9.アッペル大公領
ディッペル領に帰って一晩休むと、次の日にはノルベルト殿下のお誕生日のお茶会のためにノルベルト殿下の住むアッペル大公領に向かう。そこはかつてバーデン家が治めていた土地だった。バーデン家が取り潰しとなって、分家を伯爵家として取り立てることになって、バーデン家の者たちは王家を乗っ取ろうとした罪で幽閉された。残された土地を王室が管理していて、ノルベルト殿下が成人した暁にはアッペル大公領として治めさせようとしていたのだ。
元バーデン家の土地だが、王室が管理をしていたのでアッペル大公領は整った場所になっていると聞いている。
わたくしたちは馬車と列車でアッペル大公領に向かった。
「アッペル大公家は元バーデン家のお屋敷だと聞いています」
「クリスタが連れ去られそうになったバーデン家のお屋敷ですね」
「そういうこともありましたね。わたくし小さかったから、お姉様から引き離されるかもしれないと怖かったことだけは覚えていますが、その他のことはあまり覚えていないのです」
「ノルベルト殿下とノエル殿下が住むにあたってかなり改装されたと聞いていますから、もうバーデン家の名残はないでしょう」
馬車の中でわたくしはクリスタと話していた。
バーデン家はクリスタを使って王家の乗っ取りを考えていた。クリスタをバーデン家に攫って、ハインリヒ殿下のお気に召すような淑女に育てて、ハインリヒ殿下と婚約させて、皇太子妃にさせて、その後ろ盾としてバーデン家が権力を持とうとしたのだ。
バーデン家のブリギッテ嬢がクリスタを攫おうとしたこともあったし、元ノメンゼン子爵とバーデン家の間で密約が交わされていたという事実を示す手紙も見つかった。その手紙の中で、バーデン家はクリスタを皇太子であるハインリヒ殿下の婚約者とできた暁にはノメンゼン子爵家を伯爵家に陞爵させるという約束までしていた。
公爵家とはいえ、バーデン家にそんな権力はない。これは明らかに王家の乗っ取りを考えていたのだと国王陛下も理解して、バーデン家に沙汰を下した。
あれはまだクリスタが六歳のときのことだった。六歳と言えば十年前のできごとである。クリスタの記憶が曖昧になっていても幼かったのでおかしくはない。
「わたくし、そのことより六歳のお誕生日をよく覚えています」
「バーデン家の断罪よりも前だった気がしますが」
「その日は特別なのです。お姉様がわたくしを実の妹と呼んでくれたのです」
クリスタは元ノメンゼン子爵家でのことはほとんど覚えておらず、ディッペル家に養子に来てからのことを覚えている様子だが、養子になった日ははっきりと覚えているようだ。
「あのときには元からお姉様の妹だったのにと思っていましたが、本当は違ったのですね。わたくしはそれまではノメンゼン子爵家の娘だったのですね」
「よく思い出しましたね。クリスタはとても小さかったのに」
わたくしとクリスタが話していると、フランツとマリアも目を丸くして聞いている。
「前に説明されましたが、クリスタお姉様が本当は養子だったなんて信じられません」
「クリスタお姉様はわたくしたちのお姉様です」
「そういってもらえると嬉しいです。わたくしもフランツとマリアのことを本当の弟と妹と思っています」
堂々と胸を張って伝えるクリスタに、本当に大きくなったものだと思わずにはいられない。
クリスタが養子に来たときには生まれていなかったフランツとマリアも、九歳と八歳になっている。
「クリスタが養子に来なかったら、お父様とお母様もフランツとマリアの誕生を望んでいなかったかもしれないのです。わたくしはクリスタが妹になって本当によかったと思っているのですよ」
「お姉様……わたくしもお姉様の妹になれて本当に幸せです」
皇太子妃と辺境伯夫人で道は分かれてしまうが、わたくしとクリスタはずっと姉妹だ。同じ志を持って国を支えていくつもりでいる。
手を取り合うわたくしとクリスタをフランツとマリアが澄んだ目で見つめていた。
ノルベルト殿下のお誕生日のお茶会には、国王陛下と王妃殿下も来られていた。
国王陛下と王妃殿下は初めて改装されたアッペル大公家に来たようだった。
「バーデン家の屋敷を改装したようだが、夫婦仲よく暮らしているか?」
「はい、父上。ノエルと共に幸せに暮らしています」
「大公として土地を治めるのは大変ではないですか?」
「王妃殿下、土地を治めるのは初めてですが、学園で学んだことも役に立っていて、ノエルも僕を支えてくれるので心配はいりません」
ノルベルト殿下を心配する国王陛下と王妃殿下にノルベルト殿下は笑顔で答えていた。
「本日は僕の誕生日にお越しくださってありがとうございます。妻のノエルとアッペル大公領に住みだしてもうすぐ三か月。僕とノエルはアッペル大公領を治め、協力して暮らしています。この土地をよりよい場所にできるようにこれからも努力していきたいと思います」
ノルベルト殿下が挨拶をして、お茶会が始まる。
クリスタはハインリヒ殿下と一緒にノルベルト殿下とノエル殿下に挨拶に行っているし、フランツはレーニ嬢と一緒にお茶をしているし、マリアはオリヴァー殿とナターリエ嬢とゲオルグ殿と一緒にお茶をしているし、ユリアーナ殿下はデニス殿と一緒にお茶をしている。
仲のよい様子を見ているとわたくしも微笑ましくなってくるが、ノエル殿下のそばにいる人物にわたくしは注目してしまった。
ミリヤム嬢だ。
ノエル殿下はミリヤム嬢が学園を卒業したら、自分の元で雇いたいと言っていた記憶がある。ミリヤム嬢は身分的に普段ならばこんな高位の貴族の集まりには招かれないのだが、ノエル殿下が招待したのだろう。
「ミリヤム嬢、こんにちは」
「エリザベート様、ご挨拶をありがとうございます」
「ノエル殿下から招待されたのですか?」
「そうなのです。ノエル殿下から素晴らしいお話もいただきました。今はお話しできませんが」
ノエル殿下はミリヤム嬢に学園を卒業したら雇いたいという話をしたのだろう。ミリヤム嬢はアッペル大公家の侍女頭になるだろうし、ノエル殿下に子どもが生まれれば乳母になる話も出てくるかもしれない。
高貴な貴族の乳母というのはとても重要な仕事で、乳母が後継者を育てるようなものなので、乳母の選定はとても重要になってくる。
ミリヤム嬢がノエル殿下のお子様の乳母になれるのであれば、それはとても名誉なことだろう。
「ミリヤム嬢も学園を卒業するのが楽しみですね」
「はい、エリザベート様」
ミリヤム嬢と言葉を交わして、わたくしはエクムント様の元に戻った。エクムント様と一緒にお茶をする。
エクムント様は相変わらずサンドイッチを少しだけ取り分けていた。わたくしは色とりどりのケーキに目を奪われてしまう。
このケーキにしようか、こっちのケーキにしようか、迷うわたくしにエクムント様は穏やかに待っていてくださる。
「お好きなだけ食べたらよろしいのに」
「そうはいきません。わたくし、エクムント様を見習って節制できる淑女になりたいのです」
「私を見習うことはないのですよ。エリザベート嬢が好きなものを好きなだけ食べている姿が私は好きです」
「そんな、甘やかさないでください。わたくしはエクムント様の隣りでいつも美しくありたいのです」
エクムント様は優しいことを仰るが、それに甘えてはいけない。
ケーキ一個だけを選んで、わたくしはお皿に乗せた。
お茶会のケーキは小さいので一個だけだとどうしてもお腹が空いてしまう。ついついスコーンとクロテッドクリームとジャムに手を伸ばしてしまうわたくしは、意思が弱かった。
ミルクティーを頼んでエクムント様と一緒に飲む。
この季節のミルクティーは少し暑かったが、それでもわたくしは温かい紅茶が好きだった。
「エクムント様、食べ終わって落ち着いたら踊ってくださいますか?」
「もちろんです、エリザベート嬢」
ミルクティーを飲みながらわたくしはエクムント様にお願いしていた。
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