原動力への
長編小説【世界観を売った男】の企画について
発生学という学問の視点で、眼球は脳の一部であるそうです。
ならば、言葉は心の外側。
私は言葉による作品を制作しようとしています。
作品もまた、人間そのものの一部と見なしてもいいのではないでしょうか?
さらに、目に見えるこの町も、人間社会という概念の『外側・皮』と捉えることができるのではないでしょうか?
マインクラフトやドラゴンクエストビルダーズといった『ブロッククラフトゲーム』で作られる『町』もまた、作品です。
その町は、人間の心そのものなのではないか?
都市という集団の中に生きる個人が作った都市
この着眼点にこそ、『ゲームの世界』を『嘘っぱちではない、切実なこと』として表現する手がかりがあると考えます。
わたしが提供したいフィクションは、『優れた現実逃避の道具』にしたいと思っています。
現実逃避とは、現実に生きながら、現実を忘れる事です。
『忘れること』は、人間が生きる上で必要な事です。
ふつう、日常生活を送っているとき、少なくとも意識の表面では私は『死の恐怖』を忘れています。
常に死の現実を意識していたら、常に汗が止まらないはずです。
死は重要な問題ですが、そればかり意識していると、逆に生きることが難しくなってしまいます。
このように、一時的にでも『忘れるべきこと』が必要な問題は、死以外にもたくさんあります。
例えば、失恋がそうです。痛い失恋をしても、命を投げ出さない限り、日常生活を送らなければなりません。
仕事や生活の中で、常に失恋の痛みや、辛かった言葉がリフレインしていたら、何も捗らなくなってしまう事もあるでしょう。
そんな『忘れること』のために『現実逃避』は必要だと思います。
言い換えるなら、私が作品に目指している機能は『ONをOFFにする切り替えスイッチ』です。
作品に触れることで『現実をOFFに』している間、意識の奥の方で『睡眠』のように『現実』の処理が行われ、再び『ON』になったときに、向き合い易くなっている。
ちゃんと現実逃避ができている時、「あ、今現実逃避しているな」とは思っていないはずです。
だからこそ、フィクションであっても『嘘っぱちでない感覚』が必要になってくると思います。
私が描こうとしているのは、ブロッククラフトゲーム内の物語です。
フィクションの中のさらにフィクション。これは娯楽としては、必要以上に客観的にならざるを得ない題材かもしれません。
しかし、『ゲームも人間が作った』という部分に、『作った人の本物の心』があるという視点を向けたなら、『嘘っぱち』を超えた『切実さ』を感じることはできるはず。
作品にするからこそ、言える「本音」がある。
その本音は、私自身の本音を代入したいと思います。意欲的な作品は、読み応えが出るものです。その部分で、私は私の本音を扱おうと考えています。l
私が言いたくても言えない、言葉をまとめる事すらできないことも、フィクションの世界でなら表現できるのでは?という部分を『創作のための原動力』として扱おうと思います。