精神指導室プウアクラ
精神指導室に緊張が走った。
ソナチネは逃げるように立ち上がった。
中年女性の精神指導員の語気に、自分を支配しようとしてくる圧力を感じたのだ。ソナチネはそういう気配に対して敏感だったし、敏感であろうと努力している。だから逃げようとした。
だが、
「待ちなさい」と、指導員はソナチネの腕を掴み、力任せに椅子へ戻そうとした。
「待ちなさい!あなたが……
ソナチネは、いよいよ、体の力を振り絞って本気で逃げる覚悟を決めなくてはならないと感じた。
この精神指導室を出て、門へ走って、学校から脱出して・・・・・・その後の事は分からないけれど、とにかく逃げなくては。
ここに来た当初の期待は無くなっていた。精神指導員が相手なら、両親や担任教師やクラスメートたちのように、自分の気持ちを軽々しく攻撃してくるような事は絶対にないという期待は、既に崩れ果ててしまった。
仮にこのまま女の誘導に従って椅子に座ってしまえば、もう、自分の決断を守ろうという気持ちすら保てなくなる。その気持ちを捨てたら、壊れてしまう――絶望の瞬間に壊れてしまおう!という誓いの元に、今日まで頑張ってきたはずだった。そんな諦めの線引を頼りに踏ん張ってきた。
これは、その絶望の瞬間だろうか?希望はないのだろうか?
分からない。だが、まだ壊れるわけにはいかない。
立ち上がった勢いそのままに、この女の手を振りほどいて、逃げなくては。
扉は、すぐ後ろにある。
「離せ!」と叫び、腕を振りほどこうとした。それがソナチネの精一杯の拒絶だった。だが、女の手は固かった。
女は、冷静さを強調する口調で淡々と告げた。
「このまま逃げたら、家庭と学級に報告します」
留目だ。
一線を越えられてしまった。両親にも、学級の人間にも、ここでの事は他言しない――この精神指導室の入口にも書かれていた約束が、反故になった瞬間だった。
ソナチネは、受け入れがたい現実に何度も首を振りながら、おとなしく腰掛けた。実に柔らかい椅子だった。叫んだことによる喉の痛みと熱を感じた。
あり得ないほど最悪な状況の中で、より救いのない場面に出くわしてしまった。この現実を、受け入れざるを得ないと理解できる思考を捨ててしまいたい気持ちでいっぱいだった。
さらに女は畳み掛けるように、自分がこの場の支配者である余裕を明確にするため、あえて急に温かみのある甘い言い方に戻してきた。
「幼さゆえの間違いだとか――ご両親は、そう言ったそうですね?」
女はソナチネの黄色い瞳を見つめた。返事を求めたのだ。肯定の返事をさせる事で、より自分の言葉を受け入れさせようという画策だと、ソナチネは気付いた。
だが、逆らえないのもまた事実だった。
「はい」と言うしかなかった。
精神指導員は微笑んだ。
「そう・・・・・・ご両親がそう言うのも分かるけれど、私はそうは思わないわ。見たところあなたは、とても賢い人だもの。きっと、もうご両親より知恵をつけた部分があるのでしょうね。だからこそ、そんな特別な人には、より良い選択をしてほしいのよ」




