23.薔薇の形のナプキン
ふーちゃんはオムツが汚れていたので、一時ヘルマンさんが連れて行って着替えさせて戻って来た。ヘルマンさんに座ったままで離乳食を食べさせてもらって、自分でも両手に持ったパンを齧って、柔らかな部分を食いちぎって飲み込んで、最後はミルクを飲ませてもらってふーちゃんは落ち着いていた。
わたくしの顔を見るとテーブルの上に置いてある列車のおもちゃに顔を向ける。
「ねぇ! ねぇ!」
「これを動かすのですね」
山のように高くなったレールの上から列車を動かすと、その勢いで列車がレールの上を一回りする。
「うぉ! あぁ!」
手を叩いてふーちゃんは興奮して楽しんでいる。
それだけでは足りなくなってふーちゃんが椅子から降りようとするのに、父が抱っこして会場を歩く。
本当に父はふーちゃんを可愛がっていた。
「ディッペル家にとってよい知らせがあります」
「わたくし、テレーゼは第三子……いいえ、養女のクリスタを入れたら我が家の第四子です。第四子を授かりました。パウリーネ先生の指導の下、無事に産めるようにしていきたいと思っております」
父はふーちゃんを抱っこしたまま母の朗報を大広間にいるお客様に伝えた。
国王陛下が父に歩み寄って肩を抱いている。
「本当によかった、ディッペル公爵。そなたは学生時代からずっと、一人っ子であったから子どもはたくさん欲しいと言っておった。誠におめでとう」
「ありがとうございます、国王陛下。国王陛下もおめでとうございます」
「もしかすると生まれて来る我が子とディッペル公爵の子、学友になるかもしれぬな」
父と国王陛下は学友で、生まれて来た子ども同士も学友だなんて素晴らしい名誉ではないか。
言われて父は「そうなればと思っております」と答えていた。
両親のお誕生日のお茶会が終わって、お客様を送り出していると、ふーちゃんがもう限界だったのだろう、大声で泣いていた。
ヘルマンさんが素早くふーちゃんを乳母車に乗せて庭のお散歩に連れ出す。
乳母車に乗って庭をお散歩している間にふーちゃんは眠ってしまったようだった。
夕食の席にふーちゃんはまだ同席しない。
一歳になったら食事も一緒にするようになるのだろうが、それまではヘルマンさんに子ども部屋で食べさせてもらっている。
冬が終わって春になればふーちゃんも一歳になる。
歩き出すだろうし、今よりもたくさんの言葉を話すようになるだろう。それがわたくしには楽しみだった。
夕食の席に早めにわたくしはクリスタちゃんと一緒に来て、両親のナプキンを折っておいた。手を洗っているのでナプキンに触れても大丈夫だろう。
ナプキンを折っているわたくしをクリスタちゃんは目を丸くして見つめていた。
「お姉様、こんなことができたの?」
「エクムント様に教えていただいたのです」
「エクムント様は何でもできるのだわ。素晴らしいわ」
薔薇の形に折れたナプキンを見てクリスタちゃんはますますエクムント様を尊敬したようだった。
両親が食堂にやって来て席に着くとすぐにナプキンに気付いてくれる。
「これは薔薇だね」
「綺麗ですわ。誰がしてくれたのでしょう」
「お父様、お母様、わたくしがしました」
名乗り出ると両親がナプキンを崩さずに手の上に乗せて見つめている。
「ナプキンを薔薇の形に折ってくれたのか」
「とても綺麗です。ありがとうございます」
「わたくし、お父様とお母様にお誕生日プレゼントを何も用意できなかったのです。せめて何かしたくて……」
「嬉しいよ、エリザベート」
「崩すのがもったいないです」
「またいつでも折りますわ」
「それならば使わせてもらおう」
「崩させてもらいますね」
ナプキンはナプキンの役目を果たさなければ意味がない。わたくしは両親にこれからいつでも折ることを約束してナプキンを崩してもらった。
夕食はお茶の時間にお腹いっぱい食べていたのであまり入らなかった。クリスタちゃんも同じようで、食事が全部食べられずに苦しんでいた。
「エリザベート、クリスタ、無理をすることはないんだよ」
「食べられないときにはそれでいいのですよ」
「少ないはずなのに、悔しいわ」
今日のようにお茶の時間にパーティーが入った日は夕食が少なく質素になる。それでも食べられないのだから、お茶の時間にどうやらわたくしもクリスタちゃんも食べ過ぎてしまったようだ。
「果物がコンポートされたケーキが美味しくて、何度もお代わりしてしまったのです」
「わたくしも食べ過ぎたかもしれません」
正直に言うクリスタちゃんとわたくしに母が笑う。
「わたくしの頃の淑女教育では、幼い頃から胃が大きくなりすぎないように食べる量を制限されていたのですよ。わたくしは成長期に食事をしっかりと摂らないのはおかしいと思って従わなかったのですが。エリザベートもクリスタも食べることを楽しめているようで何よりです」
母の時代の淑女教育では幼い頃から食べる量を制限されていた。
それを聞いてわたくしは母の細さを思ってしまう。母はコルセットでウエストを締めてとても細くしている。今は妊娠中なのでコルセットは身に着けていないが、ふーちゃんを妊娠するまでは身に着けていたし、産んだ後もしばらくしたら体型を戻すために運動をしてコルセットを身に着けていた。
コルセットで内臓を締め付けるのが健康によくないということは何となくだがわたくしには分かる。これも前世の記憶かもしれなかった。
「お母様、コルセットを着用するのも、もう時代遅れになるのではないですか?」
「そうかもしれませんね。わたくしのようにウエストを細く締めている淑女をあまり見なくなってきました」
「お母様も無理をなさらないでくださいね」
「エリザベートは優しいのですね」
未来は変わっているのでなくなったのかもしれないが、わたくしの中では『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』の物語で、わたくし、エリザベートがいつの間にか公爵令嬢から公爵になっていたことが引っかかっている。
両親がどこかで亡くなってしまうのではないか。
それはわたくしの一番の恐怖だった。
わたくしにとっては両親は愛情を注いでくれる大事な相手だし、まだ若くて働き盛りだ。亡くなってしまうなんて想像したくもない。
涙ぐみそうになったわたくしにクリスタちゃんがわたくしの顔を覗き込んでくる。
「お姉様、お母様は平気です。パウリーネ先生もいます。赤ちゃんを無事に産んで、ふーちゃんのときのように元気でいてくれると思います」
「クリスタ……」
慰めてくれるクリスタちゃんにわたくしは潤んだ目を何とか泣かないように保っていた。
「お父様もお母様も、わたくし大好きです。ずっと元気でいてくださいね」
縋るような、願うような言葉に両親が微笑む。
「その言葉が一番の誕生日お祝いだね」
「ありがとうございます、エリザベート。これから赤ちゃんも生まれてきますし、わたくしは長生きしなければいけませんね。あなたと一緒に」
「そうだね、テレーゼ」
仲睦まじい両親の様子を見ていると、少しだけ心が落ち着いてくるのが分かる。
今後両親を狙うような動きがあれば対応していかなければいけない。
九歳のわたくしに何ができるのか分からないが、両親を守りたいという気持ちは本当のものだった。
夕食を食べ終わると眠くなったわたくしとクリスタちゃんはお風呂に順番に入って、髪を乾かして眠りにつく。冬のバスルームは寒いのだが、デボラとマルレーンが温かいお湯でバスタブを満たしてくれて、バスルームを湯気で暖めてくれているので、冬のお風呂もわたくしは嫌ではなかった。
髪は渇きにくいが、その間湯冷めしないようにマルレーンはわたくしをふかふかの毛布で巻いていてくれる。
「お姉様、どうして夕食のときに泣きそうになっていたの?」
眠るときに繋がっている窓からクリスタちゃんが問いかけて来た。
「何ででしょう。わたくしにも分かりません」
誤魔化すがわたくしはあり得るかもしれない未来のことに胸がざわざわしていた。
両親をわたくしが守れるのか。
考えれば考えるほどそれは難しい気がしていた。
読んでいただきありがとうございました。
面白いと思われたら、ブックマーク、評価、いいね!、感想等よろしくお願いします。
作者の励みになります。