28.ふーちゃんのお誕生日
ふーちゃんのお誕生日は春の始め。
わたくしとクリスタちゃんはふーちゃんのお誕生日のプレゼントに悩んでいた。
一歳になるふーちゃんは歩くためのもう一歩が出ていないような状態だった。
靴を履くとその重さで歩けなくなるので、ふーちゃんは靴下だけはいた状態で部屋をはいはいで動き回っている。最近は掴まり立ちのまま手と足を上手に動かして立って動くこともできるようになっている。
もう一歩で歩けそうなのだが、すぐにはいはいに切り替えてしまうふーちゃんに、わたくしとクリスタちゃんはふーちゃんが歩ける瞬間を見逃さないように毎日ふーちゃんの部屋に通っていた。
ふーちゃんのお誕生日プレゼントに関しては、刺繍の先生に相談してみることにした。
また靴下を作ってもいいかもしれない。
ふーちゃんは体が大きくなって靴下がぱつんぱつんになってきているのだ。
「先生、フランツにプレゼントを作りたいのです」
「何かいいものはありませんか?」
わたくしとクリスタちゃんで問いかけると、刺繍の先生は少し考えて次の授業までに準備をしてくれると言ってくれた。
楽しみに待っていると、次の授業で刺繍の先生は柔らかな生地のシャツを用意してくれていた。
「このシャツに刺繡を入れてみましょう。クリスタお嬢様は胸のポケット部分にタンポポを、エリザベートお嬢様は襟と袖に四葉のクローバーを刺繍しましょう」
「わたくし、またタンポポなの?」
「それでは、テントウムシにしますか?」
「テントウムシ! 四葉のクローバーとテントウムシは可愛いわ」
不満げに唇を尖らせたクリスタちゃんだったが、テントウムシを提案されてすぐに機嫌を直して刺繍を始めた。
小さな刺繍枠に布をピンと張って、下書きをして刺繍をしていく。
クリスタちゃんと同じシャツに刺繍を入れるので、頭を突き合わせるようになってしまったのだが、クリスタちゃんだったから少しも嫌ではなかった。
出会った頃は痩せて酸っぱいような匂いがしていたクリスタちゃんも、今は少女らしく頬も丸く、石鹸の清潔な香りがする。
小さなシャツなのでクリスタちゃんとかなり密着して縫うことになったが、クリスタちゃんの刺した後に引いた針がわたくしの手に当たってしまった。
「いたっ!」
「きゃあ! お姉様、ごめんなさい!」
泣き顔になっているクリスタちゃんにわたくしは少しだけ出ている血を拭って微笑む。
「大丈夫ですよ。わざとではないのは分かっていますから」
「もっと気を付けます」
「これくらいの傷は、いつものことです」
刺繍をするときにはどうしても指を刺してしまうことがある。クリスタちゃんはまだ七歳なのにかなり頑張っているが、わたくしも九歳なので手が小さくて上手く針が扱えないことがよくある。勢い余ってわたくしを刺してしまっても、クリスタちゃんに悪気がないことはよく分かっていた。
逆にわたくしがクリスタちゃんを傷付けないように気を付けなければいけない。わたくしもクリスタちゃんもそれからは慎重に一針一針縫って行った。
ふーちゃんのお誕生日までにはシャツは出来上がった。
刺繍の先生が針が残っていないことをチェックして、綺麗にアイロンをかけてくださる。
「わたくし、考えるの。アイロンって魔法みたいだって。アイロンをかけると、ハンカチも靴下もシャツも、縫い終わったときの何倍も綺麗に見えるのよ」
「アイロンはとても大事なのですよ。クリスタお嬢様のワンピースもエリザベートお嬢様のワンピースも、きっちりとアイロンがかけてあります」
「アイロンって大事なのですね」
感心して言うクリスタちゃんに微笑みかける刺繍の先生の言葉に、わたくしも納得していた。
ふーちゃんはまだ小さいのでお誕生日にパーティーは開かれない。
お屋敷で家族だけでお誕生日をお祝いするのだ。
お誕生日に、ヘルマンさんはふーちゃんにわたくしとクリスタちゃんが刺繍をしたシャツを着せてくれた。ポケットにはテントウムシの刺繍、衿と袖口には四葉のクローバーの刺繍が入っている。
ふーちゃんは刺繍を指で撫でて不思議そうな顔をしていた。
「ねぇね! ねぇね!」
「フランツ! お姉様、フランツがわたくしを『ねぇね』と呼んでくれていますわ」
「わたくしのことかもしれないわ」
「どちらでも間違いではないわ。フランツ、もう一回言って」
「ねぇね!」
ふーちゃんは一歳のお誕生日に「ねぇね」という単語を言えるようになっていた。わたくしとクリスタちゃんをしっかりと見て言っているので意味も分かっている気がする。
喜んでいると、ふーちゃんが立ったまま片足を上げた。
一歩、二歩、三歩。
三歩歩いたところで、ふーちゃんはもどかしくなったのか、はいはいに切り替えて父のところに突撃していく。
「歩きましたね」
「今、確かにフランツは歩いたね」
「フランツ、歩けるようになったのですね」
「フランツの靴を買ってあげないと」
「あなたったら、気が早いですわ」
両親もふーちゃんが歩いたことに大喜びしていた。
ふーちゃんは一歳になったので、食堂での食事に参加することになった。
ヘルマンさんがついているが、椅子に座らされたふーちゃんは手の届かないところに料理を置かれて両手でテーブルを叩いて、早く食べたいと要求していた。
千切ったパンを両手に持たせて、おかずはヘルマンさんが口に運んでいく。パンを口に詰め込み過ぎて喉に詰まらせそうになる場面もあったが、ふーちゃんは少しずつ食堂での食事に慣れていくだろう。
お誕生日のケーキは苺のショートケーキだった。
上に乗っている苺を掴んで口に運ぶふーちゃんが、果汁をぼとぼとと落としてシャツを汚してしまっても、わたくしもクリスタちゃんも気にしていなかった。そんなことよりもふーちゃんが楽しくケーキを食べられていることの方が大事だ。シャツは洗えばいいのだ。
「んま! んま!」
「ケーキを食べたいのですね。どうぞ、フランツ様」
「んー!」
大きく口を開けたふーちゃんにヘルマンさんがケーキを食べさせる。
ケーキを半分食べたところでふーちゃんは飽きてしまって、部屋に戻って着替えて遊んでいたが、わたくしとクリスタちゃんもケーキを食べ終えてふーちゃんの部屋に行く。
ふーちゃんの部屋には積み木と新しいレールがプレゼントとして届いていた。
「ねぇね! ねぇね!」
木のレールを指差してふーちゃんがわたくしとクリスタちゃんを呼ぶ。わたくしとクリスタちゃんはレールを組んでふーちゃんの周りに線路を敷いてあげた。
そこをクリスタちゃんが高い山になっている場所から列車を走らせると、ふーちゃんが手を叩いて喜ぶ。
「ねぇね! きゃー!」
歓声を上げるふーちゃんに、クリスタちゃんは何度も何度も列車を走らせていた。
テンション高く遊んだ後はふーちゃんは疲れて眠ってしまった。
ベビーベッドで眠るふーちゃんを両親とわたくしとクリスタちゃんの家族で取り囲む。幸せそうに眠っているふーちゃんにみんな笑顔だった。
お誕生日の数日後にふーちゃんに靴が届いた。
庭を歩けるようになって、ふーちゃんは大喜びだった。
まだ一人だけで靴を履いては歩けないけれど、ヘルマンさんが両手を持って支えていればなんとか歩くことができる。
「おっ! おっ!」
「ふーちゃん、タンポポよ!」
「ぽっ! ぽっ!」
「そうよ、タンポポ。わたくしの一番好きなお花よ」
庭に生えるタンポポの前でしゃがみ込んでいるふーちゃんにクリスタちゃんが教えている。
「おぉー!」
「これは、虫。触ったらいけないわよ?」
「むち!」
「そうよ! 上手! 素晴らしいわ!」
クリスタちゃんが絶賛するのでふーちゃんの言葉の習得も早くなりそうな予感しかしない。
「ぽっ! ぽっ!」
「タンポポね。可愛いわね」
毎朝、ふーちゃんとお散歩に出るのがわたくしとクリスタちゃんの日課になりそうだった。
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