35.女子生徒にさよならを
辺境伯領から帰ると、学園にすぐに行かなければいけなかった。
長い長いわたくしの夏休みが終わった。
学園に行くと、わたくしは休んでいた期間の授業のノートをミリヤムちゃんに貸してもらってすぐに写して勉強した。
ハインリヒ殿下もノルベルト殿下も、クリスタちゃんもレーニちゃんも、オリヴァー殿も夏休みをわたくしのお誕生日とユリアーナ殿下のお誕生日とエクムント様のお誕生日の分延長しているので、授業に遅れが出ていた。
食堂に集まってわたくしたちは遅れた分の授業を取り戻そうと勉強をしていた。
「エリザベート・ディッペル公爵令嬢が、他の令嬢の婚約者を誘惑するなんて浅ましいことはなさりませんよね」
「ダンスに誘われたようですが、品行方正なエリザベート様は断っていたようですし」
「エリザベート様には辺境伯という婚約者がいらっしゃいますものね」
聞こえよがしにわたくしに言ってくる声を聞いて、わたくしはわたくしのお誕生日のお茶会でわたくしをダンスに誘った同級生を思い出した。その同級生の婚約者が当てつけにエクムント様を誘っていたことも覚えている。
エクムント様がはっきりとダンスを断っていたことも。
「そちらの方たちはわたくしと話したいことがあるのですか?」
「いえ、エリザベート様は本日も本当にお綺麗だと思って」
「制服を着ていらしてもわたくしたちとは全く違いますわ」
「内から魅力があふれ出ているとでもいうのでしょうか」
こういうときに貴族の言葉をそのまま臆面通りに取ってはいけない。
わたくしの魅力があふれているというのは、他人の婚約者を誘惑するようなことをしたと言っているに違いないのだ。
「お褒めにあずかり光栄ですが、わたくしは制服を規定通りに着ているだけですわ。何も手は加えていません」
婚約者を誘惑するわけなどないと返したつもりなのだが、女子生徒たちは嫌な笑いを浮かべている。
「エリザベート様の輝きの前では、太陽も恥じ入ってしまいますね」
「その髪の光沢、目の光沢、とても美しいこと」
「きっと誰もを魅了する力がおありなのでしょう」
こういうやり取りは貴族として慣れておくべきなのだが、わたくしはどうしても慣れることができない。言いたいことはそのまま口にしてしまいそうになるからだ。
「どなたかの婚約者がその方ではなくわたくしに心を傾けたというのならば、原因はわたくしではなく、その方の努力不足だったのではないでしょうか。どちらにせよ、わたくしには関係のないことですわ」
そんなことよりも勉強を進めたい。
これ以上は無視することにしようと決めたわたくしは、ミリヤムちゃんから借りたノートに視線を落とした。授業は短期間だがかなり進んでいるようである。
「学園では生徒は平等ですよ」
「エリザベート様の家柄が素晴らしくとも、ひとの婚約者の心を奪ってしまうのは」
「美しさとは罪なのですね」
恐らくは彼女たちはあの同級生の女子生徒に頼まれて、わたくしに謝罪するように仕向けるように言われているのだろう。
学園では生徒は平等なんていう建前を信じている時点で貴族失格だ。
学園ではペオーニエ寮は王族と公爵と侯爵、リーリエ寮は侯爵と伯爵、ローゼン寮は伯爵と僅かな子爵と男爵の子息令嬢が振り分けられている。この時点でしっかりと区切りが付けられているのだから、平等なはずがない。
それを勘違いしてしまっているのがこの目の前の女子生徒たちなのだ。
「何か言いたいことがおありなら、本人においでくださいとお伝えください。わたくしは何も後ろめたいことはありません。いつでも応じます」
公爵家の娘であるわたくしにその令嬢が敵うのかどうかなど分かりきっている。
学園は決して平等なのではないのだ。
「恐ろしいこと」
「あの恐ろしさを隠して男性には甘い声で囁くのですよ」
「これだから子爵家から成りあがった女性の娘は」
捨て台詞を吐いて去ろうとする彼女らに、わたくしは聞き捨てならないことを耳にしてしまった。
「今、何と仰いましたか?」
「いえ、わたくしは何も」
「わたくしも」
「わたくしも、何も言っていませんわ」
「わたくしの母を侮辱しましたわね?」
わたくしの母は子爵家の出身である。マナーがよくできていて、国一番のフェアレディと呼ばれた母は、学園にも特別待遇で入学させてもらって、父と国王陛下と出会った。母は学園を卒業した後にはキルヒマン家に養子に行って、キルヒマン侯爵家からディッペル公爵家に嫁いでいる。
正式な手順でディッペル公爵家に嫁いだ母のことを侮辱されてわたくしは彼女たちを許すことができなかった。
「婚約者と揉めている方もお話を聞きたいですわ。どうか、わたくしの主催するお茶会にいらしてください」
これは果たし状だった。
お茶会で決着をつける。
わたくしの言葉に、女子生徒たちは青ざめているようだった。
「あの方たち、わたくしを苛めていたローゼン寮の伯爵家の令嬢たちですわ」
ミリヤムちゃんの言葉に、わたくしは彼女たちを見たことがあったような気がしていた既視感の原因に気付いた。
ノエル殿下のお茶会に招かれて、社交界から追放するようなことを言われて尚、彼女たちはまだわたくしに盾突こうとしているのだ。
ノエル殿下ほどではないが、わたくしもこの国で二つしかない公爵家の娘であるし、身分はそれなりに高い。
「お姉様、あの方たち、本当に不快でしたわ」
「学園を勘違いしているようでしたね」
学園では生徒は平等なんていう言葉を使う時点であの女子生徒たちのレベルは知れている。
わたくしは午後の授業を終えて、お茶会の時間を待っていた。
身分の高いものからお茶会に誘われたら、出席しないのは失礼とされている。
怯えながらもやってきた四人の女子生徒を、わたくしはペオーニエ寮の中庭のサンルームに招いた。
ハインリヒ殿下にノルベルト殿下、オリヴァー殿、レーニちゃん、ミリヤムちゃん、リーゼロッテ嬢にクリスタちゃんがいる。
「ようこそ、わたくしが主催するお茶会へ」
「お、お邪魔いたします」
「お招きいただきありがとうございます」
「よろしくお願いします」
お茶会に集うメンバーだけで女子生徒三人は気圧されているようだが、婚約者をわたくしに取られたと誤解している令嬢は顔を背けて挨拶もしなかった。
「挨拶もできないのですね。どんな教育を受けてきたのでしょう」
「そんなだから婚約者に嫌われてしまうのではないですか?」
クリスタちゃんとレーニちゃんの言葉に、令嬢はわたくしを睨み付ける。
「お茶に誘って、わたくしを懐柔しようなんて思っても無駄ですからね。わたくしはエリザベート様がなさったことを忘れていません」
「わたくしはダンスをお断りしました。それでも食い下がってきたのはあなたの婚約者です」
「わたくしに恥をかかせたいのでしょう? あぁ、酷い! エリザベート様がこんな方だったなんて」
大袈裟に泣くふりをしているが、ハインリヒ殿下もノルベルト殿下もその令嬢に視線すら向けていなかった。
誰も同情してくれないことに気付いても、引っ込みがつかないのか、令嬢は泣いたふりをしている。
「もう恥はかかれているではないですか。学園が本当に平等と勘違いしてわたくしに友人をけしかけてきた時点で、あなたは敗北していたのです」
「なにを!?」
「紅茶を召し上がりますか? 最高級の茶葉に、ミルクも新鮮なものを仕入れてあります。お茶菓子も最高級のものを用意してあります」
「エリザベート様……!?」
「これが真のレディの振る舞いです。しっかりと学んで行ってくださいね」
この女子生徒たちがわたくしに絡んできて、失礼を働いたことはすぐに家にも知られるだろう。そうなったときに、この女子生徒たちが家族からどう裁かれるかはわたくしは知ったところではない。
ノエル殿下に一度裁かれているし、二度目はないだろう。
これが彼女たちの最後のお茶会になるのならば、最高級のお茶とお茶菓子を振舞って送り出すのも悪くはない。ノエル殿下がご用達だったこのお茶菓子は、彼女たちが生涯知ることがないような香ばしい匂いを漂わせているだろう。
さようなら、女子生徒たち。
学園はそんなに甘い場所ではないのだ。
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