企画書の必要性
アニメも映画も小説も、企画書が存在します。それはエヴァのようなアニメはもちろん「海がきこえる(原作)」のような青春小説にも、存在しました。
「今がどんな時代なのか?」「何を提供するのか?」「誰に提供するのか?」「どのように提供するのか?」の記述がある点で共通しています。
たとえば「仮面ライダー」の企画書には、「高度経済成長期」についての言及があります。
そこでは、仕事の能率を上げるために人間性を失ったり、それが「公害」を生んでいる指摘があります。
仮面ライダーが戦う敵『ショッカー』とは、そのような「非人間的な進化の象徴」であることが、企画書に載っています。
また、「仮面が潜在的な欲望を正当化させる」という興味深い記述があります。
「素顔」ではなく、「仮面」というフィルターを一枚被せることで、ヒーローという超常的な存在を視聴者が受け入れやすくなる効果があることを、自覚的に作品に盛り込んでいたのです。
フィクションを楽しませるための工夫を、企画書の段階で自覚的に認識していたのです。だからこそ五〇年にわたって続くシリーズになったのだと思います。
原典がしっかりしているからこそ、それを叩き台にして、その都度時代に合わせた調整も可能だったわけです。
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今作では、「ブロック」が「仮面」に近い役割を持っています。
今作の最大の特徴は「空想の世界を自己洗脳によって本物だと思い込む人々」ですが、「ブロックを置くこと」が媒介の役割を果たしています。
最近のプラモデルは、その「組み立て過程」にも「体験」を設定しています。ロボットの構造を知りながら、自分で作り上げていくような体験ができるよう、説明書だったり「パーツわけ」だったりで工夫が盛り込まれています。
そのようにして組んだプラモは、他人がつくったものよりも「本物感」を覚えられます。
つまり、ブロックの世界も自分たちで作ったからこそ特別な意味を持っているのです。
ブロッククラフトゲームも歴史を重ねています。10年後に、昔友達と遊んだデータにログインすれば、まるで故郷に帰ったかのような気持ちになるでしょう。その現象を極端に走らせたのが「夜ノ文化祭」です。
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潜在的な欲望を許して実在させられる手段として使うと、作品はよりパワフルに現実のような重さを持てると思います。
「創作」と「変身」と「理想の日常」と「理想の過去解釈」が本作の肝です。
夜ノ文化祭では、「ブロックのごっこ遊びなのだから」というフィルターをかませることで、ありとあらゆる欲望が許容され実現されています。
それを、読者にとっても楽しめるように使っていく思考をしたいと思います。
つまり、こういう企画書云々とか語りたいという自分の欲望をこの世界でなら「許して」自由に発揮できるのでは?
――つまり――
主人公の目的は、彼が最高だと思うブロック作品をつくること!
そこを基準に、また全ての要素を肉付けしていく。
私は「できるとしても気休めを提供すること」と思いなからも「現役世代に負担を強いるし将来世代のチャンスに害する」いまの社会構造を変えたいという気持ちで思考してしまっているが、主人公なら「社会構造を変えるブロック作品」を作れるのでは?
それを主人公にやらせよう。




