購入者プロローグ
プロローグ
夜ノ文化祭
第一章 世界観を買った男
購入してから考えた。
この高級品と自分は釣り合うのか?
おれは、主人公に値する男なのだろうか?
さっき渡された、明日からの自分の姿のイメージ写真は、夏休みのひまわり畑で不思議な女の子と出会って冒険する少年そのもの――そんな映画の主演を演じるであろう、儚げな美しさを持つ13歳の少年そのものの姿だった。
そこも少し、不安。
おれはもう95歳になってしまったのだ。
それなのに、高校生が感情移入するような理想化された美少年の姿になるのは、ちょっと情けないのではないかな?
もっと年相応のエッセンスを入れた方がいいのではないかな?
――そんなおれの不安を感じとったのか、セールスマンはコーヒーのおかわりをテーブルに置いてくれると、こう言った。
「夜ノ文化祭は、嗜好品です。このコーヒーと同じです。嗜みたいから嗜む。子どもがコーヒーを飲んでも、大人がオレンジジュースを飲んでも、今時、誰も文句は言いませんよ」と、にっこり笑う。
「でも、年に合った趣味を持たないのは、ちょっと恥ずかしいと言うか・・・・・・」
「こだわりを持っている事なら、恥じる必要はありません。一流のオレンジジュースを飲むために、全国から選りすぐりの材料を集めて、作って、飲む。これは大人にしかできないでしょう?」
セールスマンは、客が不安を見せれば、すぐに上手い言葉を返そうとする。
それを分かっているから、おれも情けない事を言いやすくなる。
「おれで、いいのかな?」
「この規模で夜ノ文化祭をやれるのは、最後になると思います。この消費時代も、もう終わりますから。そして今回を見送った所で、結局ピリオドは、他の誰かが打つものです。どうせ打たれるのなら、美しいピリオドでありたい。私どももそう思っています。ヒロインだって、あなたに血を吸われる事を望んでいます。お客様は、ただお金を払ったのではありません。積み上げてきた自分の人生と感性を、形にしたのです。私たちは、それにちょっとだけ関わらせて頂いたのです」
ヒロイン。その言葉におれの胸は高鳴った。
夢だ。
世界の秘密の小道をくぐり抜け、黄昏れの少女と出会い、鯉をし、鮮やかな冒険を繰り広げ、仲間との喜びをかみしめた後、約束の場所で、美しい少女の血をこの唇で全て吸い抜く――。
どんな感覚になるだろう?
大量吸血時代最後の贅沢。このあとは、主食はせいぜい人工血液で、本物は年に一滴でも飲めれば他者の嫉妬を買うような時代が来る。
せっかくだ。
他の吸血鬼にやるなら、おれが吸おう。
「決心はつきましたか?」
「はい」
「では、こちらです」
セールスマンに連れられ、おれは長く暗い廊下を進んだ。
黒板色のドアを開いた先には、ドーム状に広がる洞窟のような空間があった。足元は薄く水が貼ってある。頭上にはクリスタル色をした、梅干しのような脳のような物体が下げられており、そこからミミズのような紐が蠢きながら垂れている。
おれは部屋の中心に座り、座禅を組んだ。
「ごゆっくり」
セールスマンが扉を占める。
天井の紐虫達が伸びて、おれの頭部をかじり、穴を開け、中に入ってきた。
同時に、壁が狭まって接近してくる。
腕を広げられる程度のスペースが残った。
脳裏には、おれが何度も夢見た理想の恋と冒険の映像が浮かんでいる。
「海にかかる橋、天空の純白城、振り向く少女、駆け巡る都会、沈黙の山、瑠璃色に輝く飛行・・・・・・」おれはそれを言葉にして唱えながら、無意識に腕や手を、儀式のように振り回していた。
全身に張り巡った紐虫が皮膚を突き破り、口から湿った土粒を吐き出す。この狭い部屋・・・・・・否、棺の中が、下から土で埋まってゆく。おれには、その土の一粒一粒が、理想の世界を構成する人間や木々や建物や太陽や心に感じられた。万華鏡のようにその光景は変わっていき、徐々に、花の姿に集束していく。
いけない!
おれは自分の意識が制御不能になる寸前に、口元まで土が来てしまう前に、決定の言葉を口にした。
「箱庭変身」
変身が完了したら、世界には、どんな、おれがいるだろう?




