ終わるとレモン水がそれぞれのグラスに注がれる。そういえばハインリヒ殿下は紅茶がそれほど得意ではなかったのを思い出した。普段のお茶会では紅茶を飲んでいるが、私的な場面では紅茶は飲みたくないのかもしれない。
郷に入っては郷に従え、である。わたくしはレモン水を飲んで喉を潤した。ぴりっと辛いカレーライスで乾いた喉にレモン水は心地よかった。
「露店では素焼きの壺にレモン水を入れているのを見ました。素焼きの壺だと、表面から水が少しずつ気化して、いつも冷たいのだそうです」
「素焼きの壺にレモン水を入れるのですか。それは知らなかった。冷たいレモン水を飲みたいので、すぐに素焼きの壺を用意させましょう」
エクムント様と露店で飲んだときに教えてもらったことを披露すると、ハインリヒ殿下は驚きつつすぐに取り入れるつもりだった。
お茶の時間までに素焼きの壺が食堂に準備されていた。
その日のお茶の時間は食堂で行われた。
サンドイッチもスコーンもキッシュもケーキも大量に準備されていたが、わたくしとエクムント様はサンドイッチを少しだけいただいた。残っても使用人たちにお下げ渡しになるので無駄にはならないと分かっているのだ。
クリスタは迷っていたが、サンドイッチとケーキをお皿に乗せていた。
「エクムント様とお姉様にヴェールを見せていただきました。お姉様のヴェールと同じ生地で、金糸で刺繍がされていてとても美しくて、完成が楽しみでした」
「クリスタ嬢、ウエディングドレスなのですが、裾にピンクのバラを飾って、上は純白、裾に向かってピンクに染まるグラデーションはどうかと母上が言っているのです」
「わたくし、ピンク色は大好きです」
「エリザベート夫人の結婚衣装は左肩と左腰に薔薇の花が飾られていました。王宮の文献を見ると、裾に薔薇の花を飾ったデザインもあったので、それでどうかと母上に提案しに行ったら、そのように言ってくれたのです」
ハインリヒ殿下とクリスタの結婚式も準備がされている。ウエディングドレスは王家のしきたりに合わせなければいけないだろうが、王妃殿下が提案してくださったウエディングドレスはクリスタに似合いそうだった。
「それならば、ヴェールも思い切って裾の方をピンクに染めるのはどうでしょう?」
今からならば修正が効くとわたくしが提案すると、クリスタの表情が輝く。
「わたくし、大好きなピンク色を纏ってハインリヒ殿下に嫁げるのですね」
「ヴェールの方はエリザベート夫人とエクムント殿にお任せしているので、ウエディングドレスに合わせてくださると嬉しいです」
「お姉様、素敵な提案をありがとうございます」
ヴェールを加工してもらっているお店には手紙を書かないといけないが、それはわたくしでもできそうだった。
ウエディングドレスとヴェールの話がまとまると、クリスタはハインリヒ殿下を見詰めてその手を握る。
「わたくし、とても幸せです」
「私も、クリスタ嬢が嫁いできてくれる日を楽しみにしています」
「ハインリヒ殿下、学園でわたくし、最後までしっかりと勉強して嫁いで参ります」
いい雰囲気になっているので、わたくしとエクムント様は辞して、部屋に帰らせてもらった。
部屋ではエクムント様がソファに座ってわたくしを膝の上に抱き上げている。膝の上に抱き上げられて恥ずかしいのだが、二人きりなのでわたくしも大人しくじっとしている。
「クリスタ嬢のウエディングドレスとヴェールが決まりそうでよかったですね」
「はい。王家のしきたりに従った上で、クリスタが望むウエディングドレスを着られるか心配だったのですが、王妃殿下はクリスタのことを本当によく考えてくださっています」
膝の上に抱きかかえられながらわたくしが言えば、エクムント様がわたくしの肩口に顔を埋める。息がかかって少しくすぐったく、恥ずかしくもあるのだが、せっかくの二人きりなので甘いムードを壊したくなかった。
「エリザベート、蟹クリームコロッケもカレーライスも、ハインリヒ殿下とクリスタ嬢は喜んでいたようでしたね」
「それならばよかったです」
「王宮の料理長にもレシピは渡ることでしょう」
「まさか、正式な場ではでないでしょう」
「それでも、辺境伯領が交易で得たスパイスが王家から広がることは確かでしょう」
そうなれば辺境伯領はさらに豊かになるに違いない。
辺境伯領の繁栄にわたくしが少しでも貢献できるのであればよいとわたくしは思っていた。
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