24.レースの縁取りの扇
シュタール家から帰る直前に、オリヴァー殿がわたくしとクリスタちゃんとまーちゃんと母に細い箱を渡してくる。
箱を開けると、綺麗なレースの縁取りの扇が入っていた。
「辺境伯領はこの暑さですので、扇でも使って風を起こさないと耐えられないでしょう。このレース編みはフィンガーブレスレットの工房の編み方を改良したものなのです」
「レースの縁取りの扇なんて初めてですわ」
「とてもお洒落ですね」
「わたくしにもいただいていいのですか?」
「わたくしにまであるのですね」
まーちゃんと母も扇をもらって喜んでいる。まだ七歳になったばかりのまーちゃんは扇を持つのは初めてである。
淑女の嗜みとして扇をパーティーバッグに入れておいて、口元を隠して笑うのに使ったりするのだが、まーちゃんはまだ小さかったので、扇を使うまでもなかったのだ。
扇は暗い色が主流なのに、レースの縁取りで白くて、金糸や銀糸で刺繍の入っている扇はとても美しかった。
「ありがとうございます、オリヴァー殿」
「とても嬉しいです」
「わたくし、扇を持つのは初めてです。初めての扇がオリヴァー殿のくださったものでとても幸せです」
「わたくしにまでありがとうございます」
お礼を言いながらも、これを国王陛下の別荘で出して使ったら、ノエル殿下もユリアーナ殿下もレーニちゃんも王妃殿下も興味を持つだろうということは頭の片隅にあった。わたくしたちが使うということは、宣伝にもなるのでオリヴァー殿が新しいデザインの扇を流行らせようとしているのならば、わたくしたち一家が国王陛下御一家の前で使うのが一番早いのである。
そういう計算もあるのだろうが、まーちゃんは純粋にオリヴァー殿からの初めての扇を喜んでいるし、わたくしもレースの縁取りのある白い美しい扇には見とれるほどだったので、純粋に喜んでもいた。
馬車が用意されて辺境伯家に戻ることになる。
わたくしはエクムント様と二人で辺境伯家の馬車に乗り、両親とクリスタちゃんとふーちゃんとまーちゃんがディッペル家の馬車に乗る。
実のところ、辺境伯領にも王都にもディッペル家は別荘を持っている。他の土地でも大抵の場所には別荘を持っている。各地で出される馬車はその別荘から持ってこられているのだ。
別荘があるのは知っているが、わたくしは辺境伯家に泊まるのに慣れてしまっていて、別荘に泊まったことは一度もない。別荘はきちんと管理されていていつでも使えるはずなのだが、それを使う必要はないのだ。
ただ、別荘で管理している馬車だけはいつも便利に使われている。
辺境伯家もディッペル家と同じく王都にもディッペル公爵領にも他の領地にも別荘を持っている。ほとんどの貴族はそのようにして各地に別荘を持っているのだ。
別荘を使うことがほとんどないとしても。
辺境伯家に帰ると、まーちゃんが扇を取り出して広げてみてその美しさにため息を零し、ぱたぱたと自分を扇いでみている。
「エリザベートお姉様、クリスタお姉様、いい香りがします」
「軸の木に香を焚きしめているのでしょうね」
「わたくしの扇もいい香りがしますわ」
扇で起こした風に乗って香りが漂ってくるのを、まーちゃんは感激しながら嗅いでいる。
「香が薄くなったら、いい香りの香を焚きしめましょうね」
「エリザベートお姉様、してくださいますか?」
「一緒にしましょうね」
幸せそうに扇を胸に抱いているまーちゃんに、わたくしは快く返事をしていた。
辺境伯家で食事をして、その日は休んで、次の日は扇の工房に見学に行って、その次の日はオリヴァー殿とナターリエ嬢とシュタール侯爵を招いてお茶会をして過ごした。
辺境伯領にいる間、まーちゃんはずっと幸せそうにしていた。
「オリヴァー殿、国王陛下の別荘でお会いしましょうね」
「マリア様、そのときにはお茶をご一緒しましょう」
「はい、オリヴァー殿」
約束をしてオリヴァー殿とナターリエ嬢とシュタール侯爵を送り出すまーちゃんは恋する乙女の目をしていた。
一週間の辺境伯領滞在も始まってしまえばあっという間に終わってしまう。
荷物を纏めて帰りの馬車に積んでもらっていると、エクムント様がわたくしの手を取る。
「エリザベート嬢、今年の誕生日には婚約指輪を、来年の誕生日には結婚指輪を作らせましょう」
「わたくし、婚約はもう八歳のときからしておりますわ」
「婚約指輪は作っていなかったでしょう? エリザベート嬢の手が成長途中だったので作らせなかったのです。今ならば大きくサイズが変わることはないでしょう」
今年のわたくしのお誕生日に婚約指輪を作って、来年のお誕生日には結婚指輪を作る。
それは結婚式へのカウントダウンのようでわたくしは心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
「とても嬉しいです」
「婚約指輪にはサファイアを、結婚指輪には裏側に小さなサファイアをはめ込みましょう」
具体的に婚約指輪と結婚指輪の話を聞いて、わたくしは期待に胸が膨らむ思いであった。
「エリザベート嬢、愛しています」
手を引き寄せられて、薬指に口付けを落とされて、わたくしは顔が熱くなってくる。エクムント様はわたくしの左手を取っているので、その薬指は指輪を付ける場所である。
両親もクリスタちゃんもふーちゃんもまーちゃんもいる前で、左手の薬指に口付けられて愛の言葉を囁かれて、わたくしはどうすればいいのか分からなくなってしまう。
「わ、わたくしも」
愛しています、とまでは口に出すことができなかったが、エクムント様はにこりと微笑んで、わたくしの手を取ったまま、馬車のステップを上がらせてくれた。
エクムント様に口付けられた左手を胸に抱くようにして馬車の座席に座ったわたくしに、隣りに座ったクリスタちゃんがため息をついていた。
「エクムント様はスマートに愛の言葉も囁くのですね」
「そ、そうですね。みんながいるのにびっくりしました」
「お姉様は幸せですか?」
クリスタちゃんの問いかけに、わたくしはこくこくと頷く。
「お姉様が幸せならば、わたくしは何も言いません。言えません……」
なんとなくクリスタちゃんが、わたくしとエクムント様に対して言いたいことがあるような気はしているのだが、それが何か分からずに、わたくしはただ左手を右手で握って胸に抱いていた。
ディッペル家に帰ると、今度は国王陛下の別荘に行く準備をしなければいけない。
辺境伯領の夏は厳しいので、涼しい服と日よけの上着が必須だったが、今度は王都の夏を想定して荷造りをしなければいけない。
ワンピースも辺境伯領で着たものはかなりラフなものだったが、私的な場とはいえ国王陛下の御前に出るので、少し形式ばったワンピースを選ばなければいけなかった。サンダルは履かないで、薄いストッキングと磨かれた革靴を履くようにする。
サンダルを履けないのは残念だが、国王陛下の御前で素足を晒すようなことはできなかった。
「クラリッサ、せっかく足の爪を塗ってくれたのに、見せられなくて残念です」
「足の爪は伸びるのが遅いので、塗ったままにしておいてよろしいのではないでしょうか。爪は見せるためだけに塗るのではありません。ご自分が楽しむために塗ってもよろしいのですよ」
「そうですね。わたくし、足の爪に塗ってもらったネイルは、自分で楽しむことにします」
まーちゃんとクラリッサの会話に、わたくしも足の爪のネイルは剥がさないでおこうと心に誓った。足の爪ならば見えないので、学園が始まっても剥がさずに済むかもしれない。
自分の楽しみのために爪を塗るというクラリッサの考えが、わたくしはとても気に入ってしまった。
「お姉様、扇は入れましたか?」
「入れましたわ。新しい扇も、今まで使っていた扇も」
「わたくしも今まで使っていた扇を入れましょう」
新しい扇を持っていくか気にしているクリスタちゃんには、今まで持っていたものも一緒に持っていくことを伝える。
国王陛下の別荘で、わたくしたちが扇をお揃いで持っていたら、話題になるに違いない。
それも楽しみだった。
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