6.呼び方を変える
国王陛下の私的なお茶会が終わると、わたくしはエクムント様に誘われて、クリスタちゃんはハインリヒ殿下に誘われ、レーニ嬢はふーちゃんに誘われて部屋まで送ってもらった。
部屋ではクリスタちゃんはわたくしとレーニ嬢に語ってくれた。
「ノエル殿下がうっかりと学園のお茶会で『ちゃん付け』を出してしまったことがあったでしょう? ノエル殿下のような身分の高い教育された方でさえそうなのだから、わたくしも失敗することがあってはならないと思ったのです」
「そういえばそんなことがありましたね」
「クリスタ、とても立派な考えだと思います」
「お姉様は心の中で呼んでいればいいと仰いましたが、心の中で呼んでいても、つい口から出てしまうことがあります。わたくしは皇太子妃になるのだから、気を引き締めなければいけないと思っています。フランツとマリアのことも、今後はふーちゃんやまーちゃんとは呼びません」
それはクリスタちゃんの子ども時代との別れだったのかもしれない。
クリスタちゃんがそれほどまでの覚悟をしていると聞くと、わたくしも甘いことは言っていられない。
「わたくしもクリスタを見習いますわ。私的な場でも心の中でも、クリスタはクリスタ、フランツはフランツ、マリアはマリアと呼びましょう」
「クリスタ嬢もエリザベート嬢も立派な志です。わたくしも見習いたいと思います」
レーニ嬢とも話し合って、わたくしは今後はクリスタちゃんのことはクリスタ、ふーちゃんのことはフランツ、まーちゃんのことはマリアと呼ぶと決めた。
フランツとマリアに関しては、まだ小さいので可愛い愛称で呼びたい気持ちはあったが、これが間違えて公式な場で出てしまってはいけないというクリスタの考えはよく分かったので改めることにした。
慣れないが、今後はクリスタ、フランツ、マリアと弟妹のことは呼び、レーニ嬢はレーニ嬢、ミリヤム嬢はミリヤム嬢と呼ぶことを決めた。
それにしてもクリスタの成長にわたくしは驚いてしまう。こんなにしっかりと発言をするような子だっただろうか。王宮で国王陛下と王妃殿下とハインリヒ殿下と過ごした時間がクリスタに皇太子妃としての自覚を目覚めさせたのだろう。
呼び方を変えることを含めて、クリスタの成長はわたくしにとっては寂しい一面もあったが、喜ばしいことでもあった。
「今後はお姉様を観察して、エクムント様とのことを羨ましがったりしません。わたくしにはわたくしのやるべきことがあるのですから」
凛と告げるクリスタにわたくしは感動してしまう。
ずっとわたくしにくっついてきて、離れることのできなかった小さな妹が、今、自立しようとしているのだ。寂しさは当然あるが、それ以上に感動が胸に込み上げる。
「クリスタ、覚えていてください。わたくしにとってあなたは大事な可愛い妹です。わたくしはあなたを誇りに思います」
「お姉様、ありがとうございます。わたくしにとっても、お姉様は大事な頼れるお姉様です。これからもよろしくお願いします」
手を取り合って言い合うわたくしとクリスタに、レーニ嬢がうんうんと頷いて話を聞いていた。
翌日の朝には、フランツとマリアとデニス殿とゲオルグ殿に起こされた。
「エリザベートお姉様、クリスタお姉様、いいお天気ですよ」
「お散歩に行きましょう!」
元気よく声を掛けてくるフランツとマリアに、わたくしとクリスタとレーニ嬢が支度をする。
「お姉様、参りましょう!」
「お姉様、一緒にお散歩しましょう!」
デニス殿とゲオルク殿も声を掛けてくる。ゲオルク殿は今年からお茶会に参加できる年齢になっているので、喋り方がしっかりしてきている。
支度をして庭に出るとエクムント様とハインリヒ殿下とユリアーナ殿下とオリヴァー殿とナターリエ嬢が待っていた。ゲオルグ殿が走って行ってナターリエ嬢の手を取る。
「ナターリエ嬢、一緒に歩きませんか?」
「わたくしでよろしければ」
レーニ嬢によく似たそばかすの散った頬を赤くしてナターリエ嬢と手を繋いでいるゲオルク殿はナターリエ嬢が好きなのかもしれない。
ユリアーナ殿下はデニス殿のところに駆けて行っていた。
「デニス殿、わたくしと一緒にお散歩しましょう」
「はい、ユリアーナ殿下」
同じ年の二人も仲睦まじく歩いている。
わたくしはエクムント様に手を取られ、クリスタはハインリヒ殿下に手を取られ、レーニ嬢はフランツに手を取られ、マリアはオリヴァー殿の手を握って一緒に歩いている。
「お兄様、ゲオルグ様がわたくしを誘ってくださいました。ゲオルグ様とお友達になれて嬉しいです」
「ナターリエ、よかったね。ゲオルグ様、ナターリエをよろしくお願いします」
「はい! ナターリエ嬢と仲良くします!」
手を繋いでもらって嬉しそうなナターリエ嬢にオリヴァー殿がゲオルグ殿にお礼を言って、ゲオルグ殿は背筋を伸ばして返事をしている。
気持ちが通じ合うのはまだまだ先だろうが可愛い小さなカップルにわたくしの表情も緩んでいた。
「エリザベート嬢、クリスタ嬢はもう結婚指輪の相談をしたそうですね」
「そのようですね。ハインリヒ殿下と結婚して皇太子妃となるのだから、準備も早いうちから行っておくのかもしれません」
「私たちの結婚指輪の相談も近いうちにしましょうか」
「わたくしはエクムント様にお任せしますわ。エクムント様の選んだものを身に着けたいのです」
「可愛らしいことを仰る」
歩きながら話していると、エクムント様が金色の目を細めている。エクムント様の金色の目は無表情だったり、厳めしい顔をしているととても怖く見えるのだが、わたくしの隣りにいるときはいつも凪いで優しく感じられる。
軍人で辺境伯領の軍の総司令官なのだから、冷酷な命令を口にすることもあるのだろうが、わたくしの隣りにいるエクムント様はいつも甘く優しく柔らかい表情をしていた。
一度だけエクムント様を怖いと思ったのは、わたくしが葡萄ジュースとすり替えられた葡萄酒を飲んでしまったときだろうか。あのときのエクムント様は金色の目を冷徹に光らせていた気がする。
それ以外はわたくしの大好きなエクムント様である。
冷徹な部分もエクムント様の一部だと思うと愛することはできるのだが、できる限りは優しいエクムント様でいてほしいとは思ってしまう。
わたくしにとっては、生まれたときから知っている相手で、小さなわたくしを抱っこしてくださったエクムント様は記憶にはないが、わたくしは物心ついたときにはエクムント様に恋をしていた。
妹枠から抜けられないのではないかと悩んだこともあったけれど、エクムント様はしっかりとわたくしを愛してくださっている。
エクムント様の握る手から、視線から、わたくしへの気持ちを感じ取ることができる。
「エクムント様、サファイアがわたくしの誕生石だというのは知っていますがエクムント様の誕生石は何なのですか?」
「男性の誕生石はあまり気にしないものですが、エリザベート嬢は気になるのですね」
「気になります」
「私もエリザベート嬢と生まれ月が同じなので、同じサファイアですよ」
わたくしとエクムント様は生まれ月が同じだから、誕生石も同じだった。
「それならば誕生花も同じなのですか?」
「誕生花は生まれた日によって違うので、誕生花は違うと思いますよ」
「そうなのですか」
誕生花が違うことにはがっかりしてしまったが、誕生石が同じというのは純粋に嬉しい。
「エクムント様の指輪にもサファイアを埋め込んだらお揃いになりますね」
「それはいいですね。裏側にサファイアの小さな粒を埋め込みましょう」
同じ誕生石なのだから、お揃いにしたい。わたくしの願いをエクムント様は聞いてくれるようだ。
「サファイアの石言葉をご存じですか?」
「いいえ、知りません」
「『成功』『誠実』『慈愛』などがありますが、身に着けることで誠実で穏やかな愛をもたらすといわれています」
身に着けることで誠実で穏やかな愛をもたらす。それはわたくしたちにぴったりなのではないだろうか。
結婚したらわたくしは誠実で穏やかな愛を育みたいと思っている。
「わたくしの理想とする夫婦の姿です」
「私も同じです」
エクムント様に微笑まれて、わたくしは同じ気持ちでいられる喜びを感じていた。
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