昔学んだこと
多くの人は一見理論でやっているように見えて実は『これが正しい』とされている宗教的な教義に従っている。しかしその全てを疑うのが大事。
例えば、アイドルを出せば視聴率が上がるという教義があって、それは本当にそうなのか?
どういう理由で、そうなっているのか?と改めて考える。
疑うというのは、否定する事ではなくて、考え直すことなんですね。
これは非常に大事な事だと思います。
ちょいちょい、「観客をバカにしたような」という批判の仕方を目にします。
この意味は色々あるのですが、その一つに「こういう要素を出せば読者は面白いとおもってる事が見え見え」
という意味もありますね。
これが的を得ている批判であった場合、まさに前述の「教義に従う」になっていたから、そうなったのだと思います。
娯楽作品の面白さと、優等生的な正しさは真逆に位置していると思います。
ここでの優等生とは、親や先生の顔色を覗うために勉強している場合を指します。
「みんな、OOの要素は好きと語っている。なら、それをやれば作品を好きになってくれる」
という思考回路ですね。
最初の「疑う」をやるためには、ここで「なんでOOを好きと語っている人が多いんだろう?」という思考になるはずです。
こういう疑問が、多くの企画の発想源になったりしていますね。
きちんとジャンルの内実を探るというのは必至かなと思います。
様々な意味で成功した作品をつくるには、企画の段階から、『教義に無条件に従う』考えを捨てた方がいいのは、当然ですね。
結果として従う形になるにせよ、その内訳は分析した方がいいということです。
エンターテイメント小説だからこそ、そこまで考える意味は強いと思っています。
現在語られる多くのサブカルチャーのジャンルは、ビジュアルに強く結びついています。
マンガやアニメなら、確かにそのジャンルであるだけで一定の価値は出せる。
しかし同じ事を小説でやっても、じゃあマンガを読んだ方が早いね、だいたい全部読んだら小説にでも行くか、みたいな、圧倒的に立場が弱くなります。
アニメ化がゴールというか、前提みたいな感じで書く人が多いと聞きました。
まず、読み物として面白あることが優先です。(ほんとか?)
これ、アニメ化しないと面白くないんだけどなーというのは、企画書とか脚本のつもりでやるというのが適切だと思います。そして、発表するのもそういった場でする方が賢明ですね。
読者の人が、文字として読む事のメリットが必要です。
そして、いざ投稿したという事は、認識がどうであれ作品に何らかの利点や魅力を見いだしたからという場合が普通ですよね。
そうなると、次にだいたい関心が向くのは数字的な所です。
PVとか、評価の数とかですね。
ここの見方にも、テーマがないと意味の無い葛藤をする事になります。
某所では動画サイトに作品の広告が出たりするそうで、それがPVに繋がったりしますね。
それで全体のPVがめちゃくちゃ増えても、それを作品の評価と受け取らず、各話のを確認させたほうがいい(キャラに)
それと、更新した順にPVは伸びるので、必然的に1話が多くて最新話になるほど少ない、という状況になるとおもいますが、そこで「読者が少なくなってる・・・・・・」と思う必要はない?
むしろ、全体のPVが均一だった場合の方が、『新規が来てない』事になるので、そちらを考えた方がいいと思います。(どちらも、投稿後ちょっと経った時点の場合。かつ全体PVがけっこうある場合)←要検証
この判断のバランスは、シビアなくらいがちょうど良いと思います。
変に安心せず、かといって悲観もしすぎない。
良い緊張感を持っていた方が、集中する気にもなれるものです。
かつてやっていた『入りやすいエッセイで読者についてもらう』という方法で、ある程度そちらの読者がいてくれたなら、小説の方の1話のページにアクセスするまではしてくれると思います。(そうだったかなあ、)
そこからは、本当に面白さの勝負ですね。
冒頭はまじで大事だなぁ。




