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あやかし新聞社  作者: 文月 優
旅立ち
34/35

  ◇◇◇



「おはようございます」


 いつものように、僕は傾斜のある神社の石畳の階段を登りきると、鳥居の前で竹ぼうきを使って掃除をしているみーこさんに出くわした。

 僕を見つけた瞬間、みーこさんはいつもの麗しくも素敵な笑みで、手を大きくブンブン振ってくれた。


「おはようございます、佐藤さん!」


 一日一度はみーこさんのこの笑顔を見なければ、なんだか活が入らなくなるほど、あれからも僕はここに通いつめていた。


「みーこさんは今日も元気ですね。なんだか今日も一日素晴らしい日になりそうな気がしてくるから不思議です」

「えっ、本当ですか? それは嬉しいですね」


 こんな片田舎でできることなどしれている。それなのに、毎日ここにくれば本当にそう思えるのだから、僕は心から感心していたのだ。


「なんだかここに来れなくなると思うと、すごくさみしい気持ちになります」

「えっ! あっ、そうでした。佐藤さんっていつ東京に戻られるんでしたっけ……?」

「明日です」

「明日!?」


 みーこさんは驚いて、竹ぼうきを落としている。けれど僕としてもそれは信じがたい事実だ。すっかりこの田舎生活に慣れてしまい、なんなら心からエンジョイしてしまっていた僕にとって、あの仕事漬けの生活に戻れるのだろうか……。


「そうですか……それは、残念ですね……」


 みーこさんの顔から笑顔が消えた。今だけはみーこさんの笑顔が見れなくて、僕は心のどこかで喜んでいた。現金な話だが、それだけみーこさんが僕の事を考えて悲しんでくれているのだと考えると、この表情も今だけは悪くない。

 変な意味はなく、それは純粋な意味で。


「こら、左右。またそんなこと言って!」


 みーこさんが竹ぼうきを拾い上げた後、すぐ隣を見下ろしながら、左右に叱っている。僕は左右の言葉が聞こえなくとも、今僕の悪口を言ったのであろうことは、安易に想像ついた。


 ——僕がこずえと話をした次の日、今日と同じように神社に来てみると、もう僕は左右の姿が見えなくなっていた。それは姿だけではなく、声も聞こえないのだ。

 なぜか理由は想像して見たものの、どれ一つとして確証はない。

 そもそも僕は自他共に認めるほど、霊感などというサイキックパワーを持ち合わせていない。そんな僕がこの神社の神使が見えていたという方がおかしな話で、そこに関してもなぜ見えていたのかという確固たる理由がないのだ。


「でもまたこちらに帰ってくる際にはぜひ、うちの神社に遊びに来てくださいね」

「もちろんです」


 みーこさんは再び笑顔を取り戻し、竹ぼうきで掃除を始めた。

 僕は本殿への挨拶がまだだということに気がついて、手水舎へ行って手と口をすすぐ。それが済んだ後、ハンカチで手をぬぐいながらふと思ったことを口にしてみた。


「そういえば、みーこさんの大学はいつから始まるんですか?」


 僕が来ると毎日神社にいる。大学に通っている様子がなければ、勉強をしている様子もない。そう、それはふとした疑問だった。


「大学? 私はとっくに卒業していますよ」

「えっ? みーこさんっておいくつですか?」


 女性に年齢を聞くのは失礼だと重々承知の上だ。承知していても聞かずにはいられなかった。

 そんな僕の驚いた様子がめっぽう面白かったのか、みーこさんは僕の腕をソフトに叩きながら再び笑った。

 みーこさんは不意に触れて来るから、やはり心臓に悪い。けれどこのトキメキも今日までかと思うと、なんともさみしいものだ。


「私は今年で25歳になります」


 25歳か。思っていたよりも年齢を重ねていたことにびっくりしつつ、けれどしっかりしたその様子からは納得の回答だった。


「けどすごいですね。狛ねずみを祀る神社の巫女さんが子年(ねずみどし)とは……」


 今年25歳ということは、去年が年女だ。毎日この神社に来ているおかげで、何歳が年男、年女なのかは、神社の境内にある年表を見て覚えていた。

 去年の干支がねずみだ。なかなかシャレが効いている。神使である左右が見えて、干支である子年に生まれた女性か……まさにこの神社に生まれるべくして生まれた人なのかもしれないと、何やら神々しさを感じる。

 

「あははっ、ですよね。よく言われます」


 でしょうね、なんて言葉を戻し、僕は本殿に手を合わせようと歩き始めると、そんな僕の背中に向けてみーこさんはこう言った。


「知ってますか? ねずみって十二支の中で一番初めの動物ですよね? だから新しいことを始めるには、子年ってとても良い年なんですよ」

「……へぇ、それは知らなかったです」


 新しいことか……まぁ去年の話だから関係はないが、僕は去年何か新しいチャレンジをしていただろうか。毎日忙しさにかまけて、日常をおろそかにしていたからな。仕事では新しいクライアント、新しい案件は受けていたけれど、仕事以外は何もない。

 こずえのこともあって、仕事を抜いた僕という人間には、何も残っていないように思えてくる。


「もう子年は終わってしまいましたが、人間新しいことにチャレンジするのは、いつ始めてもいいというのが私の持論です! ですから今からでも、何か新しいことを初めてみるのはどうでしょうか」


 みーこさんには本当に叶わない。彼女にも、僕が考えていることが筒抜けなのだろうかと、一瞬心配になったほどだ。

 次に子年がやって来るのは11年後だ。そしたら僕は38歳になる。そこから新しいことをするよりも、27歳の今しておく方が心身ともにフットワークが軽いしな。

 干支に関してもそこまで深く考えたことはないが、そうやって自分に喝を入れる動機付けには良いじゃないか。


「そうですね。考えてみます」

「ぜひ!」


 人のことなのに、いつも親身になって考えてくれるみーこさんはやはり女神だ。東京に戻れば僕はきっとみーこさんロスになるんだろうな、なんて思いながら本殿に手を合わせに向かった。


 ちょうど本殿からの帰り、社務所からみーこさんの父親とちょうど鉢合わせた。


「佐藤さん、おはようございます」


 僕はみーこさんの父親と同じように、挨拶をしながら小さく会釈をした。


慎二(しんじ)さん、おはようございます」


 ここに来れるのも残りわずかとなったタイミングで、僕はみーこさんの父親の名前を知った。キヨさんがみーこさんの父親のことを親しげに慎二さんと呼んでいたからだ。

 僕は勝手に慎二さんの名前を知った気になっていたが、初めてキヨさんが慎二さんのことを名前で呼んでいるのを聞いて、ああ、僕はみーこさんの父親のことを知った気になっていたのだと叱咤したほどだ。

 初めて会った時、名乗ってくれていたのはここでの役職である宮司と言われただけだった。いつもみーこさんの隣にいる慎二さんはみーこさんの麗しさに霞んで、気づいていなかったのだ。女神の父親の名前を。

 みーこさん以外に興味がなかったというわけでは決してない。


「お前、本当は興味なかったのだろう」


 そんな声が聞こえた気がして、僕は思わず後ろを振り返る。


「……どうかしましたか?」

「あっ、いえ、気のせいみたいです」


 ねずみ小僧の声は、もう僕には届かないのだ。

 これで僕は晴れて自由だ。言論の自由を満喫できるというものだ。

 結局のところ左右には僕の考えていることが筒抜けだったとしても、僕には異論を唱える煩わしい声が聞こえないのだ。あの蔑むような目も、姿も見えないのだ。

 見えない、聞こえない、のであれば僕からすればないのと同じ。こっちのものだ。

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