16.九歳のお誕生日
わたくしのお誕生日にはエクムント様も婚約者として出席してくださる。
わたくしの隣りにエクムント様が立ってくださることが嬉しくて、わたくしは自分のお誕生日よりもエクムント様と過ごす時間を考えていた。
この国で唯一の公爵家の娘のお誕生日なのだ、ハインリヒ殿下もノルベルト殿下も来て下さる。ハインリヒ殿下はクリスタちゃんがお目当てなのだろうが、それでもお祝いに来て下さることはあり難かった。
その日はしとしとと秋雨の降る日で、馬車から降りたお客様たちは足早にお屋敷に入って来ていた。入口で雨水を払って、大広間にやって来たお客様たちにわたくしはご挨拶をする。
「本日はわたくしのお誕生日のお茶会にお越しいただきありがとうございます」
「エリザベート様、おめでとうございます」
「エクムント、エリザベート様と仲良くするのですよ」
「はい、父上、母上」
キルヒマン侯爵夫妻も来て下さっている。キルヒマン侯爵夫人は鮮やかな朱色のドレスで褐色の肌によく映える。
わたくしはミントグリーンのドレスに同色のリボンを合わせていた。
エクムント様はいつもの白いジャケットの軍服だ。金色の房飾りが目の色によく合って豪華に見える。
クリスタちゃんは近くからわたくしをじっと見ているが、お行儀よく声をかけずに挨拶が終わるのを待っていた。
「エリザベート嬢、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます、ハインリヒ殿下」
「エリザベート嬢にとってこの年がいい年になりますように」
「いい年にしたいと思います、ノルベルト殿下」
ハインリヒ殿下とノルベルト殿下も来てくださっていた。雨に少し髪を濡らしているハインリヒ殿下とノルベルト殿下は、横で髪が結べるくらいになっている。
この世界の貴族は男性でも髪が長いひとが多いようだ。
エクムント様は髪を短めに切っていて、前髪をオールバックにしていて、一筋緩やかに波打つ黒髪が乱れ落ちているがそれが格好いい。
「ノルベルト殿下もいい知らせがあるのではないですか?」
「そうなのです。聞いていただけますか?」
わたくしとエクムント様に寄り添うように立っている父に言われて、ノルベルト殿下が菫色の目を輝かせる。
「僕は隣国の王女殿下と婚約することになりました。王妃殿下の姪ということで、王妃殿下に会わせていただいたのですが、とても可愛らしくて、美しい王女殿下でした。隣国との関係もこれでますますよくなるだろうと言われています」
頬を赤くして報告してくれるノルベルト殿下は、新しい恋を見付けたのかもしれない。
王妃殿下の姪と婚約できるということはノルベルト殿下の地位も確立するということだ。
「一度しかお会いしたことはないのですが、とても礼儀正しい王女殿下で、僕より二つ年上なのですが、とても優しく話しかけてくれました」
二つの年の差など王族同士の婚約では普通にあり得る。年の差が少ないくらいである。
「僕は王女殿下にお手紙を書く約束をしました。王女殿下も僕にお手紙を書いてくださるそうです」
手紙で交流して、ノルベルト殿下は隣国の王女殿下と交流していくのだろう。わたくしがこの年で婚約したように、ノルベルト殿下も王族だからその年で婚約が有り得たのだ。何より、ノルベルト殿下は再来年の春には学園に入学される。
再来年といえばエクムント様が辺境伯を継ぐ年であるのだが、その年にはわたくしも学園の入学準備を整えておかなければいけない。
次の年の春にはわたくしは学園に入学するのだ。
クリスタちゃんが学園に入学するのはその一年後だが、そうなると遂に『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』の本編に入って来ることになる。
クリスタちゃんが学園に入学するところから物語は始まるのだ。
考えていると、クリスタちゃんに袖を引かれる。
「お姉様、もういいですか?」
「お待たせしましたわね、クリスタ。お茶にいたしますか?」
「はい、お姉様。わたくし、立って食べられるように練習したいのです」
「分かりました。立って食べてみましょうね」
お皿にケーキやサンドイッチを取り分けて、ミルクティーを給仕にお願いすると、それだけで手がいっぱいになってしまう。
わたくしも立って食べるのには慣れていないので困っていると、エクムント様がさり気なく空いているテーブルに招いてくれる。
「空いているテーブルにお皿かカップを置いて食事をすればいいのですよ」
「そうだったのですね!」
「大人たちもそうしています。よく見てごらんなさい」
エクムント様に言われて観察すると、確かに空いているテーブルにお皿かカップを置いて、大人たちもお茶をしていた。立食形式のお茶会といえども、完全に立ったままで何も使わずに食事をしなくていいのだと分かるとわたくしも安心する。
「エクムント様もご一緒にいかがですか?」
「光栄です」
お招きするとエクムント様は同じテーブルにお皿を置いてミルクティーを飲んでいた。
「ノルベルト殿下が婚約されるだなんて驚きました」
「お話はずっとあったようですよ。ノルベルト殿下が躊躇っていたようで」
「そうだったのですね」
ノルベルト殿下にも幸せになって欲しい。わたくしが思っていると、クリスタちゃんが口に頬張っていたケーキを飲み込んで目を丸くしている。
「ノルベルト殿下は結婚されるのですか?」
「婚約ですよ。ノルベルト殿下はまだ結婚には早いです」
「婚約! おめでたいですね。わたくし、お祝いを言ってこなければ」
ミルクティーを飲み干したクリスタちゃんがノルベルト殿下のところに小走りに駆けて行くのを、わたくしも追い駆けた。
クリスタちゃんが来ると、ノルベルト殿下と並んで立っているハインリヒ殿下が嬉しそうに微笑む。
「クリスタ嬢、こんにちは」
「こんにちは、ハインリヒ殿下。ノルベルト殿下、婚約をされたと聞きました。おめでとうございます」
「ありがとうございます。僕にはもったいない美しい方で、教養もあるようで、詩を読むのがお好きだと聞いたので、次のお手紙に詩集を添えて送ります」
「なんてロマンチック! わたくしも婚約したいですわ」
「クリスタ嬢は年頃になったらたくさん申し込みがあると思いますよ」
ノルベルト殿下とクリスタちゃんが話しているのを観察していると、わたくしの後ろに誰かが立つ気配がした。振り向くとレーニちゃんが黄色いモッコウバラの花冠を手に持って頬っぺたを赤くしていた。
「エリザベート様、お誕生日おめでとうございます。これ、わたくしが作ったのですが、よろしければ……」
「なんていい香り。綺麗なモッコウバラなのでしょう。嬉しいです。編むのは難しかったのではないですか?」
「はい。時間がかかってしまってお誕生日のお茶会に遅れてしまいました。お花はその日に作らないと散ってしまうので」
「それでは、朝から作って来てくださったのですか?」
「はい! エリザベートお姉様……じゃなかった、エリザベート様にどうしてもプレゼントしたくて」
レーニちゃんのお誕生日プレゼントはとても嬉しいものだった。
髪のリボンを外して頭にかぶると、薔薇の香りがして、とても華やかな気分になる。
「レーニ嬢本当にありがとうございます」
素晴らしいお誕生日プレゼントにわたくしは心からお礼を言った。
お誕生日にはカサンドラ様も来てくださっていた。
カサンドラ様は黄色いモッコウバラの花冠を被ったわたくしを見て目を細めている。
「とてもよく似合っている。花嫁のようだ」
「ありがとうございます。九年後には辺境伯家に嫁いで参ります」
「エクムントとエリザベート嬢ならいい家庭が築けるだろう」
カサンドラ様も家庭を築きたいと思ったことがあったのかもしれない。
病気のせいで子どもができなくなってしまって、結婚はしないと心に決めたカサンドラ様に、何度も求婚してきた方がいたと話は聞いていた。その方は海軍に勤めていて、壊血病になりながらも海に出て、海賊との戦いで命を落とした。
カサンドラ様はその方が好きだったのではないだろうか。
今となっては聞くこともできないが。
カサンドラ様のためにもわたくしは辺境伯領に嫁いで平穏な家庭を築かねばならない。
それが辺境と中央を繋ぐ、この国唯一の公爵家の出身のわたくしのできることだった。
「もう一つ、素晴らしい知らせがあるのですよ」
ハインリヒ殿下が悪戯っぽく笑うのに、クリスタちゃんが唇を尖らせる。
「焦らさずに教えてくださいませ」
「教えていいのかなぁ」
「ハインリヒ、口が軽いのはよくないですよ」
「はい、ノルベルト兄上。正式な発表があるまで黙っています」
口を押えたハインリヒ殿下に、クリスタちゃんは中途半端に聞かされて、ちょっと不満そうだった。
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