43.ローザ嬢の退場
クリスタちゃんとレーニちゃんのペオーニエ寮のチームは大縄跳びの特訓をするために授業が終わるとお茶会の前に集まって練習するようになった。
運動会に向けて猛特訓をしている大縄跳びのチームを、わたくしとミリヤムちゃんは応援に校庭まで出ていた。
「クリスタ、レーニ嬢、頑張ってください」
「ペオーニエ寮のチームが特訓をしているのならば、ローゼン寮のチームも特訓をしないのでしょうか」
ミリヤムちゃんは自分の出場するローゼン寮のチームが練習にそれほど熱心ではないことを気にしている。
話しながらクリスタちゃんとレーニちゃんを見守っていると、大縄跳びの回し手が変わるようである。
「やはり、回し手の技量によって大縄跳びは全く変わってくると思うのです。大繩は重くて扱いにくい。腕力のある男子生徒が回してくれた方が安心します」
「わたくしもそう思います」
意見しているクリスタちゃんに周囲も同意して、回し手が何度か変わって、男子生徒二人に落ち着いた。
「心が一つになるように、最初の掛け声を回し手に任せずに、全員で言いましょう。回し手の方が声をかけてください」
「分かりました」
レーニちゃんの発言に、大縄跳びのチームの心は一つになっていた。
手に汗を握って練習を見詰めているわたくしとミリヤムちゃんの隣りにローザ嬢がやってくる。ローザ嬢はちらちらとわたくしを見ているようだ。
「本来はエリザベート様が皇太子殿下の婚約者となるような高貴な生まれなのに、子爵家の出身のお姉様がでしゃばるから、エリザベート様は辺境になど行かされるのでしょう? 辺境は野蛮な土地だと聞いています」
何だかわたくしの名前を口にしているが、何故ローザ嬢がわたくしに話しかけて来るのだろう。
学園では生徒はみな平等というのは建前でしかない。本当は寮も身分によってペオーニエ寮が王族と公爵家と侯爵家の子息令嬢、リーリエ寮が侯爵と伯爵家の子息令嬢、ローゼン寮が伯爵家と僅かな子爵家と男爵家の子息令嬢が入寮している。
寮ですらはっきりと分けられているのだから、生徒はみな平等なんていうのを信じているものはいないだろう。
「何かわたくしに用ですか? 用があるのならば、まず名乗りなさい」
「わたくしのことはご存じでしょう? お姉様を嫌々ながらも妹としなければならないのならば」
「知りません。それにわたくしには可愛い妹たちしかいません。嫌々ながら接している妹なんておりません」
「それなら、お姉様のことは妹とも認識していないのですね。わたくしはローザ・ホルツマン。名前を聞けば思い出すでしょう?」
「何も覚えていません。あなたが言う『お姉様』というのも誰か分かりません。わたくしにはクリスタとマリアという可愛い妹たちがいます。二人をわたくしは心から愛しています」
宣言するとローザ嬢が眉間に皺を寄せる。
「意味が分かりませんわ。エリザベート様にとってお姉様は邪魔なはずですよ」
「『お姉様』と繰り返していますが、クリスタのことでしょうか? クリスタはあなたの姉ではありません。わたくしの妹でディッペル家の娘です」
「お姉様はお姉様ですわ! わたくしの姉であることは間違いないのですよ」
「あなたのお母様は誰ですか? 元ノメンゼン子爵の認められた正式な妻ではないでしょう? あなたにクリスタを『お姉様』と呼ぶ資格があるとお思いですか?」
ローザ嬢は元ノメンゼン子爵の妾の子どもであって、正式に認められた子どもではない。そんな相手がクリスタちゃんが元ノメンゼン子爵の娘であっても、正式に認められていないのにクリスタちゃんを姉と呼ぶなんて冗談ではなかった。
「認められた正式な妻から生まれていないのであれば、ノル……」
「あら、手が滑りましたわ」
「ぎゃん!?」
今、ローザ嬢はノルベルト殿下の名前を出そうとしなかっただろうか。
それを止めたのはローザ嬢と同じ黒髪の少女だった。
言葉を遮るために、ローザ嬢を殴った。
ボゴッという結構痛そうな打撃音と共に後頭部を殴られて、ローザ嬢は「ぎゃん!?」と悲鳴をあげた。
貴族社会で殴る殴られるなどということを見たことがないし、前世も暴力とは無縁だったので、わたくしは戸惑ってしまう。
ローザ嬢を殴り付けた少女は、年齢はローザ嬢と同じくらいだろう。
ノルベルト殿下が国王陛下と王妃殿下の息子ではないことは公になっているが、その上で王妃殿下はノルベルト殿下を引き取ってハインリヒ殿下の兄として育て、ハインリヒ殿下と分け隔てなく愛情を注いで来られた。
実子と庶子なので多少は扱いが違うところがあったかもしれないが、ハインリヒ殿下がノルベルト殿下に心許しているところ、ノルベルト殿下がハインリヒ殿下に敬語を使わず親しく話しているところを一度でも見たことがあれば、こんなことは到底口には出せない。
国王陛下に関する醜聞にもなるようなことを、周知の事実だと分かっていても、軽々しく口に出さないように教育されるのが貴族というものなのだ。
まさかここまで貴族教育ができていないとなると、ローザ嬢はここにいるべきではないと思わざるを得なかった。
「何するのよ!」
「ローザ、あなた、あんなに近付くなと言い聞かせたのに、エリザベート様に話しかけたのですか!?」
「あなたには関係ないことでしょう、リーゼロッテ」
「リーゼロッテ嬢と言いなさい。わたくしはホルツマン本家の後継者で、あなたは出戻りの叔父様の養子ではないですか」
「わたくしとあなたは同じホルツマン家の人間でしょう? あなたの方が偉いだなんてことはないわ! 学園では生徒は平等よ!」
「それは建前上です。本音と建前の違いも分からないようでしたら、あなたは学園に入学するべきではありませんでした」
「どうしてお前がそれを決めるのよ!?」
「『お前』などという汚い言葉を使うような教育しかあなたが受けていないからですよ!」
割って入ってきた少女はホルツマン家のラルフ殿が後継者から降ろされた後に後継者となった妹のようだった。
わたくしとミリヤム嬢の視線が自分に向いていることに気付いて、深々とお辞儀をする。
「失礼を致しました。わたくし、ホルツマン家のリーゼロッテと申します。兄のラルフが大変ご迷惑をおかけしました。兄の思い込みの激しさに関しては、ずっと我が家でも後継者に相応しくないと両親も薄々勘付いていたところでした。エリザベート様はホルツマン家の人間の顔を見るのもお嫌と思いますので、できる限り関わらないように致しますので、お許しください」
「ローザ嬢はホルツマン家の人間ではないのですか?」
「ローザはホルツマン家での教育が足りなかったようです。二度とエリザベート様とクリスタ様とレーニ様の前に出て来ることがないようにいたします」
「だから、どうして、お前が勝手に決めるのよ! わたくしはお姉様に自分が何者であるか教えるために学園に入学したのよ!」
「黙りなさい、ローザ! お見苦しいところを見せました。ローザは家に連れ帰り、学園から退学させるように両親に伝えます」
「どうしてよ! わたくしはホルツマン家の養子なのよ!」
もう失礼を通り越してローザ嬢の頭がおかしいのではないかと思ってしまう。
ローザ嬢は学園に入学する権利を得たくらいなのに、貴族としての教育を全くされていないようにしか見えない。こんな無礼で無知な生き物をわたくしは見たことがなかった。
目の前のローザ嬢がとてもわたくしと常識を共にしている人類とは思えず、宇宙人のようにしか思えないわたくしは、通じないと分かっていてもどうしても黙っていられなくなってしまった。
「クリスタを『お姉様』と呼ぶこともですが、辺境を野蛮と言ったこともわたくしは許していません。辺境は素晴らしい土地でオルヒデー帝国になくてはならない場所です。あなたはそれを学んでこなかったのですか?」
「辺境の考えに染まってしまったのですね。そう思い込んで辺境にやられる自分の身を納得させているのでしょう。お気の毒です」
「ローザ! 何を言っているか自覚しているのですか!? エリザベート様、お許しください!」
「うぎゃ!? 痛いじゃない!」
「手が滑りましたわ」
もう一発、リーゼロッテ嬢からローザ嬢の後頭部に激しい拳が入る。
これはもうローザ嬢に一言も発させてはいけない。
「どうしようもないようですね。教育のできない獣に人間のふりをさせるのも同情致しますわ。ローザ嬢はどこか心静かに暮らせる場所を探してあげてください」
同情的にわたくしは言っている風を装っているが、実のところその意味は「貴族社会から離れさせて、修道院にでも入れてしまいなさい」ということだった。
わたくしが言っていることがリーゼロッテ嬢に分からないわけがない。
「心得ました。わたくしの名において、両親にしかるべき対処をするように働きかけます」
「なんで、お前が返事をするのよ! わたくしの話を聞きなさい!」
「二度とローザがエリザベート様のお手を煩わせることはありません。わたくしもできる限りエリザベート様とクリスタ様とレーニ様に関わらないようにします。本当に失礼いたしました」
まだ喚いているローザ嬢を無理矢理引っ張ってリーゼロッテ嬢がわたくしの視界から連れ去ってしまう。
遠巻きに見ていた練習を終えたペオーニエ寮のチームから、クリスタちゃんとレーニちゃんがわたくしとミリヤムちゃんに合流する。
「お姉様、あの方、大丈夫でしたの?」
「わたくし、あまりにも常識がなさすぎて、あの方が同じ人類とは思えなかったのです」
「途中から聞こえていましたが、何を言っているのか全く意味が分かりませんでした」
「貴族社会のことを今から学ぶのは無理そうなので、修道院に入ってもらうのが一番ではないでしょうか」
クリスタちゃんと話していると、レーニちゃんもわたくしが遠回しに言ったことに気付いて修道院という単語を口にする。
「言葉の通じない異国の方と話している気分でしたわ」
通じなかったのは言葉ではなく常識だったが。
この場をおさめてくれたリーゼロッテ嬢には後から労いの言葉でもかけてあげたい気分だった。
ラルフ殿の妹かもしれないが、リーゼロッテ嬢はきちんとした教育を受けているように見えた。リーゼロッテ嬢とならば、友達とまで親しくなれなくても、先輩、後輩の仲にはなれるかもしれないとわたくしは思っていた。
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