8.ディッペル公爵領のこと
ディッペル公爵領では畜産や酪農が盛んに行われている。
ディッペル公爵領の牛乳や乳製品、牛肉といえば、王都でも高級品として取引がされている。
その他にも牧場で馬が育てられていたり、とにかくディッペル公爵領は緑豊かな土地なのだ。
リップマン先生の授業は今日はディッペル公爵領の話だった。
ディッペル公爵領から将来は嫁いでいく身ではあるが、自分の出身地の特産品を知らないというのはよくない。わたくしはリップマン先生の授業を真剣に聞いていた。
「ディッペル公爵領は水が豊かで、草がよく生えます。その草を食べさせて畜産や酪農を行っているのです」
「はい! リップマン先生、畜産と酪農はどう違うのですか?」
手を上げてクリスタちゃんが質問している。クリスタちゃんは二つの違いがよく分からないようだが、わたくしも畜産と酪農の違いは曖昧だった。
「畜産は牛だけでなく豚や鶏、羊などの動物を育てて、食肉として加工する他、卵や乳を取ったり、副産物の毛皮を取ったりする農業です。酪農は畜産の一部門で、主に乳用牛を飼って、牛乳、ヨーグルト、バターやチーズなどの乳製品を生産する畜産の農家です」
酪農は畜産の一部門だった。
わたくしは知らなかったことを知れてリップマン先生に感謝しつつ、話の続きを聞く。
「ディッペル公爵領では牛肉が有名ですが、豚や鶏や羊も育てています。豚はソーセージやハムなどに加工されて他の領地に売りに出されることが多く、鶏は卵を取るために育てられていることが多いです。羊は肉を食べるというよりも、羊毛を取るために育てていますね」
「牛肉だけではなかったのですね」
「ソーセージやハムなどに加工すると日持ちがするので、他の領地との商売もしやすいのですよ。鶏は領地で食べる分だけしか育てていないので、あまり有名ではありませんね。牛肉は王都からの注文も多く、国王陛下の食卓に上がることもあります」
やはり牛肉は有名なようだが、それだけではなかった。
ディッペル公爵領は国の食卓を支えているともいえる領地だった。
「ディッペル公爵領で作られる野菜は、領地内で消費されるものと、畜産で消費される飼料にするものが多いですね」
「果物は育てていないのですか?」
果物大好きなクリスタちゃんが質問すると、リップマン先生は机の上に広げた地図のディッペル公爵領の隣りの土地を示す。
「果物の生産が盛んなのはキルヒマン侯爵領です。キルヒマン侯爵領は辺境伯領にも果物を出荷しています」
「ディッペル公爵領は豚肉の加工品や牛肉を出荷しているのですか?」
「そうですね。辺境伯領にもですが、国中に出荷しています」
この世界で新鮮な牛乳が飲めるのも、チーズやヨーグルトやバターがふんだんに使えるのも、わたくしがディッペル公爵家の娘であるからに違いなかった。ディッペル公爵領の豊かさを習ってしまうと、わたくしはこの領地に生まれた幸運を感じずにはいられなかった。
授業が終わると昼食になる。
椅子に座って自分で握り締めたスプーンで食べようとして、どうしても上手くいかずに結局素手で握り締めて食べているふーちゃんを横目に、わたくしとクリスタちゃんも食事をする。
わたくしが関心があるのは辺境伯領のことだった。
「辺境伯領の市でお買い物をしてもいいとお父様とお母様は言われましたよね」
「その日のためにエリザベートもクリスタもお小遣いを貯めているんだったね」
「欲しいものがあったら自分のお小遣いで買っていいのですよ」
以前に市に行ったときには、わたくしとクリスタちゃんのお人形も買ってもらえたし、刺繍糸や布も買ってもらえた。辺境伯領の市は色んなものが出ていてとても面白かった。
あの市で自分の好きなものを買えるとなると、胸がわくわくとして来る。
「お姉様、何が欲しいか決めたのですか?」
「わたくし、ペットが欲しいのです」
正直にクリスタちゃんに言えば、クリスタちゃんは水色のお目目を輝かせる。
「ペット! 素敵! 猫かしら、犬かしら」
「猫でも犬でもいいのですが、長生きする動物がいいですね。すぐに死んでしまうと悲しくなってしまうので」
猫は家で飼えば二十年近く生きることもあるという。犬も長ければ十五年以上生きるという。
どの種類の寿命が長いのか、わたくしは調べなければいけないと思っていた。
「ねぇね、にゃーにゃ? わんわん?」
「どっちにしようかわたくしも決められていないのですよ」
猫にするのか犬にするのか、ふーちゃんも興味津々のようだ。
ふーちゃんやまーちゃんのような小さな子どもがいるので、できれば優しい生き物がいい気がする。頭がよくて、ふーちゃんやまーちゃんを傷付けたりしない生き物。
「わたくし、エラとヤンがいるから、ペットなんて思い付きませんでしたわ」
「そういえば、エラとヤンもうちのペットでしたね」
牧場で飼われているので忘れそうになっているが、エラとヤンも間違いなくディッペル家のペットに違いなかった。
「ポニーの寿命はどれくらいなのでしょう?」
わたくしがぽつりと呟くと、父が答えてくれる。
「大体三十年と言われているね。二十五年から長い個体では四十年生きるとも言われている。長寿なポニーでは四十代後半まで生きた個体もいるらしいよ」
「三十年! エラはディッペル家に来たときに三歳だったから、今は七歳ですよね。まだまだ長く生きるのですね」
ポニーが長く生きるということを聞いてわたくしはホッと安堵する。エラが早く死んでしまったら、ヤンがいるとしてもわたくしは悲しみで乗馬ができなくなってしまうだろう。
「提案があるんだが、いいかな?」
父に言われてわたくしもクリスタちゃんもふーちゃんも父に注目する。父はちらりと母の顔を見てから、わたくしとクリスタちゃんとふーちゃんに向き直った。
「牧場でエラと交配した雄のポニーがいただろう? ヤンの父親だ。そのポニーを買い取って、エラと夫婦にさせて牧場で飼育させようと思っているのだが、どうかな?」
「エラに旦那様ができるのね! 素晴らしいわ!」
「雄のポニーは何歳なのですか?」
「雄のポニーは十歳だと聞いている。エラと年も近いし、仲もいいようだからお似合いなんじゃないかな」
「わたくし、賛成です。エラに旦那様ができるなんて素敵だわ」
「エラが赤ちゃんを産み過ぎて体を壊さないようにしてくださいね」
クリスタちゃんは諸手を挙げて賛成しているが、わたくしは夫婦で飼ってしまうとエラが毎年妊娠するようなことになるのではないかと心配だった。
「それはきちんと調整させるよ。あの雄のポニーの名前はジルというそうだ。仲良くできるかな?」
「できますわ!」
「ジル……隣国の名前ですね」
「隣国で生まれたポニーを親に持つようなのだよ」
ジルにはまだ会ったことがなかったけれど、次の乗馬の練習のときには会えるかもしれない。
ヤンはエラに似ているのでジルがどんな種類のポニーかは分からないが、エラはジルの子どもを産むくらいジルを気に入っているようなので、父の夫婦で飼おうという提案には賛成だった。
「じー?」
「新しいお馬さんですよ、フランツ」
「ジルも飼っていれば、エラが妊娠したときにも乗馬の練習を中断せずに済むからね」
父の思惑はそれだったようだ。
同じ牧場で飼っていると、どうしてもエラがジルと接触することはあるだろう。それくらいならばジルとエラを夫婦にして、接触も調整して、子どもができる時期をエラの無理の無い様ににしつつ、子どもができたときにもジルに乗ることで乗馬の練習を途切れさせないことができる。
「んまー! んまー!」
「フランツはお馬さんが大好きですね。牧場に行ったら会わせてもらいましょうね」
「あい!」
クリスタちゃんが優しい声で話しかけるのに、ふーちゃんはもみじのお手手を上げてお返事をしていた。
ふーちゃんもだが、クリスタちゃんも可愛くて、わたくしは弟妹が可愛くて苦しいくらいだった。
「フランツはクリスタが大好きですね」
「違うわ、お姉様」
「違うのですか?」
「フランツがわたくしを大好きなのではなくて、わたくしがフランツを大好きだから、フランツもそれを感じ取ってくれているのです」
堂々と返事をするクリスタちゃんに、わたくしは感心してしまう。これだけ愛されていたらふーちゃんもクリスタちゃんのことが好きで好きで堪らないだろう。
「くーねぇね、えーねぇね」
「フランツ、わたくしとお姉様を呼び分けられるの!?」
「わたくしとクリスタを呼びましたよね」
ふーちゃんに呼ばれて感激しているわたくしとクリスタちゃんを、両親は温かい目で見守ってくれていた。
読んでいただきありがとうございました。
面白いと思われたら、ブックマーク、評価、いいね!、感想等よろしくお願いします。
作者の励みになります。