49.やり直しの初夜
慌ただしかった二日続けての結婚式が終わると、わたくしは辺境伯家で暮らすことになった。
ディッペル家の春よりもずっと日差しが強いし、気温も高いのだが、ノースリーブのワンピースを着ていると日に焼けてしまうので外に行くには日よけのカーディガンが必須だった。
エクムント様も日差しは気を付けているようで、いつも長袖のシャツとくるぶしまであるスラックスを着ている。
エクムント様との初夜はつつがなく、というわけにはいかなかった。
一度タイミングを逃すと、すぐにはいい雰囲気になれないのかもしれない。
何より、わたくしは普段から早く起きているので、早寝の習慣が付いていて、エクムント様と寝室に行くころには欠伸が出てしまうのだ。
欠伸をしているわたくしにエクムント様は遠慮しているようだった。
「まだ辺境伯家に来て日も浅いですし、慣れないことも多いでしょう。今日は休みましょう」
「エクムント様……」
「お休みなさい、エリザベート」
その通りではあるのだが、わたくしから初夜のやり直しをしてほしいなどというはしたないことは言えないし、わたくしはエクムント様に抱き締められたら素直にぐっすりと眠ってしまうし、どうしようもなかった。
わたくしがエクムント様を信頼しすぎているのがいけないのかもしれない。
男性として意識していれば、気になって眠れないのかもしれないが、エクムント様はわたくしのそばにずっと紳士的にいて、常にわたくしを守ってくださっていた。
両親の事故のときなど、エクムント様がいなければわたくしはとても耐えられなかっただろう。
それくらいそばにいるのが自然で、信頼しているので、エクムント様に抱き締められて眠れないということがない。エクムント様の腕の中はいい香りがして、熟睡できてしまうくらいなのだ。
これはよくない。
わたくしはエクムント様と添い寝をするために結婚したわけではないし、夫婦になったのだからエクムント様を十年も待たせていて、これ以上お待たせするのも申し訳ない。
何とかしなければと思っていたが、わたくしにはカサンドラ様の授業が始まっていた。
エクムント様の執務の横について執務を覚える作業と、カサンドラ様に軍のことを教えてもらう授業の二つをこなして、たまにカサンドラ様の実践も受けていると、毎日が慌ただしく過ぎていく。
エクムント様と初夜のやり直しをしたかったのだが、エクムント様には遠慮をさせてしまうし、エクムント様がお風呂に入っている間に、先にお風呂に入ったわたくしが寝落ちてしまうなどというあり得ないことも起きていた。
これではいけない。
このままでは何もないままにディッペル家のフランツとクリスタのお誕生日のお茶会に行くことになってしまう。
夫婦になって数日、何をしていたのかと思われても仕方がない。
「エクムント様……いいえ、エクムント。わたくし、今夜こそエクムントのものになりたいのです」
はしたないなんて言っていられない。
フランツとクリスタのお誕生日のお茶会のためにディッペル家に行く前日、わたくしは朝からエクムント様に宣言しておいた。
「エリザベート、嬉しいのですが、明日はディッペル公爵領に出かける日ですよ?」
「わたくしもカサンドラ様に鍛えられて体力も少しはつきました。平気です」
どういうことが初夜で起きるのかは前世の記憶がなんとなく教えてくれる。前世でも恋愛に縁がなかったので経験があったわけではないが、前世でわたくしは性教育は受けていたし、大人としてそういう知識も持っていた。
今世での性教育というものが、生理のときの対処についてだけで、男女の営みについては男性に任せなさいというものだったので、この国での性教育の必要性については大いに考えるところがあるが、今はそれを気にしている場合ではない。
わたくしはエクムント様と実質的な夫婦になるのだ。
その日も忙しく執務を行い、その合間にカサンドラ様の授業を受け、朝食も昼食もお茶の時間も夕食も食べて、やっと夜になった。
お茶の時間があるのは、この国の夕食が時間的に遅めだからだからだが、わたくしとエクムント様はお茶の時間にそんなに軽食やケーキを食べないし、今日は厨房に言って夕食を早めにしてもらっておいた。
カサンドラ様は普段は住まいにされている離れの棟でお一人で食事をされるのだ。
そのため、食事はわたくしとエクムント様二人きりで、時間をずらすのも全く問題はなかった。
わたくしが先にお風呂に入って、髪を乾かしていると、エクムント様がお風呂に入って出てくる。
さらりとしたシンプルな絹のパジャマ姿のエクムント様に、お揃いの絹のパジャマをもらって着ているわたくしはベッドの端に腰かけてそのときを待っていた。
エクムント様がわたくしのそばに来て、わたくしの手を取る。立たされて、わたくしはエクムント様に抱き締められた。
「エリザベート、いいのですか?」
「わたくしはエクムントのものです」
「エリザベート」
唇が重なってわたくしは目を閉じる。
「エリザベート、あなたを大事にしたいし、優しくしたい」
「はい、エクムントを信じています」
「少しでも嫌なことがあれば……」
「エクムントのすることに嫌なことはありません」
わたくしの全てをエクムント様に捧げると誓ったのだ。エクムント様も全てをわたくしに捧げると誓ってくれた。
そんなエクムント様が無体なことをなさるはずがない。
わたくしは安心してエクムント様に全てを預けた。
翌朝、わたくしは寝坊した。
とはいえ、いつものお散歩や筋トレやランニングをする時間に起きられずに、朝食の時間までぐっすりと眠ってしまったのだった。エクムント様は起きていたようだったが、わたくしを起こさないようにベッドで横になったままわたくしを抱き締めていてくださった。
「起こしたくださったらよかったのに」
「エリザベートがあまりに可愛い顔で眠っていたので、寝顔を見ていました」
「そ、そんな、見ないでください」
「私しか見られない顔です。しっかりと見せてもらいました」
「もう、エクムント様!」
昨日のことを思い出すと顔が真っ赤になってしまう。エクムント様も思い出しながらわたくしの寝顔を見ていたのだろうか。
「わたくし、よだれなど垂らしていなかったですか?」
「ははっ。エリザベートはそんなことを気にするのですか? よだれを垂らしていても可愛いですよ」
「エクムント様!」
甘やかされている気がする。
これまで以上にエクムント様の態度が甘い気がする。
溶けるほど情熱的に愛されて、普段は甘やかされて、わたくしはエクムント様なしには生きられないようになってしまうのではないだろうか。
「エクムント様のせいで、わたくしはエクムント様なしでは生きられなくなってしまいます」
不満げに言えば、エクムント様が声を上げて笑う。
「一生そばにいて責任を取ります」
「長生きしてくださいね?」
「健康には気を付けますよ」
エクムント様の方が十一歳年上なのだから、わたくしとエクムント様、どちらが長生きをするかといえば、女性の方が平均寿命も長いし、わたくしの方が遺されてしまうのかもしれない。
そうなるときにはわたくしは耐えられない気がしてならないので、エクムント様には本当に長生きをしてもらわなければ困る。
「エリザベート、朝食はベッドで食べますか?」
「え!?」
「新婚の夫婦は朝食をベッドで食べてもいいのですよ」
そんなことを言われるとベッドで朝食を食べてみたくなる。
給仕がトレイに乗った朝食を持ってくる。パンと厚切りのハムを焼いたものと、フルーツサラダとヨーグルト。簡単な朝食だが、ベッドで食べるとなるといつもと違うのでわくわくしてしまう。
パジャマ姿のままでベッドで食べる朝食は新鮮だった。
零してしまわないか気を付けなければいけなかったが、たまにはこんな朝食もいいかもしれない。
エクムント様と本当の夫婦になれてわたくしの心は弾んでいた。
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