30.ノエル殿下の詩
エクムント様の姿を見付けて、わたくしは足早に駆け寄っていた。
カサンドラ様とエクムント様とキルヒマン侯爵夫妻が何か話している。真剣な表情にわたくしは声をかける寸前でそれを飲み込んだ。
「辺境伯領の独立派はまだまだ尻尾を出していないだけで水面下に隠れています」
「去年のエクムントの誕生日には襲撃事件も起きました」
「エクムント、くれぐれも危険に備えるのですよ」
「辺境伯という地位の重みを忘れずに、しっかりと自分の命を大事にするのです」
キルヒマン侯爵夫妻がエクムント様に声をかけている。カサンドラ様も去年の襲撃事件を思い出して厳しい顔付きになっている。
声をかけられずにいるわたくしが突っ立っていると、エクムント様に親し気に美しい大人の女性が話しかける。
「エクムント様ではないですか。辺境伯になられたとのこと。おめでとうございます」
「ありがとうございます。お久しぶりですね、お元気にされていましたか」
「はい、一時期体調を崩して療養しておりましたが、今はとても元気です」
親し気に話している二人の様子にわたくしは立ち尽くしてしまう。
豊かな黒髪に黒い目に白い肌のこの国の平均的な色彩で、身長は女性の平均よりも少し高め、胸が大きくて腰を細く絞った姿は美しく、十一歳のわたくしでは太刀打ちできないと声をかけられなくなってしまう。
「エクムント様は婚約もされているのですよね。婚約者が羨ましいですわ」
「ディッペル公爵家の御令嬢で、私にはもったいないような方です」
「エクムント様と結婚したら大事にされるのでしょうね」
「もちろん、辺境伯領まで嫁いできてくださるのです。誰よりも大事にします」
あれ?
エクムント様とその女性はどんな関係かと勘ぐっていたが、わたくしの話になっている。エクムント様がわたくしに対してそんな感情を持っていてくださったなんて知らなかった。
突っ立っているとカサンドラ様がわたくしに気付いてくださった。
「エクムント、可愛い婚約者殿が来られているよ」
「エリザベート嬢、どうなさいましたか?」
カサンドラ様に声をかけられてエクムント様がキルヒマン侯爵夫妻とカサンドラ様と女性の前を離れてこちらに向かって来る。
「あの……美しい方ですね」
何を言っていいか分からなくて口走ってしまった一言にわたくしは後悔した。
わたくしが口を出していい関係ではないのかもしれない。
エクムント様はわたくしよりも十一歳も年上で、わたくしの倍の年月を生きているのだから、女性関係があってもおかしくはない。それを厭うよりも、今エクムント様がわたくしを大事にしてくださると言ってくださっていることに感謝しなければいけない。
分かっているのに、口が止まらない。
「どなたなのですか?」
震える声で俯いて問いかけると、エクムント様はあっさりと答えた。
「次兄の奥方です」
「へ?」
「出産の後で体調を崩して、しばらく田舎の方に療養に行っていたのですが、最近帰って来たようです」
「お兄様の奥方様?」
「そうです。三児の母ですよ。会わないうちに生まれた姪も大きくなっていることでしょう。姪はフランツ殿と同じ年なのです」
なんということでしょう。
エクムント様の過去の女性を疑ったわたくしが恥ずかしくてならない。エクムント様は辺境伯になることが早い段階で決まっていて、好きになる相手は結婚する相手だと言っていた。それを疑ってしまうだなんて。
それにしても、誤解でよかったとわたくしは胸を撫で下ろしたのだった。
「エクムント、エリザベート嬢をお茶に誘わなくていいのかな?」
「わたくしに気を遣うことなく行ってらっしゃいませ」
カサンドラ様が言えば、エクムント様のお兄様の奥方様も仰る。
「エリザベート嬢はハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下とクリスタ嬢とお茶をするのではないですか?」
「エクムント様もお誘いに来たのです。ハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下もご一緒で構わないと仰ってくださいました」
わたくしが言えばエクムント様はわたくしとお茶をするためにハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下とクリスタちゃんと合流してくださる。ハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下とクリスタちゃんはそれぞれ軽食とケーキをお皿に取り分けていた。
「クリスタ嬢にはお誕生日プレゼントがあったのです。受け取ってください」
「なんでしょうか?」
空いているテーブルにお皿を置いたクリスタちゃんにハインリヒ殿下が小さな箱を取り出して手渡す。クリスタちゃんはその箱をじっと見つめている。
「もしかして……開けてよろしいですか?」
「開けてください」
ハインリヒ殿下に許可を取って開けたクリスタちゃんの手の上には、ネックレスとお揃いの薔薇のイヤリングが乗っていた。クリスタちゃんの水色の目がきらきらと輝く。
「ありがとうございます。とても嬉しいです。大事に使います」
「身に着けてくださいますか?」
「はい、失礼して」
クリスタちゃんがイヤリングを付けると、ハインリヒ殿下がその様子をうっとりと見つめていた。
薔薇のイヤリングはクリスタちゃんの耳で可憐に揺れている。
「わたくしからもプレゼントがあるのです」
「ありがとうございます、ノエル殿下」
「わたくしが書いた詩です」
「ノエル殿下が書かれた詩ですって! わたくし、とても嬉しいですわ」
感激したクリスタちゃんはノエル殿下から封筒を受け取って、中から便箋を取り出す。
クリスタちゃんは噛み締めるように詩を読んでいく。
「『わたくし、生まれ変わったら大輪の百合になりたいのです。凛々しくも強く世界を見詰める白百合の花になりたい。百合は多いときには一株で百本も花が咲くと言います。百の顔を持って、わたくしは世界を見詰めたいのです』まぁ、なんて素敵な詩!」
素敵、なのだろうか。
わたくしにはよく意味が分からない。
言葉を失くしていると、エクムント様も微妙な顔をしていた。ノルベルト殿下はうっとりとした顔をしているが、ハインリヒ殿下はよく分からない珍妙な顔をしている。
「百合のようにたくさんの顔を持って様々な角度で世界を見詰めたいだなんて、なんて素晴らしいの!」
そういう意味なのだろうか。
わたくしは顔が百個あったら怖いと思ってしまうのだが、クリスタちゃんには感動するところだったらしい。
「ノエル殿下の詩は素晴らしいでしょう。僕も誕生日に詩をいただいたのです。大事にしまってあります」
「ノエル殿下からノルベルト殿下への詩なんて、ラブレターではないですか! お聞きしたいけれど、そんなことはできません! あぁ、悩ましい」
「ノルベルト殿下への詩は開示できませんが、クリスタ嬢にはまた詩を書いて差し上げますよ」
「お願いします。ノエル殿下、わたくしの弟のフランツも詩を嗜みます」
「フランツ殿はまだ三歳なのではないですか?」
「素晴らしい才能に溢れているのです」
クリスタちゃんは深く息を吸い込み、ふーちゃんの詩を読み上げる。
「『レーニおねえたまとであって、わたちのハートに、はながさきまちた。レーニおねえたまをおもうおはなでつ。いちゅか、うけとってくだたい、ふーのはな』とても可愛らしい詩だと思いませんか?」
「レーニ嬢への気持ちがこもった詩ですね。フランツ殿はレーニ嬢がお好きなのですね」
「そのようなのです。わたくしは姉としてフランツを応援したいと思っています」
わたくしが止める間もなくふーちゃんの詩がノエル殿下にまで知られてしまった。
「本当に三歳のフランツ様が考えた詩なのですか?」
「そうなのです、エクムント様。フランツがわたくしに代筆して欲しいと言って、書いた詩です」
「ある意味才能がある……」
エクムント様はふーちゃんの才能を認めてはいるが、詩の意味に関しては何も言わなかった。
「わたくしが詩を聞かせているから覚えたのでしょうね」
「クリスタ嬢はなんて素敵な教育を行っているのでしょう」
「フランツ殿も幸せですね」
和やかにクリスタちゃんとノエル殿下とノルベルト殿下は話しているが、わたくしは首を傾げっぱなしだった。
ハインリヒ殿下も、エクムント様も微妙な顔をしていらっしゃる。
「エクムント殿、意味が分かりますか?」
「いいえ、私は不器用な軍人なので」
「私も芸術を解する心がないようで……」
小声で言い合っているハインリヒ殿下とエクムント様にわたくしもそうだと伝えたかった。けれどそう言ってしまうと、可愛い弟のふーちゃんと、可愛い妹のクリスタちゃんを否定するようで言いにくい。
「フランツの詩がもっと上達するように、ノエル殿下の詩を読んで聞かせても構いませんか?」
「フランツ殿の教育の一環になれるだなんて光栄です。喜んで」
「それではわたくし、フランツに詩を読み聞かせますわ」
意気投合するクリスタちゃんとノエル殿下を微笑ましく見ているノルベルト殿下。
わたくしとハインリヒ殿下とエクムント様は別の意味で意気投合できそうな気配だった。
六章はこれでお終いです。
エリザベートとクリスタの成長はいかがでしたでしょうか。
感想など頂けると嬉しいです。
引き続き七章をお楽しみください。