5.両親のロマンス
父が王都に出かけてから、わたくしとクリスタちゃんは母と過ごす時間が長くなった。母はお腹が大きくなっているが、ふーちゃんの部屋にはよく来ていた。ふーちゃんも母が来ると両手を広げて歩み寄ってくる。
「まっまー! まっまー!」
「フランツ、お母様はお腹が大きいから抱っこはできませんよ」
「まっまー!」
「代わりにわたくしが抱っこしてあげる!」
クリスタちゃんに抱っこされたふーちゃんは大人しくしているが、八歳児がふくふくとした一歳児を抱っこしているので、どことなくバランスが悪い。それでもふーちゃんは大好きなクリスタちゃんに抱っこされて満足そうな顔をしていた。
「お父様とお母様はどこで初めて出会ったのですか?」
普段は聞けない両親の話を母に聞いてみると、ソファに座って大きなお腹を撫でながら目を細めている。
「お父様と初めて出会ったのは、わたくしが学園に入学したときのことでした。学園は高位の貴族しか入れないはずでしたが、わたくしはフェアレディとして行儀作法やマナーができているということで特別に入学させていただいたのです」
母が学園に入学したのも、他の貴族との出会いがあるからに違いなかった。シュトレーゼマン子爵家としては、母が高位の貴族とお知り合いになって結婚話が持ち上がればいいと思っていたのだろう。
子爵家の娘でありながら、公爵家や侯爵家、伯爵家の子息令嬢の集う学園に入学した母は苦労しなかったはずはない。身分のせいで軽く見られたことも少なくはないだろう。
「お父様はわたくしより学年が一つ上で、皇太子時代の国王陛下と同じ年で学友でした。他の貴族から冷たくされているわたくしを見て、サロンでのお茶会に誘ってくださったのです」
子爵家の娘が皇太子殿下も参加するサロンでのお茶会に行くのは勇気が必要だったが、参加してみると、母は習ってきた礼儀作法で国王陛下と父に感心されて、それ以後、国一番のフェアレディと呼ばれるようになったのだという。
歩き方、喋り方、カップの持ち方からフォークの上げ下げまで、母は完璧だった。
「冬の皇太子殿下の生誕を祝うダンスパーティーで、お父様はわたくしを誘ってくださいました。わたくしは子爵家の娘だったので、お父様と結ばれることは叶わないと分かっていましたが、それでも誘われたことを光栄に思い、お誘いを受けたのです」
それから父が学園から卒業するまで母との交流は続いた。父は学園を卒業したら相応の身分の方と結婚をしなければいけなかったが、遠縁のキルヒマン侯爵に手を回して母を養子に迎えるようにお願いしたのだ。
「お父様とお母様は学園にいた頃から両想いだったのですか?」
「両想いだなんて思い上がったりしていませんでしたわ。お父様は公爵家の後継者でしたし、わたくしは子爵家の娘。ひと時の学生時代だけの触れ合いかと思っておりましたが、お父様が卒業してからキルヒマン侯爵夫妻から養子の件でお話があって、その後でお父様とわたくしは婚約しました」
キルヒマン侯爵家に養子に行った後で母は父と婚約した。
「学園を卒業したらわたくしはキルヒマン侯爵家の養子としてディッペル公爵家に嫁ぎました。お父様は最初、子爵家の娘として身分が低いことで苛められているわたくしを助けてくれるためにサロンに招いてくださっただけだったかもしれないのですが、わたくしはお父様に感謝していますのよ」
「お父様を好きだと思ったのはいつからですか?」
「結婚してからでしょうか。はっきりと好きだと思ったのは。それまでは手の届く方とは思っていなかったので」
母の言うことも分かるのだが、父はずっと母が好きだったのではないかとわたくしは考えていた。
両親のロマンスの話を聞いていると、前世で読んだ『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』を思い出す。あの話も一巻の最初でクリスタちゃんが学園に入学して、一つ年上の皇太子殿下であるハインリヒ殿下と出会うところから始まっていた。
最初は廃嫡になりたいので荒れているハインリヒ殿下のことを、嫌な奴だと思っていたクリスタちゃんだが、悪役のわたくしに礼儀のなってなさを公衆の面前で指摘されて苛められているところを、ハインリヒ殿下に助けられて、それから二人の仲が深まるストーリーだった覚えがある。
今の段階では、ハインリヒ殿下は皇太子であることを受け入れているし、ノルベルト殿下も皇太子になることは望んでいなくて、隣国のノエル殿下と婚約をして、将来は大公になることが決定している。
この時点で既にストーリーは変わっているのだが、両親の話を聞くと『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』と少し似ているところがあって、この世界は同じ作者が作り上げたものなのだと納得してしまう。
ロマンス小説が好きだったので両親の話も目を輝かせて聞いていたわたくしだが、クリスタちゃんとふーちゃんも目を輝かせて話を聞いていた。
「まっまー! まっまー!」
「素敵なお話だったわ。お母様とお父様はそんな風に出会ったのね」
「改めて話すと恥ずかしいですね」
「恥ずかしくなんかないわ。とても素敵なお話だったのよ、お母様」
「今ではお父様がいない人生なんて考えられませんからね。尊敬していますし、愛しています」
目を伏せて静かに告げる母に、わたくしは感動してしまう。
両親が愛し合って子どもが生まれるなんてことは、貴族の社会では稀なことだ。
父の両親は政略結婚で、父が成人したらすぐに公爵位を譲ってわたくしの祖父母にあたる方々は別々に暮らしているという。キルヒマン侯爵夫妻なんかはとても仲睦まじいが、そうでない貴族の方が圧倒的に多いのだろう。
「わたくしのお母様は……お母様ではないのよ、お母様だけど」
「分かっていますよ、クリスタ」
「お母様は、どうして元ノメンゼン子爵と結婚したのかしら」
ややこしくなってしまっているが、クリスタちゃんが話しているのはマリア叔母様のことであって、母のことではない。クリスタちゃんにとってはマリア叔母様も母も同じ「お母様」だった。
「マリアはとても美しかったので、元ノメンゼン子爵にどうしてもと望まれて結婚したのです。マリアは学園にも入学できませんでしたし」
やはり子爵家の娘が学園に入学するのは稀な例のようだった。
『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』でクリスタちゃんが学園に入学できたのは、バーデン家の根回しがあってのことだったのではないだろうか。バーデン家のことを知ってからは、あの物語の中では、クリスタちゃんは皇太子のハインリヒ殿下の興味を引くために学園に入学させられたとしか、わたくしは思えなかった。
バーデン家の企みが露わになって、クリスタちゃんはディッペル家の養子になって、バーデン家は取り潰しになって遠縁が伯爵家として引き継いでいるが、そうなっていなかったらと思うとぞっとする。
『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』ではクリスタちゃんがハインリヒ殿下と結婚するところまでが書かれていたが、その後でバーデン家がでしゃばって来て、クリスタちゃんとハインリヒ殿下を傀儡にして国を乗っ取ってしまう未来しか見えない。
純粋に物語を楽しんでいた頃とはもうわたくしは見方が変わってしまっていた。
「お姉様、怖い顔をして、どうなさったの?」
「ねぇね?」
クリスタちゃんとクリスタちゃんに抱っこされているふーちゃんがじっとわたくしのことを見詰めている。わたくしは去った脅威のことはもう考えないようにしようと頭を切り替えた。
「お母様の話を聞いて考え込んでしまったみたいですわ。学園で苛めが起きていたなんて恐ろしいと思って」
「貴族社会ではよくあることですよ。身分が上のものが下のものを馬鹿にするような行為をするのは。そういう浅ましいことをしないために教育を受けているはずなのですがね」
「クリスタはわたくしが守ります。わたくしはクリスタよりも一年早く学園に入学しますからね」
クリスタちゃんは学年の中でも生まれが遅い方になってしまう。十二歳になっているのでそれほど差はないかもしれないが、それでもできないことがあったとしてもおかしくはない。
そのときにはわたくしがクリスタちゃんを守ろう。
わたくしはクリスタちゃんを苛める悪役になどならない。
わたくしは可愛いクリスタちゃんの姉なのだ。
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