8.お礼状と詫び状
朝食の後で荷物を纏めてもらったわたくしとクリスタ嬢は、両親に連れられて用意されていた馬車に向かった。庭にはハインリヒ殿下とノルベルト殿下が出ていて、帰って行く貴族たちを見送っている。
「この度はクリスタ嬢をお助けいただきありがとうございました」
「おかげでエリザベートにとっても、クリスタ嬢にとっても楽しいお茶会になったようです」
ハインリヒ殿下とノルベルト殿下に声をかける父と母に、ハインリヒ殿下とノルベルト殿下も答えてくれる。
「ハインリヒが少しでもお役に立てたならよかったです」
「クリスタじょうにはつらいおもいをさせてしまいました。おうとでのおもいでが、つらいものだけではないことをいのっています」
「ありがとうございます、ハインリヒ殿下、ノルベルト殿下」
「それでは失礼いたします」
挨拶をして馬車に乗り込む両親に手を引かれて、わたくしとクリスタ嬢も馬車に乗り込む。背伸びして馬車の入口からハインリヒ殿下が覗き込んでいる。
「わたしのおたんじょうびは、あしたなのです。クリスタじょう、よろしければおぼえておいてください」
ハインリヒ殿下とノルベルト殿下のお誕生日は四日違いのはずだ。年長のノルベルト殿下のお誕生日に合わせて合同で式典が行われたのならば、ハインリヒ殿下のお誕生日が明日というのも間違っていないだろう。
「おぼえて、それで、どうすればいいのですか?」
「クリスタ嬢、それは帰って考えましょうね」
「はい、おねえさま。ハインリヒでんか、ありがとうございました」
五歳らしい素朴な疑問を口にするクリスタ嬢に、わたくしはその場は濁しておいた。
馬車が動き出す。
列車の個室席の予約はしてあるので、駅に付いたらすぐに列車に乗れるだろう。
列車でディッペル公爵領まで戻って、駅からお屋敷まで馬車で戻ると、時刻はお昼に近かった。昼食が用意されて、わたくしとクリスタ嬢と両親は食堂の席に着く。
エクムント様は泊りがけの仕事だったので、帰ってから交代して非番になるようだった。仕事がないときならば遊んでくれると言っていたが、エクムント様は今日は遊んでくれるだろうか。
考えながら食事をしていると、母から提案があった。
「クリスタ嬢は字を書けるようになりましたね」
「はい、ぜんぶのじをかけます。ちょっとへたくそで、ゆがんじゃうことはあるけど」
「ハインリヒ殿下にお誕生日お祝いとお礼を書いてみませんか?」
今回ハインリヒ殿下は十歳の女子を前にして、誕生日が来ていないまだ六歳の男子では力及ばずといったところだったが、それでもクリスタ嬢を精一杯庇ってくれた。
そのこともあるし、ハインリヒ殿下から直々にお誕生日を教えるお声掛けをしてもらったのだから、クリスタ嬢は何かしなければ失礼だと思われてしまうだろう。
五歳のクリスタ嬢には思い付かなくても、その場面を見ていた母や父がそれに気付かなければいけない。
「おれいじょう……じょうずにかけるかしら?」
「練習して一番上手に書けたものを贈ればいいですわ」
「おねえさま、いっしょにかいてくれる?」
「もちろん」
クリスタ嬢に頼られてわたくしは素直に答えていた。
クリスタ嬢は勉強室に行って、母とわたくしに挟まれて色鉛筆を握った。クリスタ嬢はまだペンを使うことができないのだ。
母が用意してくれた綺麗な花模様の付いた便箋に、クリスタ嬢が一生懸命文字を綴る。
「『おたんじょうび、おめでとうございます。おちゃかいでは、ありがとうございました』、これでいい?」
「上手に書けましたね」
「わたくしからのお礼状も添えて、ハインリヒ殿下に送りましょうね」
わたくしに褒められてクリスタ嬢は嬉しそうにしていた。
罫線をはみ出して大きな字で書かれていても、クリスタ嬢はまだ大きな字しか書けないのだから仕方がない。大きくて伸び伸びとした字は見ていて気持ちがいいくらいだった。
「社交界では、パーティーや晩餐会、お茶会や式典などに招かれた場合には、帰ってから必ずお礼状を書くのです」
「かかないとどうなるの?」
「礼儀がなっていないとして、爪弾きにされますね」
便箋に流麗な字でお礼状を書きながら母が教えてくれる。社交界のルールはわたくしも覚えなければいけないので、クリスタ嬢と一緒に真剣に聞いていた。
クリスタ嬢は最近はお昼寝をしなくても夜まで起きていられるようになった。その代わり夜は早く眠ってしまう。
お茶の時間まで少し時間があったので、わたくしとクリスタ嬢は庭に出た。庭ではエクムント様が散歩していた。
「エクムント、今はお仕事ではないのでしょう? おままごとのお客さんになってくれませんか?」
「おねえさま、おままごとをするの? わたくしもしたい!」
「クリスタ嬢も一緒ですよ」
エクムントにお願いすると、快く了承してくれる。
「私でよろしければお相手しましょう」
「庭師に聞いてくるからちょっと待っていて」
エクムント様に待っていてもらって、わたくしは庭師にお願いしてローズヒップを摘ませてもらうことにした。薔薇園では花の後にローズヒップが実っている。
ローズヒップを集めて来て、わたくしとクリスタ嬢はベンチに並べる。
「パン屋さんですよ。パンはいかがですか?」
「おねえさま、これ、パン?」
「そうですよ。クリスタ嬢はどんなパンが好きですか?」
「クロワッサン!」
「それでは、これをどうぞ」
クロワッサンを注文したクリスタ嬢の手にローズヒップを一つ渡すと、食べる真似をして楽しんでいる。
「バゲットをもらえますか?」
「はい、こちらをどうぞ」
遊びに付き合ってくれるエクムント様に、わたくしはローズヒップを渡す。手が触れ合ってエクムント様の鍛えられた手の皮の厚い感触に心臓が跳ねる。
「エリザベート、クリスタ嬢、エクムントに遊んでもらっているのですか? 非番なのにいけませんよ」
「いえ、奥様、楽しいのでお気になさらず」
「いつもエリザベートとクリスタ嬢のことを気にかけてくれてありがとうございます、エクムント」
お茶の時間に呼びに来た母がエクムント様がわたくしとクリスタ嬢と遊んでいるのを見てお礼を言っていた。
エクムント様はわたくしと遊ぶのが楽しいと思ってくださっている。これはわたくしを少しでも気にしてくれているからではないだろうか。
「エクムントはエリザベートが小さな頃からずっと面倒を見てくれましたからね。エリザベートのことを妹のように可愛がってくれているんでしょうね」
エクムント様に挨拶をして別れてから、母はそんなことを言っていた。
今は妹ポジションでしかないかもしれないが、いつかは恋人になってみせる。成人した暁にはエクムント様と結婚するのだ。
わたくしは決意を新たにしていた。
お茶の時間に母は父に報告していた。
「クリスタ嬢と一緒にハインリヒ殿下のお誕生日お祝いとお礼状を書きました。明日にはハインリヒ殿下の元に届くでしょう」
「私は国王陛下にお礼状を書いたよ。一緒に王宮に届けさせよう」
「お願いいたします、あなた」
母がクリスタ嬢の書いた便箋と母の書いた便箋の入った封筒を父に渡す。父はそれを受け取って、執事に声をかけて渡していた。執事は封筒を受け取って、違う封筒を父に渡す。
差出人を見て父の眉間に皺が寄った。
「バーデン公爵家から詫び状が来たようだ」
「公衆の面前であのようなことをしておいて、詫び状で許されようだなんて面の皮が厚いこと」
「バーデン家とは今後関わり合いになりたくないものだな」
バーデン家からの詫び状はその場では開かれることなくテーブルの端に置かれたままだった。クリスタ嬢がブリギッテ様にされたことを思い出すかもしれないので、父はこの場ではその詫び状に触れるつもりはないようだった。
「おわびをされたら、ぜったいにあいてをゆるさなければいけないの?」
五歳の素朴な疑問に、両親が答える。
「そんなことはないよ」
「どれだけ詫びられても、許さなくていいことはあります。クリスタ嬢が今回されたことは許さなくてもいいのです」
「ただ、相手に貸しを作るつもりで、表面上許す形をとるときはあるね」
「そういうのは大人の駆け引きです。クリスタ嬢は自分の思うようにしていいのですよ」
両親に言われてクリスタ嬢はじっと紅茶の赤い水面を見詰めていたが、顔を上げて宣言した。
「わたくし、ゆるさない。ブリギッテさまのしたことを、ゆるさない」
「それでいいのですよ、クリスタ嬢」
「国王陛下もお茶会を台無しにしたとお怒りだった。バーデン公爵家には追って沙汰が言い渡されるだろう」
クリスタ嬢は子爵家の娘だが、あの場には公爵家の娘のわたくしもいたし、王家のハインリヒ殿下もいた。クリスタ嬢への無礼を堂々と行うことは、わたくしやハインリヒ殿下への侮辱にも繋がっていた。
「おねえさま、つぎのおちゃかいはいつかしら?」
「分かりませんね。子どもが出てもいいお茶会は限られていますからね」
「わたくし、オールドローズいろのバラのかみかざりもすきだけど、ボタンのかみかざりも、きらいではないのよ」
「それでは、次も牡丹の髪飾りを着けていきますか?」
「ハインリヒでんかがくるのであれば」
クリスタ嬢の心境は少し変わっているようだ。ハインリヒ殿下への好感度が上がっている。
これはいい兆候ではないのだろうか。
「おねえさまも、おそろいにしましょうね」
「いいですよ、お揃いにしましょう」
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