14.家庭教師の先生
翌日の朝にすっきりと起きると、身支度を終えて食堂に行く。食卓に着くと、父と母がいてくれることに安心しつつ、私は母にクリスタ嬢が描いた絵を渡した。
「クリスタじょうはおたんじょうびに、わたしのそらいろのバラのぞうかのかみかざりと、クリスタじょうのピンクいろのバラのぞうかのかみかざりがほしいようなのです」
「クリスタ嬢はエリザベートとお揃いにしたいのですね」
「はい、わたち、おねえたまとおとろいがいーの」
「分かりました。お誕生日を楽しみにしていてくださいね」
紙に描かれたぐるぐるとした丸を見ながら、母が答える。ぐるぐるとした丸でしかないものは、母にはしっかりと薔薇だと伝わったようだ。
「エリザベートとクリスタ嬢の家庭教師が決まりました。今日の午後から住み込みで働いてくれるそうです」
「どんなかたなのですか?」
「こわくなぁい?」
新しく来る家庭教師の先生に興味津々の私とクリスタ嬢に、母が深く頷く。
「教養のある先生ですよ。街の学校で一番の成績を取っていたようです。身分は平民ですが、教師として敬って接してくださいね」
「はい、おかあさま」
「はい、おばーえ」
母に言われて私とクリスタ嬢が返事をすると、母はクリスタ嬢の顔をじっと見つめる。
「伯母上などという呼び方ができるようになったのですね」
「おねえたま、おちえてくれたの。おばーえ!」
「とても上手ですよ。クリスタ嬢、よく覚えましたね。エリザベートはクリスタ嬢に教えてあげて偉かったですね」
私もクリスタ嬢も褒められて、嬉しくなる。私が教えた伯母上という呼び方が間違っていなかったのだと確認できて私はほっとした。
午前中は私はクリスタ嬢と庭に出てエクムント様を観察していたが、昼食で呼ばれる前にお屋敷の前に馬車が止まった。
馬車の到着にエクムント様が相手の素性をしっかりと確認している。
「本日より公爵家御令嬢のエリザベート様と子爵家御令嬢のクリスタ様の家庭教師として雇われた、カタリーナ・リップマンです」
「奥様から聞いておりますが、一応、本人か確認をさせてください」
「こちらに公爵夫人よりいただいた契約書があります」
公爵家ともなると不審な人物が入って来ては困る。
領地を治める父もその伴侶である母も、その娘である私も、どれだけいい政治をしていようとも恨むものがいて危害を加えられないとも限らない。特に私などは小さいので身代金目当てで誘拐されないとも限らないのだ。
しっかりと公爵家のお屋敷の敷地内に入るには、身分を証明するものが必要だった。
カタリーナと名乗った女性が差し出した契約書に書かれている内容とサインを確認して、エクムント様はその方を公爵家の敷地に入れた。大きなトランクを持って庭を歩いて行こうとする女性に、エクムント様はそのトランクを持ってあげて運んでいた。
「きょうもエクムントさまがかっこういい……」
「おねえたま、タンポポ、もうつぐさきそう!」
「わたしのむねにもこいのはながさきみだれているのです」
うっとりとエクムント様を見ている私に、クリスタ嬢はよく分からない顔をしながら、近くの草や野の花を見ていた。
昼食の後で私とクリスタ嬢は勉強のための部屋に呼ばれた。
その部屋は壁が一面本棚になっていて、たくさんの本が納められている。
「エリザベート、クリスタ嬢、家庭教師の先生を紹介します。ご挨拶をしてください」
「はじめまして、エリザベート・ディッペルです」
「はじまめちて、クリスタでつ!」
私がスカートを摘まんでお辞儀をするのを真似して、クリスタ嬢もお辞儀をしている。若干噛んでいるが、それもご愛敬というものだ。
「ご挨拶をありがとうございます。わたくしはカタリーナ・リップマンです。本日よりエリザベート様とクリスタ様に勉強を教えていきます」
「おかあさま、せんせいのことはどうよべばいいですか?」
「リップマン先生と呼んでください」
「わかりました。リップマンせんせい、これからよろしくおねがいします」
「リップマンてんてー!」
新しい家庭教師の先生はリップマン先生という呼び名に決まった。
これからリップマン先生に私とクリスタ嬢は勉強を習うのだ。
「エリザベートは文字の読み書きができます。難しい単語はまだ覚えていませんが、これから教えて行ってください」
「はい、公爵夫人」
「クリスタ嬢はわけあって、もうすぐ五歳になりますが、発達が遅れているところがあります。文字の読み書きは全く練習していない状態です。文字の読み書きから教えて行ってください」
「分かりました」
「クリスタ嬢はエリザベートによく懐いていますから、飽きることのないようにエリザベートとの時間を持たせながら教育してくださいね」
「承知いたしました」
母からリップマン先生に様々な注意が与えられる。それをリップマン先生は静かに受け止めていた。
「小さな子どもたちですから、予想外のことも起きるかもしれません。ですが、我が家では子どもたちに対して暴力を振るうことはしていません。暴力ではなく、話し合いで解決させてくださいね」
「わたくしも子どもに暴力を振るうのは反対です。絶対に大事なお嬢様方に暴力は振るいません」
リップマン先生に母が確認したのは、クリスタ嬢のことがあったからだろう。クリスタ嬢はノメンゼン子爵家で理由のない暴力を受けて来た。四歳の子どものすることなど罪のないことがほとんどなのに、部屋から出ることも許さず、泣いても、お漏らしをしても、扇で袖で見えない腕を叩かれていた。
公爵家に来てから暴力は振るわれていないので、クリスタ嬢の腕の痣は消えつつあるが、それでも心に負った傷は癒えていないだろう。
「それでは、今日は最初の授業として、エリザベート様にどれくらいの学力があるのか教えていただきたいと思います。エリザベート様、こちらに用意した教本を朗読してくれますか?」
「はい、よみます」
「わたちは? わたちは?」
「クリスタ様は、エリザベート様の朗読を聞いていてください」
「おねえたま、わたちのために、ごほん、よんでくれうの?」
「そうですよ。エリザベート様は、クリスタ様に読み聞かせるつもりで、感情を込めて読んでみてください」
学力を試されるだけではなくて、私はクリスタ嬢に本を読んであげることができる。クリスタ嬢もそれならば私が学力を試されている間に、退屈することもないだろう。
リップマン先生は母に言われた通りに私とクリスタ嬢を結び付けて勉強を教えてくれるようだった。
教本を朗読していると、幾つか難しくて読めない単語が出て来る。そこで詰まってしまうと、リップマン先生はその単語を書き留めていた。
「読めない単語は飛ばしていいですから、そのページの最後まで読んでみてください」
「わかりました」
読めない単語は飛ばしながら読んだのだが、クリスタ嬢はそれでもとても面白かったようだ。読み終わると頬っぺたを真っ赤にして、小さな手で拍手を送ってくれた。
「おもちろかった。おねえたま、もういっかいよんで!」
「クリスタ様、少し待ってくださいね。エリザベート様、読めなかった単語を書き出してあります。こちらの意味を横に書いてありますので、確認してください」
「はい」
リップマン先生から読めなかった単語を書き出したノートを渡されて、私は単語の読み方と意味を確認する。その間、リップマン先生はクリスタ嬢に教本を渡していた。
「これは文字を覚えるための教本です。一つずつ文字が書かれています。絵を頼りに文字を読んでみてください」
「わたち、これ、よんだことある! 『あり』の『あ』、『いす』の『い』!」
「とても上手ですよ。今日はあ行を読みましょうね」
「『うし』の『う』!」
学ぶことが楽しいのだろう。クリスタ嬢は目を輝かせて文字を指でなぞっていた。
ノートで読めなかった単語を確認すると、私はもう一度教本の同じページを朗読した。朗読している間、クリスタ嬢は私の朗読をじっと静かに聞いている。
今回は新しい単語を覚えたので飛ばすことなく読めた。
「エリザベート様もクリスタ様もとても優秀ですね。今日の勉強はここまでにしましょう。明日はその教本の続きを読みますので、エリザベート様もクリスタ様も、教本は部屋に持って帰って目を通しておいてくださいね」
最初の授業だったので母も見守っていてくれたが、私もクリスタ嬢もしっかりと勉強できたようだった。授業の最後にリップマン先生に挨拶をする。
「きょうはありがとうございました」
「ありがとごじゃいまちた」
頭を下げるとリップマン先生は「どういたしまして」と答えてくれた。
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